「プロフェッショナル」という言葉の認識
「プロフェッショナル」という言葉を聞く度に何時も思い浮かぶのは、人を容易には近寄らせない険峻な山々のようなイメージ像である。一朝一夕には到達出来ない境地を想像するからだろう。
広辞苑でプロフェッショナルを調べてみると「専門的、職業的」とある。顧客から対価を貰うからというだけでなく、その道の専門的知識を網羅している職人という意味合いも強い。
顧客側から見ると専門的知識を有している人間だからこそ全幅の信頼を寄せて仕事を依頼するのであって、言わばその人間の持つプロフェッショナルという立場を担保に安心を買う訳である。
対価を払って安心を買うという行為は同時に「その道のプロなのだから失敗しないのは当然」という意識も働くのだが、特に日本人はその意識が強い傾向にある様だ。
確かに失敗しない事に越した事は無いし、日々仕事のクオリティを高めるように意識する事こそがプロフェッショナルの仕事だと言う事も十分理解出来るのだが、人間なのだから常に100%成功するとは限らない。だが、日本という国民性はとかく失敗を許さない。
上杉隆氏の著作『上杉隆の40字で答えなさい』の中で日本とアメリカの国民性の違いを次の様に端的に述べている。
日本の社会は、総じて「減点主義」です。「10の成功」をしても「1の失敗」で終わり。これに対してアメリカは「得点主義」ですよね。「10の失敗」をしても「1の成功」で認めてもらえる。
上杉氏は「ミスには寛容だが、ウソには厳しい」というアメリカに強く根付いている国民性に着目し、その真逆の考え方が浸透している日本の国民性を強く非難している。
例えば、よくニュースで聞く罪名の1つに「業務上過失致死」というのがある。この罪名も故意でなかったにせよプロに当然求められる水準の仕事でなければ、結果の重大性に照らして罪を科すという考え方からきている。
この罪名はアメリカには存在しない。根底では故意でない限り刑事責任を問わず、むしろ再発防止に向けて自らのミスを大いに語ってもらおうという考え方があるからだ。
上杉氏の言う企業における「減点主義」はご多分に漏れず我が社にも色濃く残っており、運転が仕事である故に一部を除く如何なる事故に置いても断罪に処されるリスクを我々ドライバーはいつも背負っている。
それは「運転のプロだから失敗(事故)しないのが当然」という考え方が社会通念として深く浸透している証左である。例え相手側に停止義務等の過失があったとしても、惹起したという事実の前に情状酌量の余地など無いのだ。
最後に「運転のプロフェッショナル」という解釈について一言。
多くの方々は運転のプロと言うと、どんなに狭くて過酷な状況に置いても滞りなく事を終わらせる程の運転技術の持ち主という印象を持たれているかと思うが、そうではない。技術も大事だが、最も大事な事は
「惹起しない様に最大限の配慮をする事」である。
換言すれば、実際にトラックを動かす前に危険の芽を摘む行為とも言える。様々な状況の中で危険だと判断すれば下車確認もするし、無理だと判断すればトラックをそれ以上動かさない。自我と焦燥感を殺す事と「これ以上は無理」とはっきり相手側に伝える潔さこそが事故防止に置いて最も重要なのである。
超絶技巧の運転技術が最優先されるプロフェッショナルはレーサーだけである。普段トラックで公道を使わせてもらっている身としては技術よりも、もっと地味な行為を徹底して繰り返す事こそが「運転のプロフェッショナル」に課された仕事なのだと思う。