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川越氷川祭#3-神幸祭の舞台裏-

たくさんの人々が神輿や山車に歓声をあげ、町が熱気で満ち溢れる。川越が一年で一番盛り上がる「川越氷川祭」。町も人も、着々と祭りに向けて盛り上がりを見せ始めています。

川越氷川祭は、当神社の創建以来受け継がれてきた秋の神事「例大祭」と、神輿行列が町を練り歩く「神幸祭」、そして豪華絢爛な山車が行きかう「山車行事」によって成り立っています。

【2024年のスケジュール】
10月14日 例大祭(11:00~)・祭礼始之儀(17:00~)
10月15日 神幸祭日程変更奉告祭(10:00~)
10月19日 神幸祭(13:00~)・山車行事
10月20日 山車行事・本殿彫刻特別拝観(14:30~16:30)
10月21日 祭礼納之儀(18:00~)
※今年は14日~21日までが祭礼期間です。

前稿では神幸祭の魅力・見どころをお伝えしました。

今回も引き続き神幸祭から。
一般的にはあまり知られていませんが、神幸祭の前後にも、祭りに付随する重要な役割を担う町の人々の動きがあります。そんな神幸祭の舞台裏についてお伝えしていきたいと思います。


神様に感謝を捧げる「例大祭」とご神徳をいただく「神幸祭」

神幸祭行列

その前に少し前提の確認をいたしますと、
例大祭」は氷川大神様への感謝の奉納と、氏子参拝者の健勝祈願。
神幸祭」は神輿に乗った氷川の神様が町を巡り、その繁栄を祈る神事。

それぞれが異なる意味を持っており、町内の多くの方が直接的に関わるのは「神幸祭」からとなります。詳細は川越氷川神社#1をご覧ください。

それでは、町内での神様をお迎えするための様々な準備をみていきたいと思います。

【例大祭後】神の力が宿った笠を受け取る「笠渡かさわたし神事」

例大祭の日の夕刻。氏子代表の方々が拝殿に集い、「祭礼始之儀さいれいはじめのぎ」が執り行われます。名前の通り、ここからが川越氷川祭礼の始まりです。

具体的には「笠渡神事」が行われます。古くから神様の依り代になると考えられている笠。これはその笠に氷川の神様の力を宿し、町の人々にお渡しする儀式です。

笠渡神事

りんどうや稲穂といった秋の恵みを飾り付けた笠は、神職の手作り。この笠を町内にお持ち帰りいただき、祭礼期間中の安全をお祈りします。

祭礼笠

【神幸祭前日】祭礼にあたり神様をお招きする場所「会所かいしょ

神幸行列は神社を出発し川越の町を巡行します。その神様をお待ちする場所が「会所」。町内ごとに設置される会所は、祭礼期間中、各町の祭礼拠点となります。

会所がどのようなものかは、町内によって様々。室内のこともあれば、野外の空きスペースに設置されることもあります。神幸祭前日、人々は祭壇をつくり、掛け軸やお供え物を用意。そして「笠渡神事」で受け取った笠を祀ります。

その後、神職によるお祓い「会所開き」の神事を行い、神様をお迎えする場所を設えるのです。

会所開き
会所開き・山車のお祓い

【神幸祭翌々日】笠を返し、お焚き上げを行う「笠脱かさぬぎ神事」

神幸祭と山車行事が無事に終わった翌日、拝殿にて「祭礼納之儀さいれいおさめのぎ」である「笠脱神事」を行います。

祭礼納之儀(笠脱神事)

「笠脱神事」とは「笠渡神事」でお渡しした笠をお返しいただき、お焚き上げを行うこと。神職が火鑽ひきり具を用いて起こした忌火いみび(神聖な火)でお焚き上げをし、立ち上がる煙とともに神様は元の場所へとお還りになるのです。
これで川越氷川祭は本当の意味で終わりを迎えます。

火鑚具で忌火を起こす様子
祭礼笠のお焚き上げ

享和元年(1801)に川越鍛冶町(現幸町)の名主・中島孝昌が著わした地誌『武蔵三芳野名勝図会』には「十六日は笠脱ぎとて其町々におゐて踊を催して終る」とあり、江戸時代より続いてきたことが分かります。

江戸の天下祭の影響を色濃く受けた川越氷川祭。江戸山王祭でも同様に、祭りに携わった人々が、その締めくくりに祭礼衣装をまとって御礼参りをする記録が残ります。こうした細かな習俗までも川越の地に伝えられているのですね。

祭りを通じ、川越の人々の想いを感じる

川越に住まう人々が長きに渡り、大切に守り続けてきたお祭り。そこには先人からの想いも一緒に受け継がれています。

煌びやかな山車や、神輿行列……。その背景にある町の人々の動きを知り、実際にご覧いただくことで、川越氷川祭はさらに興味深いものになるかもしれません。ぜひ、いろいろな視点から祭りを楽しんでみてください。

<川越氷川祭シリーズ>
■川越氷川祭の由緒や歴史的な変遷について

神幸祭 神輿行列の魅力・見どころ


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