ゲーム音楽がビジネスになったとき
ムーンライダーズの映画『マニアの受難』をCSテレビで放映していた。映像の中にキーボード担当岡田徹さんの姿があった。1980年代末岡田さんを取材に行ったことを思い出した。『ソーサリアン・スーパー・アレンジ・バージョンIII』(CD)発売前キングレコードから依頼があったからだ。場所は同社近くのレコーディングスタジオだったと思う。
このCDは、PCゲーム『ソーサリアン』の追加シナリオ『戦国ソーサリアン』『ピラミッドソーサリアン』のゲーム音楽集だったが、難波弘之さんと岡田さんがそれぞれアレンジしたバージョンが3曲ずつ収録されていた。
ムーンライダーズといえば、鈴木慶一さんもファミコン『MOTHER』(1989年/任天堂)のゲーム音楽を手がけている。京都の任天堂で『MOTHER』の発表会があったとき、終了後ファミコンの『MOTHER』が取材に訪れたメンバーに配られた。帰宅後早速ゲームをプレイしたが、ゲームミュージックが気に入ったので『MOTHER』サウンドトラック(CBSソニー/カセットテープ版)を購入した。
プロの作曲家の中ですぎやまこういちさんは、いち早くゲーム音楽に参入している。『組曲「ドラゴンクエスト」』(アポロン音楽工業/1986年)のほかに『ファミリークラシックコンサート ドラゴンクエストの世界』を1987年から2019年まで開催している。
すぎやまこういちさんをインタビューしたとき、作曲家の宮川泰さん(『恋のバカンス』等)にゲーム音楽を手がけた方がいいとアドバイスしたという話を聞いた。その後宮川さんは、光栄(現、コーエーテクモゲームス)のPCゲーム『提督の決断』の音楽を担当している。
すぎやまさんの対談連載も担当していたが、羽田健太郎さんに出てもらったことがある。ファミコンの『ウィザードリィII リルガミンの遺産』(アスキー)の音楽がよかったのでカセットテープを買っていた。すぎやまさんから羽田さんとの対談を提案されたとき、ぜひとお願いした。羽田さんは、当時いろいろなテレビ番組に出演され多忙な毎日だったが快諾いただいた。
1980年代後半、こうした実績のある作曲家が続々とゲーム音楽に参入してきた。
一方大手のゲーム会社には、ゲーム音楽担当の社員がいた。
例えば、任天堂の近藤浩治さんは、『スーパーマリオブラザーズ』『ゼルダの伝説』等、スクウェア(現スクウェア・エニックス)の植松伸夫さんは、『ファイナルファンタジー』等ゲーム音楽を手がけている。もちろんファミコンの時代以降も多くの各社のクリエイターがすばらしいゲーム音楽を手がけている。
国内初のゲーム音楽ディスクというと、1984年発売された細野晴臣さんプロデュースの『ビデオ・ゲーム・ミュージック』(アルファレコード)である。古きよきアーケードゲームの時代を感じさせてくれる不朽の作品だ。
その後、商業的なゲーム音楽の ディスクは発売されていないと思う。
ゲーム音楽の流れは、国内初のゲーム雑誌の付録ソノシートが細々と受け継いでいく。
1986年『スーパーマリオブラザーズ』等ゲーム音楽を収録した『ファミコン・ミュージック』(アルファレコード)が発売された。
そのころゲーム機ビジネスは急成長していたが、それと同時にゲームファンも増えていた。
この時期にプロの作曲家がゲーム音楽に参入し、また、ゲーム会社のクリエイターが素晴らしい楽曲を手がけ、ゲーム音楽はゲームファンに広く親しまれるようになった。人気タイトルのゲーム音楽はLPやカセットテープ、CDで続々と発売された。数年の間にゲーム音楽ビジネスは大きく成長した。
ゲーム音楽の歴史を振り返ってみると、ビジネスのきっかけになったのは、『スーパーマリオブラザーズ』になるだろう。その後ゲーム音楽ファン層は拡大し、ゲーム音楽ディスクの販売やストリーミング配信、コンサートは一般的になり、ゲーム音楽は音楽のジャンルのひとつになった。
ゲーム音楽を多くの人に知ってもらいたいという思いで、ゲーム音楽のソノシートを付録にした雑誌関係者として、今の状況はとてもよろこばしい。