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311を忘れないために

COVID-19でNew Normal(新しい生活様式)が注目され、僕らの生活が変わってきていますが、僕にとってはCOVID-19よりも311東日本大震災(2011年)が価値観を大きく変える出来事でした。311東日本大震災を忘れないために、毎年、3月11日は会社から自宅まで歩いて帰宅しています。

・・・と書きつつ、今年はCOVID-19でリモートワークでオフィスに通勤していないため、歩いて帰宅することができず...。近日中に歩くようにします。

今年、311東日本大震災から10年が経ちました。以下は昨年のブログの転載となります。

311東日本大震災から9年が経過

311東日本大震災から9年の月日が経ちました。
当時の恐怖は未だに鮮明に覚えていますし、思い出すだけで身震いもします。

震災の瞬間、僕は武蔵小杉のオフィスにいました。NEC玉川事業場 N棟の最上階、37階。大きく揺れて倒壊するんだと本当に恐怖感に包まれました。そして、落ち着くまでオフィスで待機。家族を心配しつつも家族の元に駆けつけられないもどかしさ。同時にオフィス内で連絡がつかなくなったチームメンバーを探したり。余震も落ち着いて帰宅指示が出されたものの、未だに連絡がつかないチームメンバー。1時間探したものの連絡がつかず、無事だと信じて家族の元に帰りました。家族とチームメンバーのどちらを選択するか?、この時の選択は本当に辛かったです...。辛いというか、やるせない気持ちでした。
オフィスから自宅までは自転車で15分で帰宅でき、僕はすぐに家族と会うことができましたが、帰宅難民になった多くの仲間たち。twitterで帰宅する仲間を応援することしかできなかった僕。2011年3月11日は、僕が一番twitterを投稿した日にもなりました。

僕の価値観と、社会の価値観が再定義された2010年代初期

リーマンショックや311東日本大震災を通じて、あらゆる価値観が再定義されて色々なイノベーションが起こり始めました。僕自身も311東日本大震災を通じて大きく行動が変わり始めました。

現在、新型コロナウィルス対策であらゆるイベントが自粛されています。311東日本大震災直後も同様でした。自粛の理由が同一ではないので比較することさえナンセンスではあるのですが、当時、自粛ムードの中、震災から1週間後の3/18には企業間フューチャーセンターの仲間と一緒にワールドカフェを開催してtwitterで中継したり、2週間後の3/26には代々木公園でリングビー体験会を開催するなど、ソーシャルキャピタル(社会関係資本)による新しい社会づくりに向けて挑戦していたのを思い出します。

今はzoomですが、当時はtwitter。時代を感じますね。

311を忘れないために

311東日本大震災を忘れないために、そして、311東日本大震災を経て色々な挑戦をし始めた動機を忘れないために、例年、3月11日は会社から自宅まで歩いて帰宅しています。そして、今年も歩いて帰宅しました。色々な思いを馳せながら歩いた2時間半の帰路でした。

武蔵小杉に帰ってきたと感じる丸子橋

オフィス(田町)から歩いて2時間。丸子橋に着くと帰ってきた、帰ってこれた...と安心します。

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中原区まちづくり推進委員会・中原区役所・ノクチ基地と一緒に対応した中原区50周年記念ムービー制作ワークショップ。中原区在住の方々を中心に約40名とワークショップしましたが、やはり、丸子橋が見えると中原区・武蔵小杉に帰ってきたと感じる方が多いようです。


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岡本克彦(オカポン)
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