声に出して読みたい作品
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
本の読み方には、速読や精読、併読に積読など様々な方法がある。
先日、東京読書倶楽部の読書会に参加された方が、普段から本を紐解くときは、「音読」していますと語っていた。
実を言うと、私自身も、たまに「音読」をすることがある。
ただ大抵は、酒に酔っ払っているときである。あるいはお風呂に入りながら、テンションが上って音読することも多い。
最近だと、ダグラス・アダムスの「銀河ヒッチハイク・ガイド」。こういうテンポの良いユーモアな作品は、音読していて楽しくなる。
レイモンド・カーヴァーの作品も、私的には音読がしやすい本に入っている。「ぼくが電話をかけている場所」とか、何か陶酔しちゃう。
そもそも、村上春樹の翻訳作品自体が、妙に音読をしたくなることが多い。
スコット・フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」なんか、ワインを飲みながら、時折声に出して読んでいた。「オールド・スポート」とか、実際に言ってみたりね。
個人的に、音読がしやすい本(作品)と、音読がしにくい本がある。その違いは、リズムに乗れるか否かが多い。
歌と同じようなもので、リズムよく読める(歌える)ものは楽しい。だけど、リズムが取りにくいと、読む(歌う)ことに集中してしまう。
一度紐解いて諦めかけている黒田夏子さんの「abさんご」も、リズムが取りにくいタイプだ。
いや、むしろ言葉と文脈を理解するために、音読しているケースでもあるのだが。
話を戻すけれども、そんな風に音読がしやすい作品、と言うべきか、つい声に出して読みたくなる作品が、2つある。
1つは、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」。
小学校の頃、何度も国語の授業で取り扱ったからというのもある。
ただ、当時のNHKの教育チャンネルにて、「雨ニモマケズ」をただ音読するだけのコーナーが、やたらと耳に残っている。
もう1つは、谷川俊太郎の「生きる」。
以前読んだ鯨庭さんの「言葉の獣」という漫画にも引用されていて、このような素敵な言葉に出会うために、言葉の生息地を彷徨う。
これも小学校の頃、国語の教科書に載っていた詩。臨海学校の夜、クラスメイトたちと輪読した記憶もある。
だからこの作品を読んでいると、私の声だけでなく、小学生時代の音読していた頃の声が、かすかに蘇ってくる。
音読には、そういう効果もあるのかしらん。それではまた次回!