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褒められたいのよ。

川口市出身の自称読書家 川口竜也です。

昨日、上司に相談したことでもあるのだが、ここ一週間、ちょこっとナーバス気味。

noteの記事も含めて、少々冗長に書きすぎている気がしてならない。

ライターとしての仕事は楽しい。書くこと、それ自体が好きだし、ひと記事書き上げ時には、やり遂げた達成感を得られるもの。

ただ、何のために記事を仕上げているかと問われたら、当然、誰かに読んで欲しいから。

機械的に、定期的に記事をしたためれば、それで満足できるわけではない。

noteの投稿が続いているのも、何だかんだ言って、フォロワーという読み手がいるから。

スキを頂いたり、ときには(快い)コメントを頂いたりすると、自己満足だけだはみたされないものが得られるもの。

特に、「実際に読んでみました!」というようなコメントはとても嬉しい。たとえ私にマージンは入らないにしてもね。

そりゃ私は出世競争を諦めた(もとい、その土俵にも立っていない)立場でしごとをしているけれども。

だけど「出世」を望んでないからと言って、「成長」を望んでいないわけではないのだ。

実際、ジョブ・ホッピング時代に事務職も経験したことがある。

毎日電話対応して、データを打ち込んで、書類をまとめて。この同じことの繰り返しが、私には合わなかった。

父はよく私のことを「公務員(特に役所)に向いている」と言った。だけど、潜在的にそういう方向性は嫌だったのだと、今になっても思うんだ。

もちろん、自分が好きなことで仕事をしているのだから、それだけで充分幸せという想いももちろんある。

少なくとも、工場の現場作業員や営業職時代と比べたら、精神的にも充分満足している。

だけどさ、とても単純な話、褒められたいんだよ。何かにつけて。

ちゃんと自分は仕事をしているんだって、認められたいのよ。

それって悪いことかしらん? 承認欲求を求めすぎなのだろうか?

でもさ、記事が公開される前に確認が必要だとしてもさ、少しくらいフィードバックがある方が、改善の余地があるじゃないか。

自分で言うのもなんだけれども、絶対に完璧な文章ではないのよ。どれだけ自分が読み返してみてもさ。

ときに校閲は、とても心をえぐられることはあっても、ライターとしてまだまだだと実感するし、それが、成長につながるのだから。

まぁそういう時期もあるよね。うん。

つまり僕が言いたいのは、君はなんらかの意味でこの前の君とは違っているということなんだ。うん、うまく説明できないんだけどさ。

サリンジャー「キャッチャー・イン・ザ・ライ」205頁より抜粋

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川口 竜也 / 川口市出身の自称読書家
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