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読書会は「意味がない」のか?
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
検索エンジンで”読書会”と打ち込むと、候補の中に「読書会 気持ち 悪い」に次いで「読書会 意味ない」が出てくる。
他所様の読書会にもそれなりに参加してきた中で、実際に「やっぱり読書会はつまらなかった」と語る方にもお会いしたことはある。
私も神保町で読書会「東京読書倶楽部」を主催して早2年半以上。大変申し訳無いけれども、「あぁ、この方はもう東京読書倶楽部には来ていただけないだろうな」と感じてしまうこともある。
それは私が主催している読書会が、課題図書ではなく自由図書として、良くも悪くも「自分の全く興味のない本」について紹介されることもあろう。
同じ本を読んでいれば、自分はこう思った、でも他の人はこう思うのかなど、捉え方の違いを知ることができるだろう。
はたまた、自分が読んだときに疑問に思ったことを、他の人ならば解決してくれるかもしれない。
著者の意図や目的を、同じ作品を通じてより深めることは、課題図書として全員が同じ本を読んだからこそだと言える。
もっとも、課題図書だとしても、全員がそこまで深く考えて読んでいるとは限らない。
先日、課題本系の読書会に参加したときのこと。「この作品で登場する〇〇にどんな意味があるのか?」と考えて読む人もいれば、私のように「とにかく、面白かったです」という感想しか言えない人もいる。
たとえ同じ本を読んでいたとしても、自分が求めている答えが得られないのであるならば、その「読書会は意味がない」ってことだろう。
東京読書倶楽部のように自由図書型の読書会は、自分が知らない分野の本を知ることはできる。自分が知らない世界を知ることができる。
逆に言うと、自分が知りたい世界は知ることができないかもしれない。
つまるところ、人によって読書会に「求めているもの」が違うのだと考える。
とは言え、読書会を主催している一人として、「読書会に意味がない」とは思っていない。
大前提、「好きなことを語る場所、それ自体に意味がある」と思っている。
好きなことを語るなかで、そして好きなこととのかかわりを語るなかで、その人自身が生き生きとしていいく様子を目の当たりにしていました。
なかなか好きな本や読書について、気軽に話せる友人が近くにいないからこそ、思い思いに好きなことを語り合える。
そもそも読書会のグランドルールは、絶対に紹介された本を否定・批判をしないこと。
特に自由図書型の場合、「その本が面白いのは、その人の人生経験が、その本を面白くさせた」という解釈のもと成り立っている。
単純に言うと、何の本であれ紹介した本を否定することは、その人の人生を否定するのと同じことである。
話し手も聞き手も、全員読書が好きな人として、自分が好きなことを語る。
その空間自体が、意味のあるものではあるまいか。
東京読書倶楽部の読書会では、「好きなことを、好きなように、好きなだけ語りましょう」をモットーに主催しております。
語り方とか伝え方とかにこだわらず、ただただ好きな本について語りましょうと伝えております。
そんな場所になれればと、神保町で読書会を主催してますので、ご興味ございましたら是非参加していただければと思います。
皆様とお話できるのを、心よりお待ちしております。
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