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食べログ千思万考_低いスコアがつけられない問題
ここ10年ですっかり市民権を獲得した「食べログ」。
日本における飲食店評価の極北となっている。
だが、ブラックボックスとなっている部分が非常に多い。
そこがまたサイエンスにミステリアスの衣を纏わせて、多くの人を惹きつける魔性となっているようだ。
では、
徒然なるままに食べログ論考を続けよう。
低いスコアがつけられない
筆者もレビュアー気取りをやってみた。
だがどうにもこうにも、「低いスコア」がつけられない。
「このお店の人たちの生活がかかっている」
そう思うと「3」を押すのが怖い。
できれば「4」にしたい。
かといって、実際問題「4」は盛りすぎだ。
だがそこはご飯を大盛りにしてもらった恩で「4」なのではないか。
いやそれをいうならガストだって大盛りだったではないか。
じゃあガストの評価も4に修正して、整合性を取ろうじゃないか・・・
といった風情でどんどんスコアが高くなっていく。
低いスコアがつけれない。
高いスコアばかりになる。
それとの相対評価で全体がさらに高くなっていく。
この循環がはたらいて、スコアに上昇バイアスがかかってしまうのだ。
「いいね!」が欲しい
「いいね!」なしでも生きられるが、
「いいね!」なしでは生きたくないね。
No iine ,No life.
やはりレビューを書く以上は「いいね!」が欲しい。
そのためには目立つ必要がある。
極端に低いスコアか極端に高いスコアか。
これが手っ取り早く目立つ二者択一メソッドだと思い立つ。
だがしかし、
先述した「このお店の人たちの生活がかかっている」マインドによって、極端に低いスコアはつけられない。
必然的に極端に高いスコアで「いいね!」をとりにいく。
これもまたスコアに上昇バイアスをかけてしまう。
自己顕示面もスコア上昇ファクターではないだろうか。
「1」はさすがにないだろ
「このお店の人たちの生活がかかっているエフェクト」によって低いスコアがつけられないことはすでに述べた。
だがそれ以外にも「1」という低スコアをつけられないマインドがあった。
高校野球などで、5段階評価でチーム力を分析することが良くある。
「攻撃力3、投手力5、機動力2、チームワーク2」
といった体で5段階評価の五稜郭が完成だ。
孤高のエースによるワンマンチームの完成だ。
だがこの5段階評価で「1」なんて見たことがない。
「5」はままあるが、「1」は人生で目にしたことが一度もない。
人間は体験したことのないものを表現しにくい。
有史以来打たれたことのない「1」を打つことはできない。
「1」の十字架を背負って生きることは私にはできない。
したがって、評価から「1」がぽっかり抜け落ちて、ますます低評価がしづらくなっている。
最近みんな優しい
多分、これは食べログ効果だと思うのだが、
飲食店の人たちがやけに優しくなっている。
先ほどもランチで「鯛めしの美味い食べ方」について懇切丁寧な特殊レクチャーを受けさせてもらった。
そんなことされたら、ますます低い評価はできない。
食べる前に「3」が消えるから「4以上」が確定だ。
こうしてさらにスコアがインフレとなっていく。
コストパフォーマンスという起死回生
現時点でスコアが低い店にも「ハレルヤチャンス」がしっかり用意されている。
それが「コストパフォーマンス」。
評価項目の一つに「コストパフォーマンス」が鎮座しており、これで起死回生を図れるシステムとなっているのだ。
価格を下げれば、コスパが上がる。
この公理を利用して、コスパを引き上げて全体評価を盛り返す。
この逆襲の方程式にしたがって、苦戦店の多くが廉売に活路を見出している。
こうなってくると、ますます低スコアがつけられない。
「コスパがいいから『4』でいいだろ」
とますます高評価方向に食指が滑りやすくなっているのだ。
雰囲気というマーシャルアーツ
「雰囲気」という評価項目も評価インフレバイアスではないか。
「サービス」という評価項目の横にあって、「サービス」とは似て非なる評価項目。
ふんいき。
いい匂い、
いい人、
幻想的、
近現代的、
昭和的、
大正ロマン、
一触即発の幕末情緒たっぷり、
喧騒を伴った居酒屋風情がいなせだね・・・
「雰囲気」はますますなんとでもなってしまう項目で、
ここで調整して「4」にもっていこうという心理を牽引できる。
「4」のアリバイ工作にうってつけの評価項目、
それが「雰囲気」なのではないか。
「4専レビュー」
平均点を上回る高評価には2つしかない。
一つは「4」。
もう一つが「5」。
だが、「5」はとっておきの評価だ。
「桑田・清原クラス」のディープインパクトのために残しておかなければならない。
だから「5」も日常において打つことはかなわない。
したがって、
高評価といえば「4」だけとなる。
その一方で、
上述してきた複合的要因によって「3以下」の低評価はできない。
3を打てない、
かといって5も打てない。
かくして、
「4専レビューアー」がひっそりと産声をあげたのだ。
修羅になれ
徒然なるままに語ってきた。
名残惜しいがお開きの時間が刻々と迫っている。
だが、言語化したことで筆者の課題と解決策は明確になった。
マクドに行こう。