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靄のようなゼミの記録(12/2)
靄 [読み] もや
[意味] もや、かすみ。大気中に無数の微小な水滴が浮遊し、遠方がかすんで見える現象。
昨日は大学院の村山ゼミがあった。私は未だに自分のテーマを見つけられていないので、毎回くだらない大喜利のように、構想のお題や頭に浮かんだ抽象イメージを披露している。
今日の構想イメージ 抜粋
・1つ取得する代わりに何か1つ捨てる
・自分は何者かである or あるはず
・過去と大過去をつなげる
・スマホを見て思い出に浸りながら不要な画像を捨てる飲み屋
・自己プロデュース教育(なりたいキャラ設定、ブランド設定)
・自分を他人のように客観視する
・好きな窓を持って帰る(窓屋さん)
・何度来ても異なる不思議な感覚を味わえる店
・「世界の果て」は実は自分の部屋だったという設定
・支離滅裂に考える(論理的に考えない)訓練所
[ これらに共通する事項 ]
持ち物が多すぎる
過去が好き
自分をどうにかしたい
存在、場所、時間をすり替えたい
当たり前のものがつまらない
結局のところ自分としては、目的を持たずに物を考える「非目的的思考」や、論理的に物を考えない「非論理的思考」みたいなことに美徳を感じているのだと改めて思った。
これに対する村山先生のフィードバック
・テーマはもう「非論理的思考」でいいのではないか。
近しい存在は、天然な人、障害者アーティスト、言葉を壊す人たち、詩人。
・非論理的思考という言葉。「非論理的」であるとしながら、「思考」は本来論理的なもの。また、言葉はそれ自体が論理的なもの。ここに「非論理的」と「論理的」のねじれがあり、面白みがあるように思う。
・詩人は翻訳家である。自分の中の社会を翻訳する存在。
・私には「冷たい水が張られた湖の上に立っている」感覚がずっとある。35歳ぐらいから。そういうものが発見できると、穏やかな気持ちになる。
・自分の満足を追求しているうちは良いものが生まれない。
・構想の「コア」みたいなものを求めるのは20世紀的な発想。
・非論理を作り出せるのは、複数人ではなく1人でいる環境なのではないか。
・目指すべきは論理と非論理の間にある線を消すことなのではないか。
さて私はどこに向かっているのか。計画書の提出までいよいよ2か月を切った。(つづく)
※なお、村山先生をモデルにした掌編小説を書いたことがある