知性とは何か
本日のBGM:グループ魂/べろべろ
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名言や格言という物は、いつの日も人類を導く一種の指針としての役割を果たしている。人生に迷った時、何か言葉が欲しい時、手が伸びがちなのも名言や格言だ。本屋にもインターネット上にも、名言や格言を題材にした物が溢れている。
一般に、商魂逞しく知能の高い民族だと言われる事も多々あるユダヤ人の格言には、やはり一貫して「知」に対する格言が多く遺されている様に感じる。それは、「知」が財産として最も価値があると彼らが考えていたからかも知れない。あの、天才として名高いアインシュタインもユダヤである。
そこで、数多ある言葉の中で、いくつかその格言を紹介したいと思う。
真に貧しい者としてとどまっているのは、知性のない者だけ
無知が支配するところでは、自分に英知があっても何の役にも立たない
賢く振舞うよりも、バカになるほうが、えてして得をする
自信を持つことは、勝利を半分手にしたようなものだ
上記四つは、互いに相反する事を言っている様だが、大人になるとどれもが心に引っかかりを覚える言葉だ。そして、社会人の呑み会でどの言葉も実に良く上る話題だ。
「現場の俺たちはこうなることは解ってるのに、上は全然解ってないんだよな!」
「あいつ仕事出来ないのに、調子よくて腹たつわ。上に取り入るのだけは本当に上手い。」
「営業の人間は先方の要求とか納期とかムチャクチャなの確認しないまま契約とってきて自身満々に報告してくるのが腹立つよな~」
「正直者は馬鹿を見るよなぁ~」
社会人の呑み会あるあるだと思う。
話は逸れたが、世間様の知性とは局所的、かの民族の指す知性とは全く別物だと思う。世間様の指す知性とは、対個人を意識した上に成り立ち、かの民族の指す知性とは、対集団を指している。
私は社会人の呑み会あるあるに参加している一個人側だろうが、格言の様な性質に物事を捉えれば、それはそれは人生がうまくいくような気がした。それは、誠に強かな人間だ。それに賢い。
結局、世の中に、本当の意味の馬鹿はいないのかも知れない。世の中の価値観なんて、そのくらい適当なのかも知れない。真面目すぎて生きづそうなアイツも、人生を謳歌しまくっているアノ人も、信じられない位のドクズだと思っているソイツも、等しい存在なのかも知れない。
ちょっと良い人生を送るには、上手く仮面を被るコト。そんな自分に嫌気が差せば、馬鹿正直に生きて、損をしてみる。そんな簡単なコトなのかも知れない。
案の定、言いたいことがとっちらかってしまったが、最後に。
善と悪を区別できるだけでは、まだ賢者とは言えない。二つの悪の中から小さい方の悪を選ぶことができる者が賢者である
結局のところ、知性とは、好奇心と己の信念の強い物なのかも知れないね。