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天動説の日本語/1.2億人の子供に優しい日本人達
日本は天動説の国である。
日本が天動説の国。
どういうことだろうか?
説明しちゃおう!!
・
子供忖度の日本
日本において赤ちゃんが生まれると、子供中心にすべての名称が変更される。
「お父さん」「お母さん」「おじいちゃん」「おばあちゃん」「ワンワン」「ニャンニャン」…
くまなく子供から見て適切化された表現であり、ここまで子供に忖度した子供ファーストの国は日本をおいて他にない。
「お父さん」は妻を「お母さん」と呼ぶようになるし、「お母さん」も旦那を「お父さん」と呼ぶようになる。
これは完全に子供から見た子供のための呼称変更であり、厳密性より子供視線を重要視した子供忖度言語体系に他ならない。
このように日本では、
子供ができると完全に子供中心へと言語体系が変更される。
これは子供が中心の世界への模様替えであり、日本では子供は自分を中心として世界は回っていく。
そして子供たちは世界を自分を中心に認識していく。
だから、日本は天動説の国なのだ。
欧米では?
日本が子供ファーストで天動説の国だということはなんとなくわかった。
では欧米はどうなのだろうか?
欧米でも「ファーザー」「マザー」というお父さん・お母さんに該当する呼称はある。
だがファーザーが妻に向けてマザーとは言わない。
ファーザーは「ユリアー!!!」と今まで通り妻を名前で呼ぶ。
そこには子供への忖度などかけらもない。
欧米では子供から見た視点という発想が希薄なのだ。
欧米では、原則として神が世界を創造したことになっている。
だから神が世界の中心にいて、人々は神の周りを回っているという感覚が強い。
したがって、子供が生まれたからといって子供中心の名称に模様替えされることはない。
神から見た呼称のままで変更はないのだ。
よって欧米において子供は物心つく前から、自分は世界の中心ではなく、自分も世界の周りを回っている地動説的な価値観を刷り込まれていく。
少しだけ難しいことを書くが許して欲しい。
欧米では先述したように子供の頃から地動説的な価値観を刷り込まれていくのだが、これはキリスト教が地動説を否定していたことと相容れない事情だ。
もしも、
キリスト教が地動説を本当に否定していたのであれば、子供の頃から天動説的な価値観を言語体系の中で刷り込んでいったはずなのだ。
日本のように、子供が生まれたらお父さんが妻をお母さんと呼ぶはずなのだ。
しかし、キリスト教圏の言語体系は子供中心にはなっていない。
英語は子供中心の天動説的言語体系ではないのだ。
だがキリスト教は天動説を支持し、地動説を否定している。
言語体系と宗教がミスマッチなのだ。
ここにワタシは凄まじい凄まじいどうしようもねえほどの違和感を感じる。
アイツら、
どこかで、
なにかを、
やりやがったなと俺はずっとずっとずっと思っている。
ここは研究課題だ。
少しだけ難しいことはここまでです🥴
天動説的言語体系の日本
ここまでの流れを整理していこう。
日本では子供が生まれると、家族全体の言葉使いがガラリと変わる。
旦那から見ると次のようになる。
妻を「お母さん」と呼ぶようになるし、親父を「おじいちゃん」と、おふくろを「おばあちゃん」と呼ぶようにガラリと言葉の模様替えがなされるのだ。
子供から見て子供が中心になって世界が理解しやすいように、言葉の模様替えがなされる。
子供は世界の中心にいて、世界が動いている。
日本では子供が生まれると、
天動説的言語体系になって、子供中心の世界が構築されていくのだ。
地動説的言語体系の欧米
一方で、欧米ではこうはならない。
旦那から見ると次のようになる。
妻を「ユリア−!!」と相変わらず名前で呼ぶし、親父は「oyazi」と、お袋は「ofukuro」と子供が生まれる前も後も同じ呼称で呼ぶ。
ここには子供に対する忖度は皆無だ。
子供から見ると、自分が中心の言語世界ではなく、自分も動いている地動説的価値観が幼い時から刷り込まれていくのだ。
自分たちは宇宙の中心を地球もろとも回っている。
これは、地動説を否定して天動説を礼賛していたキリスト教と相容れないはずなのだが…
日本/言語体系と宗教体系が合致した稀有な共同体
日本語/子供に優しい言語体系
世界を理解するには、まず何はともあれ「自分」の存在を知らなければならない。
「自」が「分かる」と書いて「自分」。
世界を理解するには、自分がここにいると分かることが先決なのだ。
そのために、
子供絶対中心の言語が飛び交う日本という国家は最も適した共同体だと言えるはずだ。