「誰も取り残さない社会」でなく、「誰もが未来社会に関与できる社会」を目指すようになりました
SDGsで掲げている「誰も取り残さない社会」(leave no one behind)。同意はするものの、心の底から共感できないムズムズ感がありました。そして、各種活動を通じて「誰も取り残さない社会」を「誰もが未来社会に関与できる社会」と解釈し、目指すようになりました。
「誰も取り残さない社会」への違和感
僕自身、SDGsに賛同して達成に向けて各種活動に取り組んでいますが、「誰も取り残さない社会」という言葉に同意はするものの、2つの理由で違和感がありました。
一つは、「誰も取り残さない」というのは、主語(主体者)が「誰も取り残さない」と表現しており、主従関係があるように感じられるため。SDGsを達成して持続的な社会を実現したいという主体者の責任感を感じる一方、押し付けな感じもする。
もう一つは、取り残されない状態が幸せなのか。その場にいるけど疎外感を抱いた経験がある人も多いはず。同じ空気を吸っているのに息苦しさを感じる感覚。
情報社会で私たちが失ったこと
インターネットが発達してあらゆる物事が効率重視で行われるようになりました。ネット通販でポチッとすれば、すぐに自宅まで配達される。時間をかけて作り上げられた商品やサービスも、時間(プロセス)という概念を忘れてしまうほどに全てを瞬時に入手できる。ソーシャルメディアや仕事などのコミュニケーションも同様。結果だけを求め、脊髄反射的に表層的な部分だけで判断する。氷山の下側に思いを馳せることをしなくなった結果、誹謗中傷や対立、責任の押し付け合いが溢れる日常になってしまった。
あらゆる物事がINPUT(要求)とOUTPUT(結果)だけで処理され、その間にあるプロセスや関わる人の気持ちや自然への影響に思いを馳せることを忘れ、そして、プロセスの存在さえも忘れてしまっているのではないか?と感じる日々です。
COVID-19で取り戻したプロセスへの関心
COVID-19による緊急事態宣言などで在宅勤務をはじめとして行動範囲が狭められた中、仲間と共に話す・遊ぶ・仕事することの愛おしさを再認識した方は多いはず。グルメサイトで高評価のお店に行くことはできなくても、Uber eatsで美味しい食事を自宅でも味わえる。確かに美味しいけど、味気ない...。高評価の食事よりも、キャンプ場で仲間と一緒に作って食べる食事の方が美味しい。そこには、グルメサイトの点数では表現しきれない楽しさや幸せがある。
OUTPUT(結果)よりも、仲間と一緒に作りあげるプロセスの価値に気づいたのではないでしょうか?「仲間と一緒に作りあげる」ということは、もっと詳細に表現すると「自分が関与して、自分事・自分たち事として仲間と一緒に作りあげる」ということ。
自分が関与することで生まれる「ほどよい合意形成」
自分が住まう街、神奈川県川崎市での「こすぎの大学」や「川崎モラル」などのコミュニティ活動では、ポイ捨て対策や選挙、防災・減災、居場所づくりなど、様々なテーマのワークショップをし、対話を通じて生まれたアイデアの実現に向けてアクションすることで街への愛着を抱くと共に、街を丁寧に過ごすようにマインドが変化しました。
そして、仲間と一緒に街づくりに関与するからこそ、仮に十分な結果が得られなかったとしても誰かの責任として押し付けるのではなく、自分事・自分たち事として適度な責任感(微責任)と共に肯定的に受け止められるようにもなりました。
NEC未来創造会議でもコモンズ(共有財)やコモニング(合意形成)の議論を重ねています。対話やアクションを通じてコモニング(合意形成)しながら仲間と一緒に作りあげるコモンズ(共有財)。
DIYのような未来社会づくり。設計図どおりに上手に作りあげることができなくても、手触り感や風情がある、物語もある。DIYは"Do it yourself"。単数形の「私(あなた)」でなく、複数形の「私たち(あなたたち)」としてDIYをDo it yourselvesと再定義。みんなで作りあげる未来社会。
「誰も取り残さない社会」より「誰もが未来社会に関与できる社会」の方がきっと楽しいし、ウェルビーイングな気がします。「誰もが未来社会に関与できる社会」の実現に向けて、これからも「こすぎの大学」や「川崎モラル」、NEC未来創造会議を通じて楽しみながら挑戦し続けます。
NEC未来創造会議が提唱する「意志共鳴型社会」
NEC未来創造会議で描いた未来シナリオ「THINK & ACT 2050/未来を待たず、未来を選ぼう」。語り合う。そして生まれる、人類の NEW COMMONSをムービーで紹介しています。ぜひ、ご覧ください。