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光がみえた かもしれない

昨日は、自堕落な負モードからやっとこさ浮上して迎えた、最初の休日だった。
風は草花を結構な角度で煽るほど吹きはじめていたが、少しだけでも、外の空気を吸いに出掛けた方がいい気がした。

ちょうど、家のコーヒー豆が切れている。
遠出はしたくない。美味しいケーキが食べたい。
ふっと浮かんだのは、行ってみたいと思いつつ、ずっと機会を作れずにいたカフェ。
Googleマップに「行ってみたい店」として登録してから1年以上経っている。
歩いて20分ほど、電車を使えば10分もかからない距離にそのカフェはある。故に、なかなかな高さのハードルとなっていた。
美味しいスイーツを買って帰り、お気に入りのカップでカフェラテを作れば、どこの店よりも居心地の良いカフェが出来上がってしまう。
音楽を聴くなり、ラジオを聴くなり、映画を観るなり、アニメを観るなり、縛りなく自由に過ごせてしまう。
歩いて行けちゃう距離のカフェなんて、「わざわざ行く」以外ないのだ。

先週までの自分だったら、外の強風を見た時点で、迷うことなく家から一歩も出なかっただろう。
心身の浮上と比例して、感覚も冴えてきたようだ。
わざわざ足を運んだそのカフェは、予想を超えるほど好みだった。

まず、テーブル。びっくりした。
自分が家で使っているテーブルと、全く同じだ。色も、サイズも。
一生使い続けたいと思えるものを買おうと、吟味と熟考を重ねて購入したお気に入りのテーブルだけに、このカフェがそれを選択している時点で、気持ちが上がる。
店内の一角には、造り付けの大きな本棚が。
大きいけれど、本をぎっしりと並べたりはせず、オブジェやブックエンドで余白を作り、圧迫感が出ないように配慮されている様子。
たっぷりと贅沢な空間に配された書籍たちは、なんだか心地良さそうだ。
椅子に手荷物を置き、どれどれと本の背を見ていくと、いやいやいや、ちょっと待って、、、
見覚えのあるタイトル。私が持っている本だ。
他にも、好みのアートブックやら、購入を検討中の本やらで、「この本棚ごともらっていいですか?」と言いたいくらい嗜好が酷似している。
ここに来た一番の目的はコーヒー豆を買うことだったが、注文したカフェラテを飲む前にもう、「来て良かった」が確定した。

気分が良いと、気の流れというものも良くなるのだろうか。
この日の午後、何気ない行動から偶然目にして、妙に引っ掛かりを感じて出合ったものがある。
一晩寝て、今日になってそれは光に変わった。
生きるを続けるために必要な、私にとっての光。
簡単に言えば、生業にしたいやりたいこと。
生きる意味なんて見出そうとするから、自ずと彷徨い苦しむわけだが、それが無いとどうにも身動きが取れず、生に対して悲観的になってしまうのだから、仕方がない。
その光度はこれからもっと強くなるかもしれないし、思いの外弱くなってしまうかもしれない。自分次第だ。

岡本太郎作 『若い夢』

昨年、元々行くつもりは無かったが、観ておくかと期待せずに訪れた「展覧会 岡本太郎」で、思いがけず泣きそうになってしまった作品、若い夢。
私には、夢という「光」を具象化した姿に思えて、太郎氏に背中を押されたように感じた。
時々、この写真を見返しては、
同じことをくりかえすくらいなら、死んでしまえ 】
という太郎氏の言葉を、戒めのように思い出す。

あっという間に4月が終わり、明日から5月。
でも、大丈夫、光のほうに進んでみよう。

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