「今まで何冊くらい本を読んだの?」と言われましてもねぇ
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
先日、知り合いが主催する読書会に参加したら、軽い口調で「今まで何冊くらい本を読んできたん?」と聞かれた。
読書が好きだと周りに話したことがある人ならば、一度は似たような質問を受けたことはあるかもしれない。
だが、読んだ本は全て読書用のノートに記録しているとか、1冊目から読書メーターを活用しているのならまだしも、大抵の読書家は今まで何冊くらい読んできたのかと聞かれても困ると思う。
ここ1ヶ月、1年間でとかならば、なんとなくの目星は付けられる。目安は出来上がっているから、概ねの数字を出すことはできよう。
ただ、必ずしも1年間に読んだ本の冊数×(年齢-本を読まなかった歳月)になるわけではない。気分・感情によって読むペースも異なる。
ましてや、この「今まで」というワードが厄介で、今までと聞かれると、全生涯を通じて何冊くらい読んだかという質問になる。
そうなると、子供の頃に読んだ絵本とか、小学時代に読んだ「ウォーリーをさがせ」や「ミッケ」も含まれるのか気になってしまう。
ちなみに漫画は読書に含んでも大丈夫なのか、フリーペーパーは読書に含まれるのかというものも、考慮しなければならない。
個人的には、どこまでを「読んだ」に該当させるのかも気になってしまう。パラパラっとめくった雑誌なんかも「読んだ」に含んでいいのか、はたまた最初から最後まで通読したことを指すのか。
そして何より怖いのが、自分で言った冊数の信憑性もさることながら、その数字が果たして相手を喜ばせることができるかである。
例えば仮に、1,000冊くらい読んだとしよう。それでもかなりの数だと思うが、相手も実はそれくらいだったとしたら、意外と少ないねということになりかねない。
かと言って数字を盛るのも忍ばれる。盛ったら盛ったで、じゃあその本全て頭の中に入っているのかとか、無駄な揚げ足取りをくらいそうでならない。
おそらく質問した知り合いも、そんな細かい数字を求めてないのだろう。ただアイスブレイク程度に訪ねたのだろうが、その間に読書家は頭の中で様々なケースを考えているのだ。
結論、荒木飛呂彦さんの「ジョジョの奇妙な冒険」第1部のディオ・ブランドーではないが、「お前は今まで食ったパンの枚数を覚えているのか」と言い返すのが関の山である。
流石に人間をやめてまで読書家になるつもりはないけれどもね。それではまた次回!