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京都よ、お前もか…/エスカレーター右側通行最前線

20年ぶりに訪ねた京の都。
そこで待ち構えていたのは阿鼻叫喚の地獄絵図だった…

エスカレーター覇権波昂し

神武以来、
エスカレーターの歩行可能サイドをめぐる神学論争は熾烈を極めてきた。

上方、大阪では不要不急のさいに人々は右側で待機し、急ぎの者は左側を通過する。
他方、関東では不要不急のさいに人々は左側で待機し、急ぎの者は右側を通過する。

 勢力圏    歩行可能サイド

上方・関西圏   左側
 関東圏     右側

関西と関東におけるエスカレーター歩行可能サイドの差異

古くは壬申の乱、新しくは関ヶ原の戦いから連綿と紡がれてきた西東の対立構図がここにも垣間見える。

しかしながら、エスカレーターほど、大阪側に完全無比な理のある対立構図は他に存在しない。



なぜ左側通行にすべきなのか? ここが変だよ関東人!


読者がエスカレーターに乗って左側でじっと待機していたとしよう。

今から完全に論破される関東モードである。

左側で待機 右側通行の関東モード イメージ図(京都伊勢丹にて筆者撮影)

その時だ!

この時、読者は左の壁が邪魔をして刀を鞘から抜けないではないか。
左に帯刀した刀を抜き放つことがかなわない。

その一方で、右側を通行する刺客ないし新撰組あるいはそれ以外は、
スムースに刀を鞘から抜き放ち、勢いのままに昼行燈な読者たち左側一味をズババと切り捨てることができる。

このように、
安全保障上の観点から東京モードはホームラン級の愚策なのだ。



辻斬りに対応できない関東人


こうした安全保障上の観点から、20世紀においては、
関東発の「エスカレーター右側通行論」はまったく広がるそぶりを見せなかった。

当たり前である。

戦争を知っている世代が壮健だった20世紀において、敵に腹を見せるようなノーガードの行動様式エートスはとてもとても容認できる代物ではなかった。

だが、21世紀に入り戦争を知る世代が少なくなるにつれ様相は変遷していったのだ…



京都の寝返り


20年ぶりの京都。
京都イオンにアルカリ天然水を買いに出かけた筆者は、阿鼻叫喚の地獄に青天の霹靂が走るのを観た。
ちなみに京都イオンは広すぎて田舎モンにはよくわかんなかった🥴

左側で待機する哀れな子羊たち


まさか、
まさか、
往年の新撰組のお膝元である京の都で、こんな愚挙がなされているとは…

尊皇派も攘夷派も多分、三島由紀夫もまとめて草葉の陰で号泣していることであろう。

何のために彼らは血を流したのであろうか…

枝葉の主義こそ違えど、彼らには大和の国を守るという強い想いが通底してあった。

それがなんだ。

能天気にエスカレーターの左側にもたれかかるとは、大和の国を斬ってくれといっているようなものではないか。

いつから日本人は唐変木だらけになったのか。
いつから京都にバカでかいけどあんなに便利なイオンができていたのか。
河原町の北側のカバン屋はなんであんなに安いのか。
阪急河原町駅は地下にあるから何回行っても迷うんじゃ。

京都はもはやかつての良識と国士の都ではない。
非合理と寝返りの街、それが京都の現代肖像画。

エスカレーターの右側通行という日本では絶対にやってはならない文化虐殺カルチャージェノサイドが繰り広げられていた・・・



JR千里丘〜阪急山田駅に絶対防衛ラインを構築せよ!

確かに外国人観光客の増加に伴い、世界平均ないし世界標準に合わせるのは短期合理かつ簡潔なのかもしれない。

だがどうだろうか。

我々はそれ以上に大切なものを忘れてはいないだろうか。
我々は先の大戦からいったいどんな教訓を得たのだろうか。
先の大戦はグローバル化の帰着として始まり、グローバル化を否定する方向で終結した。
したがって、グローバル化を推進することは新たな大戦の火種になりはしないか。
あにはからんや直近情勢において、中と米の対立が激化している。
そんな最中にあって、グローバル化を止められるのは我が国の上方・関西をおいて他にない。
日本の伝統たるエスカレーターの左側通行を維持担保することで、グローバル化を引き止め、大戦を繰り返さない。

今こそ冷静な議論が求められている。

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