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君たちはどう生きるか - 随想録 -

幸いに
同じ時代を生きている
奈落を照らす、薄明光線


昨夜からずっと放心している。
いや、放心というよりも、情報や感情が行き交って纏められないでいる、故に没我している状態という表現が、しっくりくるような。
五条悟の無量空処って、こんな感じなんだろうか、、、なんて思ったり。

『君たちはどう生きるか』

公開初日。
ポップコーンの香り漂う満席のレイトショーにて、鑑賞してきた。
映画を公開初日に観たのは初めてのこと。
どうしても、この作品はそうしたかった。
数年前に制作が発表されてからずっと、ずっっっと楽しみにしていた。
宮﨑さんの最新作を観るまでは、絶対に死ねない!死にたくない!と、本気で思って生きてきた。

”前情報一切無し”という戦略を馬鹿にしている彼奴等もいるようだが、そんなことはどうでもいい。
真っ新な状態で作品と向き合うことが、こんなにもワクワクするものだったかと、忘れていた感覚を呼び覚ましてもらったような、もはや新鮮にさえ感じる経験を出来たことに、心から感謝。
そしてこの感覚が味わえるのは、最初で最後、初見のたった一度きり。
情報を遮断する方が困難な世の中で、この経験は本当に貴重だ。


私の涙腺は、元栓が緩い。
家族からも呆れられるほどすぐに泣く。
ジブリ作品冒頭の「青いトトロ」で、私はもう泣いている。
これはジブリ映画では毎度のこと。
まぁ単純に、「リアルタイムでジブリ作品を映画館で観れる喜び」が溢れすぎるゆえの事象だ。

・・・で、なぜ無量空処状態に陥っているのか。
(以下、ネタバレしたくない方は読まない方がいいかもしれません)

上映中、私は一体どれだけ泣いただろう。
号泣は無いが、鼻水がギリギリ出ない程度の涙が幾度も流れた。
要因は、想起。
ラピュタ、紅の豚、耳をすませば、もののけ姫、千と千尋、ハウル、ポニョ、風立ちぬ…宮﨑さんの意図は定かじゃないが、これまでのジブリ作品を想起してしまう描写や背景が、所々で出てくるのだ。
その重なりが増す度に、宮﨑さんが自身にとっての集大成としているように思えて、本当に、少なくとも長編作品はこれが最後なんだろうなと”現実”を感じて寂しくなり、と同時にそれを観ることが出来ている”今”に幸せを感じ、涙が溢れた。
君たちは…の主人公と一緒に、これまでのジブリの世界を辿っているような、行き来しているような感覚だった。

非常に嬉しかったのは、宮﨑さんならではのファンタジー要素がしっかりと盛り込まれていたことだ。
序盤はそれが鳴りを潜めているが、ファンタジーに向かって助走していく様子から期待は膨らみ、そして一気に開花したときには「待ってました!!」と高揚した。
幻想的な雰囲気を引き立てていた、背景美術もとても素晴らしかった。
ターナーのような光や色彩が特に印象的で美しく、大画面に広がる様は圧巻だった。
エンディングには、ジブリ美術お馴染みの方々の名前が並んでいて、それを観てまた泣く私であった。

『君たちはどう生きるか』

この問いを、直接的にこちらに投げかけているようには感じなかった。
主人公がその問いと向き合うシーンはあるものの、そこにはあまり重きを置いていない(作中で時間を割いていない)。敢えて押し出していない印象を受けた。
生き方に苦悩して試行錯誤して、諦めずに足掻き続けて光が差して…みたいな展開とは違う。
もっと大きな余白をもって、「どう生きる?」と、懐深くふんわり問い掛けられているように私は感じた。
その問いと向き合うかどうかは、君次第だよ、と。

自分と向き合うこと、自分の生き方を自分で考えて行動すること、生き方を自分で決める(他人に責任転嫁しない)こと。
地下での話は、あぁいうふうに世界が作られたかもしれないし、主人公の空想かもしれない。でも、それはどっちだっていいんだ。
”こうじゃなきゃいけない”って、宮﨑さんは解釈を強制していない。
だからこそ観る側も自由に想像を広げ、より楽しむことが出来る。

人間とはどうあるべきか、、、”べき”と言うと強くなってしまうが、”人間らしい豊かさ”とは?と、問題提議されているようにも感じた。
今、この世の中、白黒ハッキリつけたがる風潮がある。
あまりにも理屈っぽすぎる、理屈の横行闊歩。
どちらでもある、どちらでもない、そういうものが排除されがちだ。
理屈も時には大事だ。
けれど、それだけじゃ面白くないし、窮屈すぎて疲弊してしまう。
正論だけが正義じゃない。それも考え方の一つとして、自分の中に余白を作って相互承認していけたら。
人間には、想像する力があるのだから。

個人の意識が変わらないと、世界は変わらない。
世界がギリギリの状態で保たれていることのシーンは、とても強く頷いた。
今だって、日本で戦争は起きていないが、他の国では起きている。
日本で起きていないだけで、日本だって加担している。
日本で戦争は起きていないが、戦争だけが平和の証明なのだろうか。
果たして今、日本は平和と言えるのだろうか。


先の日の、りゅうちぇるさんの死。
とてもショックだった。
私は彼と状況は違うけれど、自分らしい生き方を模索し、きっと物凄く悩み考え、決断し行動して、らしく生きられる方へ自分を動かしていった、そういう類似点はあるように感じていたから、彼の選択は立派だと思っていたし、影ながら応援していた。
ワガママと言われればそれまで。
でも、何と言われようと、自分の人生なのだ。
私はまだ、人のために生きたいと思えるほど成熟していない。
誰かのために生きたいと、本心から思えるようになったら、そう生きればいい。
ただそれだけのことだと思っている。
彼を死へと追い詰めたものが、他人による誹謗中傷なのだとしたら、無責任な匿名加害者たちに心底腹が立つし、とても悔しい。
やっと、スタートラインに立てたのに。

君たちはどう生きるか

こうやって深掘りして言葉にすることで、領域からは抜けられた気がする。
昨夜は生温い風に吹かれながら、家の付近を10分ほど散歩し心を落ち着かせ、コンビニで白くまと北極を買って帰宅した。
溶けていく白くまを余所に、心ゆくまま写真を撮り続けた。
今日はエクレアとクロワッサンの写真を撮り続けた。
結局、一番の良薬は「言葉による表現」だった。
2回目はいつ観に行こうか。

強く、優しく、自分らしく、生きていきたい。


˚✧˳₊⁎ 長文を読んで下さった皆さま、ありがとうございました ⁎₊˳✧˚

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