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1997年春、PCとの出会いと「好きこそものの上手なれ」

 1997年の春、私の人生に初めてPCが登場した。その存在はMacを含めて、まるで新しい世界への扉を開く鍵のようだった。当時の記憶をたどると、PCと初めて触れ合ったあの日の興奮や好奇心は今でも鮮明に思い出すことができる。

 ただし、その出会いが他の側面に影響を与えたことも否定できない。当時付き合っていた彼女が、私のPCへの没頭ぶりを指摘していたのを覚えている。彼女の言葉を借りれば、「二人でいるときもずっとデスクでPCいじってた」とのこと。おそらくその評価は正しい。当時の私にとって、PCはただのツールではなく、未知の世界を探求する相棒だった。

 それ以降、いくつかの恋愛を経験したが(既婚時代も含め)、そのどれもがPCとの時間を犠牲にすることを意味しなかった。むしろ、私が何かに集中する姿を、他者はある種の「距離感」として感じていたのかもしれない。結果として、PCと向き合う時間は恋愛生活の中でも変わらず多かった。

「好きこそものの上手なれ」という教訓

 振り返ってみると、この姿勢こそが私の人生に多くの可能性をもたらしてくれた。「好きこそものの上手なれ」という諺の通り、何かに夢中になる時間は無駄ではなく、むしろ上達や成長を導く原動力だったのだ。

 もちろん、当時の恋人や周囲の人々にとっては、私の「好き」に対する執着が迷惑に映った部分もあっただろう。だが、それでも、PCに触れるたびに得られる発見やスキルが、現在の私の基盤となっていることを考えると、その時間は必要不可欠だった。

好奇心が道を切り開く

 「好き」という感情が生まれる背景には、好奇心がある。1997年にPCに触れて以来、私は常に新しいことを学ぶためにPCを活用してきた。テクノロジーが進化する中で、その可能性を追求し続けた結果、現在の自分がある。人生の中で何かを極めたいなら、まずは好きになることが重要だと改めて実感している。

 この振り返りが、誰かにとって小さな刺激や励みになれば幸いだ。そして、1997年春のPCとの出会いが、未来への道を照らす灯台となったように、あなたの「好き」もまた、新しい扉を開く力になるはずだ。

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