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1991年プチてっちゃんユーレイル旅07

【まとめ】文字通りひとり旅となった昼過ぎ、ブリュッセル中央駅から行ってみたかったブリュージュへ電車で。宿を決めてから歩いてグルーニング美術館へ。ブリュージュ泊。
翌日はクノックに行こうとして午前中は電車で行ったり来たりひと苦労、午後は電車でブリュッセルに移動、Wさん一家に内緒で(?)もう二泊することに。宿を確保。聖ミヒャエル大寺院とかグラン・プラスとか見物。ブリュッセル泊。

11月10日 (日) 

13:52 Oostende行きに飛び乗ってみる。

トイレに行っている間に、席向かいにいかつい親父とその息子らしき二人連れが座っていた。少年は日本で言うと小学校中学年くらい? 彼らの足もとにはなぜかビーグル系のわんこが伏せている。
私がいない間に、少年は車酔いなのか、盛大にリバースしていたようで、父があやしく膨らんだ紙袋をしっかと持ち、少年の口元や服をタオルでぬぐっていた。それをわんこが悲しげに見上げているのが何とも哀れだった。

14:00頃によく分かんない場所で降りてしまう。
Aagende? 新しめの、静かな駅。静か、というか人っこひとりいない!
15:00頃ようやく次の電車が来るので乗る。

目的地のひとつでもあったブリュージュBruggeにたどり着く。
いわゆるひとつの観光名所でもあって、休みのせいか人、人、人だらけ。

赤レンガとツタが歴史を感じる

Bauhaus sleep innなる安宿を見つけてチェックイン。295F。

宿は一番安い部屋だったのだが、二段ベッドが4つ、つまり8人まで泊れる。自分が入った時には他の7つのベッドにはすでにカナダ、オーストラリア、フランスのギャルがひしめいていた。
一斉にこちらを見る目がこわいぜ。それでも軽くあいさつして自分のベッドに。すると、すぐにまたにぎやかに。彼女らはそれぞれのグループでおしゃべりに余念がない。数人がHi! と声をかけてくれたので少し話す。しかし英語やフランス語がごっちゃで何を言ってるのかよく分かんない。
とりあえず、不審者ではないことはアピールしておいた。
出入りするドアにはかぎがない。部屋にあるのはあと、洗面台と鏡のみ。

女子部屋

そうそう、16:30頃ふらっと入って17:00には出てきた、小さな美術館。
Groeningemuseum。

外観
おさかな水道?

圧巻はBoschの最後の審判。右手の燃えさかる建物が妙に写実的で、まさに地獄絵。
誰の作品だったか、エラソーなおじさんをみんなで皮はいじゃえ! という絵がすごかった。剥いでいる人びとは平気、というか神様みたいに澄ましている。剥がれているおっさんはもちろん痛そう。まさにスプラッタ。

ファン・アイク、メムリンクなどはやはり巨匠の技、と言うのか危なげがない。ずっと見ていてもあまりの巧みさの故か、逆に面白みを感じなくなってくるのだが、なぜかBoschなどは見れば見るほど新鮮なものがある。
毒っけと慈愛とのマーブリングがくっきりしている、というのか。

宿から美術館まで。どこもかしこも人は多かったが、美術館は静かだった。

宿に戻り、ここで明日の予定を(今更)立てる。

夕飯は下のカフェに。97F、あと、ビールを飲んでみる。カフェも混雑していた。

11月11日  (月) WWⅠの戦勝記念日らしく、休日らしい。

Bruggeの観光案内でもらった日本語地図は、通りすがりのバックパッカーの姉ちゃん(カナダ人らしい)にあげてしまった。雨の中、金もなく泊る先を探して途方にくれていたらしいので、泊っていた宿を紹介した。

9:24 クノックKnokke行きの列車、と思いきや、またまた間違えてブランケンベルヘBrankenberg行に乗ってしまう。まあ、当たらずと言えども遠からず。
この電車の車掌さんはわざわざ隣に来て、何かと話をしてくれる。
日本は物価が高いんだろ? イタミ(市)とベルギーのほにゃらら市が姉妹都市なんだが、そこの日本人がこっちに来るとやたらコーヒーばっかり飲むんだよ、なぜ? って聞いたら、こっちのコーヒーが安いんだってさ!
などなど。

10:00 ブランケンベルヘ着。

うん、ここはどこ? 私は誰?
近くでブラバンのマーチが聞こえる。天気も悪いのにごくろうさま。
もっとも、こちらも車掌さんから「こんな天気よくない日ばっかりなのに、何故今どきベルギーに来た? 楽しい?」と訊かれたし。

10:10 折り返しで懐かしのブリュージュに戻る。親切な車掌さんに聞いた通り、今度は7aホームに立つ。
こんな時に電車は20分ほど遅れているらしい。
しかしもうこうなったら……行きたかったメムリンク美術館を諦めて、意地でもクノックに行ってやるぞ!

