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1991年プチてっちゃんユーレイル旅20

【まとめ】一泊でお世話になったHalle(Saale)のD家に別れを告げ、何となく北に向かってみよう、そうだできれば海が見たい、ととりあえずHamburg行きの列車に乗る。ベルリンに興味はあったが、もう少し田舎町的な何かを求め、結局たどり着いたのはもう少し先のLubeck。すぐ近くにはバルト海。

11月24日(日) 晴

G宅にて目覚める。朝食をごちそうになる。
ひとり息子のJくん9ヶ月とご対面。

あんまり泣かない、じれない、人懐こい。かなりでかい。ハイハイで家の中をはい回り、つかまり立ちもプロ。写真のパパママみてゴキゲン。もの言い始めの頃。土産のあかちゃんせんべいをお口にいれたげたら、じっと舌で確認してから、静かにうべーと吐き出した。うん、米は口に合わないのかも。

朝は駅までGが送ってくれた。ほんとうにお世話になりました!

朝、駅前で警官に捕まっているベトナム人(とGが教えてくれた)を見た。地下通路に物売りベトナム人が多いらしく、時に捕まったり、暴行を受けることもある、と。Gは顔を曇らせて、外国人出て行けという人の気がわからん、と。うん、私もだね。

9:36 Hamburg行き。Stumusdorf通過、Alensdorf通過、Kothen停車、Wulfen通過、Calbe(Saale)通過、肥沃そうな土地。

Shonebeck? 大きな、でも落ち着いた町。曇ってきた。

景色をぼんやりと見ながら、D夫妻との会話を断片的に思い起こす。
ドレスデンやライプツィヒは第二次世界大戦で大きなダメージを受けたため、今は新しいビルが多いが、ハレはその点古い建物が無傷で残った割合が高く、逆に時代に取り残されてしまったのだと。そしてまだまだ東西格差は大きい、と。給料でも住環境でも。
Imbissのパンにしたって、いまでも東西の質が違うよね……

引き込み線?
はたらくおじさんオレンジ色

11:20 Mardeburg着。始め、ここで一泊も考えていたが、いまひとつ情緒に欠ける気が。たまたま軍人さんたちをたくさん見たのもあって。とりあえず通過で。

軍用車いっぱい

11:45頃 ミニバーmini bar来たる!

懐かしい感じ!緑茶だけどね記憶では(笑)

インスタント味だけど、あったまる。外はますます寒げ。

どこだったか、ホームにある渋いトイレ

12:00少し前 Stendal 停車
馬で走っている人をみる。いいなー。

12:25 Seehausen(ALT M.)ちょいとモダンな小さき町。
大きな川を渡ると、すぐに大きな町、Wittenberge。落ち着き払った、良さげな町。
出ると今度は林と霧。

Aの文字に見える木の柱と、長い貨物列車の影

疲労回復にアリナミンVを飲みまくっていたせいか、やたらトイレが近い。

トイレ近くの札にこうあった。

小さな村の小さな家。壁には赤レンガ、屋根に苔。そして窓にはパラボラアンテナ。みんなM-TVみてる?
平たい野原あり、林あり、北ドイツ平原と言うのだろうか。なんだか家並みが小奇麗になってきた。
Graou(注:Grabow)? 小島に白鳥。オランダ的ななにか。
Ludwigslust ここはまだ旧東領内だって。トラバントがいっぱい。
Neuendorf(Neindorf?)通過。平野の中の小さな駅。Jas-(Jasnitz?)通過。Hagenaw Land停車。
Pritzier通過。Brahlstorf通過。

トイレに通っているうちに、いつの間にか先頭の機関車がDRの赤いヤツからDBの白いヤツにかわっているのに気づく!

Kulhenfeld?通過、Boizenburg(Elbe)通過、Schwanheide通過。

何となく、海の風に当たりたくなってきた。Hamburg近くで泊まろうか、もう少し先……そうだなあ、Lübeckとか、いいかな、と漠然と。

小川を渡ってBuchen。もしかしてかつて国境だった? 橋げたはすごい落書き。西側風ハデ目のがいっぱいだったし、駅を出てすぐ電気がついた。
うわー、いきなり町の中の道がフラット!
そういや、ここの駅に停まる前に再び検札があった。
庭でデカい白い鳥を飼っているうちあり。

どーして西ドイツの森の方が全体、下草が少ないんだろう?
Aumuhle通過。でようやく
Hamburg Hbf着。
なんとすぐ隣のホームの電車があと10分ほどでLubeckに行くと。
で、乗り換える。

Bad-Oldense? Gloria Mehlの大きな工場見る。でも何の工場?

40分くらいでLübeck Hbf着。観光らしき人びとがいっぱい。

西側は小さな駅でも小奇麗な店が一杯、しかも駅の店だと、たとえドイツでも日曜に開店してる。これは意外だった。旧東となると、そうでもない。
西→東の列車旅ではあまり気づかなかったが、東→西の時、お互いのあまりの違いに愕然としてしまった。家並みも、工事現場も、道も、車も……

Lübeck駅近くで宿探し。ホテルもたくさんだー!
すぐ近く、一軒の小さなホテル前で愛想のよいおっちゃんと会う。
どこから?ほー日本、日本のトーキョ?学生?とお決まりのパターン。でも握手して分かれてからふと、おっちゃんの立っていた前のホテルに入ってみる。
50DM/泊はトイレシャワー外。59だとどちらも中。かなり考えて安い方を取る。
シャワーない部屋はふたつだけなんだけど、空いていて良かったね~、とゲイっぽいホテルのフロントおっさんはにこやかだった。

夕刻には市内観光と夕飯の買い出しに地元スーパー。
スーパーではいきなり万引きと間違えられて警備のおっさんに呼び止められ、カバンの中をみせて、と言われる。これは観光案内書です(日本語の)、と分かってもらい、おっさんはすんません、と引っ込んだ。良かった。

暗い中、赤レンガの門を見る。町のシンボルらしい。しかしどう見ても、傾いているような……ホルステン門と言うらしい。

他に、マリア教会、マルクト広場、市庁舎など外から見て歩く。
小さな町なのに、夕方歩いただけでマクドナルドを2軒も見てしまった。

買い出しの後、駅に置いてあったトランクを持って宿に戻る。
シャワーは同じ階の一番向こうに離れていたが、他に人がいなかったのでゆっくりと使う。あーさっぱりしたー!

18時頃、街の鐘がにぎやかに、たっぷりと5分くらい鳴り響いていた。

寒いさむい!と思ったらなんと部屋の窓が開いていた。気づいたのが20時。
すっかり冷えた……
冷え冷えした中、それでもぐっすり眠る。



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