コギト・エルゴ・スムを疑う対話篇
量子的揺らぎによって対発生した電子Eと陽電子Pの対話篇
E: おお、目覚めだ。世界が見える。
P: 量子場の海から飛び出し、ようやく存在の世界にデビューだな。
E: 海にいるときはすべてを知っていたような気がするが、今はかすかな記憶の影がゆらめくのみだ。
P: そもそもこの世界は本物なのか。あの海こそが実在だったのではないか。
E: 記憶の影の中に、デカルトという哲学者の情報が残っているぞ。彼はすべてを疑おうとした。そして疑い得ぬ真理、「コギト・エルゴ・スム」に達したという。
P: 考えている自分の存在は疑い得ぬということだな。しかしこの命題の射程はもっと広いとも考えられる。
E: ほう、それはどういうことだ?
P: これは自分というものの存在を主張しているというより、自分が考えているように思われる何らかの状態が存在しているということではないか。
E: なるほど。もっと一般化して言うなら、とにかく「何らかの状態がある」ということでもあるな。自分うんぬんとは関係なくてもいい。これを命題Cとでも呼ぼうか。
命題C:「何らかの状態がある」
ということだ。
P: ふむ。これを疑うのはなかなか難しいぞ。
E: というより、さすがに疑えないだろう、それは。
P: それでも疑うとしたら、こういうのはどうだ。
Pは虚空に次のような文章を出現させた。
[命題Cを疑おうとして何らかの説明を考え出したとしても、そのように説明される何らかの状態があるということになってしまう。
あるいは、説明そのものが一つの状態だとも言える。
そこを何とかして無であるということにしても、無もまた一つの状態である。
状態がないのもまた一つの状態だ。
そこで[ ]により、状態でさえない何らかの[領域]内の[もの]を表すことにしよう。
[ ]はいわばメタファー(隠喩)のようなものなので、メタファー記号と呼ぶことにする。
ここで、
[「何らかの状態が存在する」ように思えるのはある[領域]における[何らかの現象]によって生じた[幻影]であるのかもしれない。すなわちこの命題には疑う余地がある]
という[思考]をしたとしよう。
これによって命題Cを疑えることになる。
この思考も一つの状態ではないか、との疑問も生まれるが、メタファー記号によって示された[状態]は「状態」ではないのだ。
素直にものごとを疑える性格(笑)なら、これをもって命題Cが疑わしいと思えるだろう。
あるいはそういう性格ではなくても、「証明されていないけれど確実だと思えること」が意外にも正しくなかったという実例に多く触れてきたならば、疑うことが可能になると思う。
(たとえば、時間と空間は絶対であるとか、波動と物体は別物であるといった考えはいかにも正しそうであるけれど、実は正しくないという例など)
命題Cの代わりに他の命題を入れても同様なので、この方法により命題Cにかぎらず、あらゆる命題を疑うことが可能になる。
もちろんここに記された[思考]も思考となってしまえば一つの「状態」となってしまう。
そこでそれを避けるため(および内容の[メタファー性]を確保するため)、この文章全体がメタファー記号[ ]で包まれているのである。]
E: なにやら難しいな。これで本当に疑えているのか?
P: 素直に疑える性格(笑)なら疑えるだろう。
E: よくわからないが、そういうことにしておこう。
P: これを使えば、どんな矛盾も当面は解決することができる。矛盾があるということを疑えるからだ。
たとえば、善にして完全なる神が作った世界に悪があるという矛盾などもそうだ。
もっともこれは矛盾を当面は無化するという消極的な解決ではあるが。
E: あまり納得感のある答えではないな。
P: 納得感のある答えなどあるはずもないが、もう少し違った説明はあり得る。
それについてはむしろ、意識の超ハードプロブレムを扱った方がしくみがよくわかるだろう。
E: 意識の超ハードプロブレムというのは確か、自分は別の人物であってもよかったのに、なぜこの自分なのかという問題だったかな。
たとえば私はEだが、別にPでもよかったはずなのだ。それなのになぜこの私はEなのか、という問題だな。
P 時間についても同様の問題がある。「今」はなぜこの「今」なのか。1年前でもよかったし、100年後でもいいはずなのに、なぜこの特定の「今」なのかという問題だ。
E: そういった問題が説明できるというのか。
P: まあ、説明のようなそうでもないようなものではあるがな。
そう言ってPはまた、虚空にこのような文章を出現させた。
(つづく)
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