見出し画像

「予測できない」から「有望な」ビジネスへの転換

1980年代PCは「予測できない」ビジネスから、次第に将来「有望な」ビジネスへとシフトしつつあった。
そうした時期に国内初のPC専門誌が刊行された。発行元の工学社は代々木にあった。駅の近くにあった書店にときどき行っていたが、付近にぜんらくビルがあり、その中に工学社があった。ここが工学社かと近くまで行って意味もなく確認した覚えがある。
 
話がそれてしまった。
工学社は、1970年代後半にPC専門誌という新しいジャンルの雑誌を創刊した。その後いろいろな出版社からPC雑誌が創刊され、PC専門誌というビジネスが拡大する。当初「予測できない」ビジネスだったものが、「有望な」ビジネスになったのである。
 
ビデオゲームの専門誌というジャンルも同様だ。1985年に生まれ、その後多くの出版社がゲーム専門誌というビジネスに参入することになる。ほとんどのゲーム雑誌が創刊されるのが「有望な」ビジネスになってからのこと。「予測できない」時期に創刊した1誌と「有望な」ビジネスになりそうな時期に創刊した1誌を除いて。ちなみに、ゲーム雑誌を「有望な」ビジネスに変えたのは、ファミコンの『スーパーマリオブラザーズ』だ。
 
ゲーム機はどうだったかというと。プレイステーションに関わる実体験だが、発売前ゲーム業界はソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE:現ソニー・インタラクティブエンタテインメント/SIE)がゲームビジネスに不慣れだということ、玩具店を主体にしたゲーム流通は任天堂の影響力が大きいという理由でプレイステーションはあまり成功しない、ソニー・グループなのである程度の成功はするかもしれないが、というような業界関係者が多かった。
 
会社にプレイステーション雑誌の企画を提案したが、厳しい意見が多かった。SCEのゲームビジネスに関する実績データがないので、自分が立てた予測をもとに説明するしかなかった。結局創刊は承認された。発行部数は希望の3割減だった。プレイステーションが「予測できない」ビジネスの時期の話だ。

プレイステーション発売と同時期に発行した創刊号はほぼ完売だった。プレイステーションの専門誌はこの時期もう1誌創刊されている。
プレイステーションと専門誌が「有望な」ビジネスへと変わっていったのは、1995年半ばぐらいだと思う。そのころになるとプレイステーション雑誌が複数の会社から創刊されている。
 
かつては、PCやゲーム機といったデバイスが本格的に普及し始めると、それに関連した専門誌が創刊されたので、「有望な」ビジネスになった、という動向が実感できた。ある意味専門誌の数がビジネスのバロメーターになっていた。
そして現在。ゲーム専門雑誌はほとんど姿を消した。ゲームに限らず情報メディアは紙からインターネットにシフトしている。
「予測できない」から「有望な」ビジネスになった、と理解するのは、情報サイトにデータ等裏付けのある信頼できる情報が掲載されその記事を読んだとき、複数の業界関係者に、最近の動向を聞きビジネスになっているという意見が多かったとき、である。
 
最近のゲームビジネスにおける「予測できない」から「有望な」ビジネスへの転換を考えると、例えばコンソールゲーム。任天堂は、Switch後継機の発表を今年5月に行った。任天堂には多くの人気IP(ゲームというコンテンツやゲームに登場するキャラクター等知的財産)があるので新機種でもその続編が期待されるため、コンソールゲームビジネスは「有望な」市場になるだろうと予想がつく。
 
一方スマートフォンのゲーム市場は成熟化して久しい。PCやスマートフォンは、ゲーム機のように外観の大幅な変更はほとんどない。こうした事情があるので、ゲームビジネスに新規参入するとなると、ゲームやシステム上のサービスの新奇性をアピールしなければならない。ここしばらくの動向というと、新技術を活用したブロックチェーン(NFT)ゲームやVRゲームがまず思い浮かぶが、まだ「有望な」ビジネスには至っていないようだ。

いいなと思ったら応援しよう!