10:45 ようやく電車が来る。
Heist ただ、平らな地。オランダを思い起こす。ひたすらまっすぐ、壁のように木の並ぶ土手とか、マグリットの絵に入り込んでしまったよう。

土手と並木。記号みたい

音も耳に入らず、ただ目が景色だけを追う。
景色そのものが、沈黙の音楽を奏でている。

Knokke着。

駅員さんが荷物を13時までなら無料で預かります、と言ってくれる。ありがたや。

ここに来たかったのは、駅近くのカジノにマグリットの壁画がある、と聞いていたため。目にできれば、と、ほぼ衝動的に行き先候補のひとつにあげていた。

(当時の地図でみたホテルとカジノの位置。今の地図で見るとカジノの場所が微妙に違う気もする)

小雨の中、目的のカジノを探して歩く。徒歩15分くらいと聞く。
地図にも出ていた場所だが、開店は15時とのこと。とりあえず海岸に降りて歩く。

空は明るいが、雨はずっと降り続いている。
波は高くならず、さわさわと静かに打ち寄せている。砂浜は雨に濡れてメタリックに光っている。

カジノ脇の通用門、たまたま中に入って行く兄ちゃんたちを見かけ、壁画だけでも見られないか訊こうと近づいたら、「おかしな東洋人が来たぞー」みたいな必死な顔で中に逃げ込んで戸を閉めてしまった。
チクショー! と心で罵倒を浴びせたが、今では誰も見えなくなってしまったのでしかたなくすごすごと引き返す。
雨はますます激しくなってきた。

カジノ『ハイレナイ』遠景。

12:30頃には駅に戻る。自動販売機でワッフルを買おうとしたが、螺旋のワイヤ式で押しだされる商品が途中で引っかかってしまい、また駅員さんのお世話になる。
停まっていた電車に乗り込み、ふう、とひと息。乗客のおじいさんが話しかけてきた。

何度も電車に乗ってアプローチしたあたり。

13:01Knokke発
14:40には何度目かのBrussels CSに戻る。うん、Wさんご一家ごめん。ここにもう二泊ほどしようかな、と。

駅の荷物預かり60F、5:00~0:00とのこと。まず宿探し。
電話で聞いたibisは満室。少し歩いて行った1軒目は、今夜はダメだが明日はOK、と。次に飛び込んだ宿『Elysee』はシャワー&風呂付き朝食付きで47ドル(約6110円)、しかし今夜のみOK。急ぎチェックインしてから、最初の宿に戻り2泊目を予約。

ホテルの位置関係

宿を探している最中、買い物帰りらしきおじさんが英語で親切に「何を探してんの?」と聞いてくれ、一緒に通りを渡って説明してくれた。ほんとありがとう。

まずは最初の宿「Elysee」の図

荷物を運びいれて、お夕食。セルフサービスのBar。175F(約700円)でバンズにレタストマト、燻製魚、小エビ、茹で卵、カニが挟まりてっぺんにムール貝の中身が一つ、乗っている。そしてベルギーの小旗つき。これにコーラとシャンピニオン(缶詰か瓶詰)のケチャップ和え。きのこの切れが大きくて美味しい。
サンドのビネガーと塩の加減がいいあんばいで、メチャ美味かった。

方向感覚もつかめぬまま、近隣を散歩。
まず、Cathedrale St.Michel。たまたま道を訊いた兄ちゃんはフラマン語人だったようで、「おー、みひゃえる?」と訊き返してから親切に場所を教えてくれた。雨の中、うまそうな何かのサンドパンをかじっている。

めちゃ、絵になっていた

(兄ちゃんに敬意を表し読みはこちらで)聖ミヒャエル大寺院は何度も建て増しをしていったらしい。Michael de CoxieのCrucifixionとThe Last Supper。16世紀のものらしいが、なかなか良かった。やはり寺院にそのまま残されて、あのがらんとした建物の反響音の中で息づいているのが、よいのかも。ペリカンの支えがついたテーブルがまたステキだった。

寺院のあとは、アーケード、グルメ通り、グランプラスをまた観に行く。
魚のディスプレイの前で、お店の人が写真を撮ってくれた。
ブリューゲルとか、フランドルの静物画の世界がリアルにあった。

グランプラス、なぜか夜が似合う。そして雨で石畳が濡れているのがより、輝きが増すような気が。

夕飯はヨーグルト25Fとグレープフルーツ25F

風呂にゆっくり浸かり、眠りにつく。
外は繁華街のためうるさいくらい賑やか。ハーモニカのメロディー、人びとのざわめき、車、パトカーや救急車のサイレン……でも気づいたら、朝になっていた。

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