お別れの日
術後の経過
当日帰宅後麻酔切れてきて地獄。まじで寝れない。小がしたくてトイレに行ってもケツに全部意識持ってかれて小が出せない。きつい。やむなく立ってぽこちんを出し続けてなんとか出る。
翌日術後の診察、問題なし。ケツに蓋をするように貼っていたガーゼを剥がされて薬を塗られる。痛すぎて寝れないと伝えたところ、カロナールを処方される。
2日目〜7日目 まじで地獄。オムツにゴルフパンツで契約に行く。移動が地獄。肛門括約筋が活躍できないため、常にケツに意識を向けないとおっさんとしての尊厳を失う危険性に晒される。帰り道、家に着く30秒前ぐらいが1番漏れそうになる。なんなのあれ。少しだけ漏らしたというよりは漏れ出た。悔しい。便意を催してトイレに座る。激痛が襲ってくるがいきんではいけないので、ラマーズ法みたいな呼吸になる。尻呼吸をなんとか会得する事により少しだけ楽になった。ヒカリエのトイレ最高。ラブヒカリエのトイレ。
術後1週間の診察も経過は順調とのこと。次回は3週間後。しばらく暑いのでシャワーばかりだったけど、その日お風呂に入る。※ケツに沁みるとかは無い
リカバリーウェアの長ズボンと短パンを二重で履いてケツを温める。
8日目 あれ?めちゃくちゃ楽なんだけど?なにこれ?およ?と困惑する朝。幸い週末なので基本横になりながら調べ物なりなんなりをする。だいぶストレスが無い。便を柔らかくする薬のおかげか、ソフトクリー●の機械から出てくるみたいな感じで若干の痛みとともに出せる。悪く無い。でもまだオムツは少しだけ汚れる。アナルもまだ腫れてる感じがある。
9日目 スポーツができないストレスを感じ始める。体幹を除く筋トレを少しする。
14日目 目の前で酒を飲んで気持ちよさそうなおじさん達を見ながらウーロン茶を飲む。麻婆豆腐を一口食べたけどまだ危ない気がしてすぐやめる。そろそろ炭酸も飲みたい。来週はいい気がする。久しぶりに油を多めに摂取した気がする。ちょっとお腹の調子悪い。
15日目 めちゃくちゃ暑い。少し外に出て汗だくのオムツを脱いだら汚れてない。これは...!と思いシャワーを浴びて布パンツを履く。念のため汚れても大丈夫なように一枚例のやつを挟む。ちょっとお腹の調子悪い。
16日目 夜に軟膏をぶっ刺して注入するのでオムツして寝たけど朝起きて綺麗なまま。これはきたか。元気出てきた。今日はダラダラとテレビを見た。27時間テレビで高校生がハモネプしてたのを見て、キラキラが眩しすぎてジーンとした。
17日目~仕事も布パンツで過ごしてみる。一枚かませてたんだけどやっぱりすこしだけ汚れるから噛ませたほうがいい。
18日目 親方のキラキラした店長仕草を見ながらウーロン茶を飲む。かっぱえびせんとウーロン茶は最強。みんなシャンパン入れまくるから、ママの顔が艶々してて、目に金って書いてあった。一応一枚かませる。
19日目 内見行ったら溶けるとこだった。なんか便秘っぽくてちょっとムカつく。下剤仕事して欲しい。なんなんこれ。ちょっとマグネシウムを摂取する時間早めて水分がぶ飲みしてみる。一応一枚噛ませてたけど汚れなし。
20日目 やっぱちょっとアナルのとこで詰まってるような感じがある。ムカつくので水分をひたすらとる。久しぶりに食べたラーメンはすごくすごく美味しかったです。布パンツのみで過ごす。汚れ無し。これはそろそろいいのではないか。
21日目 詰まってる感じがあったんだけど、一瞬忙しくて薬飲み忘れたからだと発覚。ちょっと飲む間隔を短くしたら無事にソフトクリームチョコレート味。この感覚みんなに味わってもらいたい。うんこ味のうんこ。そして無事に3週間経過。だいぶ腫れも引いて納まりがよくなってきてる気がする。世界が変わる予感がする。
22日目 特段無し 23日目 軽めにスポーツしてみる。ちょっとむずむずするかなーぐらいの状態。全力はまだダメなんだと思う。筋トレはもう少し増やそう。お腹大事に、アナル大事に、ノーセックスでそろそろ悶々としてる。賢者の素質はどうやら無かったみたいだ。
23日目 特段無し 24日目 地獄のような暑さのなか打ち合わせと内見。もうアナルどころじゃない。でもアナル冷やすの良くないから暑くていいのかもしれない。は?
25日目 ヒリヒリする電話をする。アナルはヒリヒリしなかった。今日もパンツは異常無し。
祝 アナル大復活
※ここからが本文です
こんにちは。
かうぱー都市開発ことかうぴーです。
暑さがひどいです。全身パイパンなので汗ダイレクトです。
おじさんの嫉妬は総務部人事課ダイレクトで、人望も失うってもんですよ。
取り乱しました。
初老のおじさんがパイパンなことと、初老のおじさんって頭痛が痛いみたいな感じだよなって思ったことはさておき今回はちょっとお真面目なことを。
不動産業界で、まあ最初のキャリアはそう言っていいものかどうか分かりませんが、おおよそ20年ほど生きてきました。最初のキャリアは電話を握りしめて立ちっぱなしの業界にいたもので記憶が定かではありませんがきっと不動産業界っぽい何かだったと思うので不動産業界ってことにしてください。
そこからずっと不動産業界に身を置いて、ようやっと、正確には昨年ごろから、右か左かが分かるようになった気がします。が、マーケットを見ていると前後左右が不覚になってきましたので、この業界はいくつになっても全知全能というものにはなれず、毎日が勉強なんだなーとしみじみ思います。査定がいつも半値になってしまうのも勉強不足のせいなのかもしれません。ごめんなさい。
まあ、そんな私ですがたくさんの方々とお知り合いにならせていただきました。もちろん中には長いお付き合いのお相手もいらっしゃいます。15年お付き合いしてやっと初取引と相成ったご年配の御ブローカー様もいらっしゃれば、毎週のように連絡を取り合いながらご相談させていただくけどなかなか初取引にならない先輩もいらっしゃいます。
そんな中で、お別れの話をひとつだけさせていただきますのでご清聴いただけますと幸いです。
初めてお会いしたのが、20代中盤ごろでしょうか。ふとしたタイミングでお会いしましたが、その頃の私はストレスもひどく、不規則すぎる毎日でした。毎晩のように接待してお酒の匂いをさせたまま出社して働くという生活が続いていました。それも一つの理由だったと思いますが、あなたにお会いしたことを一切気にも止めず一心不乱に自分の仕事に向かっていました。
30代になって、よし!この調子でいけるいける!というタイミングで、スルガショックや西武爆発がありました。主戦場が収益物件だった私自身も爆発して一気にどん底というタイミングでまたあなたにお会いしましたね。いつもそんなタイミングでお会いしてしまうので、少しだけ嫌悪感を抱いたのを覚えています。本当に申し訳なかったなと思っています。あの頃にもう少しだけ向き合えていたら少し違ったのかなと思います。
でもまあ、そこからは頻繁にお付き合いをさせて頂くようになりましたね。初めの頃は1年に1回か2回お会いして。そんなこんなで次第に回数も増えてここ1年は毎日のようにお会いさせていただきました。このまま本当に長い長いお付き合いになると私自身も思っていました。
でもお別れはいつだって突然ですね。
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