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トラウマ読書

 迂闊に読んでしまった本で、魂を揺さぶられ、寝れなくなってしまった経験が少なからずある。トラウマ読書と、僕は呼んでいる。しかもその後も何度も思い出し、そのたびにザラっとした気持ちにさせられる。脳の海馬に焼けた鉄ごてで、じゅううううと刻印されたように、決して忘れられない。まさにトラウマだ。
 罪作りなことに、だいたいにおいて、そのような本は面白い。精神的に緊張を強いるほどのリアリティがあり、怖いもの見たさが膨らんでいく。まずい、ここまま読み進むとヤバいとわかっていてもやめることができない。

 こんなことを書きたくなるのは、昨日たまたま横浜駅のジュンク堂でたまたま手に取ってしまったハン・ガンの「菜食主義者」がまさにそれだったからだ。ノーベル文学賞をとった、というポップに惹かれ、予備知識なくページを捲り始めたのだが、あっという間にその世界に引きづり込まれれてしまった。まだ読了していないのだが、もう次の章が気になって仕方がない。心の奥底にある、存在の根っこみたいなものが、ぐらんぐらんと揺さぶられるような物語だ。いい小説って、いいグルーヴをもっているだんけど、それが自分とピタッとハマった時には、もう身体に染み込むように読める。

 少し影のある、内的な物語に惹かれがちなのだが、その端緒になった作品が、人生最初のトラウマ読書だった。

 愛知の片田舎で育った僕にとって本屋は、キラキラした世界との接続点だった。近所の小さな書店で、少年ジャンプをよく立ち読みし、お小遣いを貯めて星新一を買っていた。それは小学校5年生の夏休みだった。その本屋でアルバイトをしていた大学生から「面白から読んでみたら」と軽い感じで1冊の本を勧められた。茶色いセルロイドの眼鏡をかけたプレッピーな風貌の彼からは考えられない陰鬱な小説、それが僕にとっての最初のトラウマ読書だった。

 フランツ・カフカの「変身」。

 主人公のグレゴザール・ザムザがある日突然、虫になって目覚めるアレだ。短い物語だから一晩で読んでしまい、そのあと頭の中が虫に支配され、眠れなくなってしまった。
 虫になった主人公がひっくり返ってしばらく動けないとか、家族がそれを疎ましく思うとか、とにかくリアルな描写に、純真な大作少年はハマってしまった。父親が投げつけたりんごが背中に刺さるあたりから、絶望的な気分になり、読了しても、まったくすっきりしない。悪夢をみたようなそんな体験だった。
 この時、カフカと衝撃的な出会いをしたことで、文学というのは危険なものだ、ということを思い知った。そしてその深みにハマった僕は、大学でもドイツ文学科に進学することになるである。トラウマ読書は人生をもドライブする。

 大人になってから読んだもので、あまりの衝撃に途中で読めなくなってしまった作品もある。しばらくはザラザラした感覚がずっと残っていて書影を見るのも辛いぐらいの体験だった。

 桐野夏生の「OUT」。

 お風呂場で死体をバラバラにするシーンがでてくるのだが、これが凄まじく描写が丁寧。読んでいるうちに、鼻腔に血の匂いが感じられるほどで、そのシーンを読み終わったら、どっと疲れてしまい、それ以上読むことができなかった。先を知りたいのに、その先が読めないでいる。

 これ以上のトラウマ読書はありえない、と思っていた。しかしそれをこえるとんでもない作品に4年ほど前にばったり出会ってしまう。

 誰もが知る、世界的にも名を知られた昭和の文豪が書いた短編。「OUT」と同じように「死」を扱っているだが、その超絶リアリティに慄きながらも、短編ゆえに最後まで読んでしまったのだ。そのトラウマ度は超弩級で、今でもふっと思い出すたびに、その情景がありありと思い浮かんでしまう。この短編に出会ってしまったことを恨めしく思う一方で、さすがの筆致で、あっという間に読ませてしまう文豪の文章力にはほとほと関心させられる。

 その短編とは?

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