1990年8月 研修の名のもとにソ連・モスクワと各地 02
【まとめ】モスクワでのまじめな?授業風景と日常?生活
8月9日(木)
午前 授業 あいさつとか、ものの名前とか。
窓がокно(アクノー)でみんなで受けてしまった。
午後 多分団体でレーニン博物館に案内された(写真が残っていた)。
おのぼりさんの素人らしく、仲間とわいわい言いながらとりあえず回った感あり。
8月10日(金)
7:20 起床
朝ごはんはチーズ、黒パン白パン、バター、赤いぬるいジュース(プラム?)、水、紅茶、ピーマンの油かけ。これは炒めてあるようでもなく、単に生ピーマンにたっぷりとミシン油? 何となく工業的な香りのする油がかかっているシロモノだった。
隣のテーブルには、美麗なイタリア人たちがたくさん。
たまたま持ち歩いていた(自分の)地元にあるイタリア料理店の紙マッチを見せたらとても喜んでくれて、一緒に写真とろ! ってことになった。
午前 授業
午後 またホテルコスモスに行ったらしい。そしてルイノク(市場)へ。
市場では肉や魚、野菜、果物いろいろ台に乗せて売っている。肉はたいがい、塊のやつをおばちゃんが「やすいよやすいよー」みたいな声はりあげながら、素手でペシペシ叩きながら売り込んでいる。うん、触ってるの怖い。
たまにアイス売り場みたいのがあるけど、すぐに売り切れるみたいで行列になっているか空っぽか。
8月11日(土)
9:30 授業開始。
最初からA・N先生と写真撮ったりモスクワ郊外の夕べ歌ったり、すっかりなごんでしまう。Mさん(男性、大学教員。優しいおじさまで少しばかりMっ気)はもうデレデレだった。
自己紹介の仕方とか。
Meня Зовут 〇〇ミニャザヴートゥ〇〇。私の名は〇〇です。
ウーは少し口を尖らせる。オーは(モスクワでは)力を入れない発音の時にはアに聴こえる。など(あとで極東の人と話をしたら鼻で笑ってた、モスクワのヤツら気取ってる、って(笑))。
午後 まずはノヴォデヴィチ(修道院・墓地)へ。
ナポレオン戦争時代、ロシア帝国での軍人で詩人でもあったらしい。
墓地には著名人のお墓も多いらしい。墓石もさまざまで、埋葬地なのに観光地になっているのも分かる気がする。
ロシア語名を読む練習にもちょうど良いかも。
帰りにモスクワマクドナルド1号店の前を通る。
すでにお店は閉まっていて、店員さんが通りのお掃除をしていた。
お掃除の店員さんに「イズヴィニーチェ(すんません)……フォトグラフ?」と訊いたら
「конечноカニエーシュナ(もちっすよ)!」と。
カニエシュナ、も便利な言葉だった。よくテレビで
「КOНEЦ」(カニエッツ) と終わるのが類語らしい。
ペレストロイカのおかげなのか、西洋文化が次々と取り込まれている感があった。特に営業スマイル。これは衝撃的だったかも。