人工知能(脳)と人工ハート(心)
NEC未来創造会議の有識者である慈眼寺 住職 大阿闍梨 塩沼亮潤氏からの問いかけ。「人工知能(脳)の開発が進んでいるけど、人工ハート(心)を開発できないのですか?」
NEC未来創造会議では、人間の能力をAIが超えるシンギュラリティ後の2050年に“人が生きる、豊かに生きる”未来像を構想すべく、国内外の有識者と共に議論を重ねてきました。その結果、人工知能、つまり、「脳」だけで人間の能力は表現できないし、人間の可能性をより探求したいと思うようになりました。
江村:
いまのお話を伺って、去年の議論を思い出しました。人工知能の話をしているなかで、塩沼さんが「人工ハート」はできるのかという問いを立てられた。そのときに議論になったのは、腑に落ちるとか納得したことをやるっていうのは頭じゃなくて……。
ドミニク:
体ですね。
江村:
そう、体、とりわけ「腹」なんです。人間の長い歴史のなかでは、みんな腹を表す言葉になっています。腹に据えかねるとか、腑に落ちるとか。英語だってガッツ(guts)といいますよね。だから自律性もなくやらされたことは身体的にもしっくりこない。ただ、試験で優秀な成績を残す人間こそがいいのだと子どもも親も考えているような状況で、いかにその価値観を組み替えるかがチャレンジになってくるなと感じます。
ドミニク:
もしかしたらその数値主義を逆手にとれるのではと考えています。いまウェルビーイング研究のなかで一番の課題となっているのは「どう測定するか」なんですが、たとえばいろいろなセンサーを身につければ腑に落ちていないことが生理的な信号によって捕捉できるかもしれない。言葉や数字で操作できない領域があることを、逆にテクノロジーに気づかされるというか。
塩沼:
そうなったらいいですね。
スキンシップで「脳」と「脳以外」を考える
人工知能と人工ハートの議論では「腹」(guts)が話題になったのですが、僕が注目したのはスキンシップでした。
子どもとのスキンシップで思い浮かべるのは「頭を撫でる」。親が子どもに何かを教えた際に期待する反応があった時に「よくできました」という言葉と共に頭を撫でます。期待どおりの反応がなかった場合、頭を叩くこともあります。頭を撫でる/叩くというのは、正解/不正解を表現する行為と言えます。デジタルな感じですよね。
頭(脳)を使うスキンシップは「頭を撫でる/叩く」くらいしか浮かばず、頭(脳)以外を使うスキンシップの多様さを実感します。
友だちと一緒に感動を分かち合う時にはお互いを抱きしめたり、
達成感を共有する時はハイタッチをしたり、
相手が落ち込んでいれば肩をポンポンと叩いたり、肩を抱き寄せながら励ましたり、
お互いの信頼関係を確認する時は握手したり、
自分が努力する姿勢を相手に示す時は自分の胸を叩いて鼓舞したり、
お互いの愛情をキスを通じて確かめたり、・・・。
頭(脳)以外を使うスキンシップは感動・感謝・信頼・愛情など、言葉だけでは伝えきれないアナログな感覚。
人の能力をAIが超えるシンギュラリティとの向き合い方
スキンシップという一つの側面から人間の能力を考えてみても、脳だけで表現できるのは一部で、身体性や感性に関わる部分が多いことがわかり、AIが人の能力を超えると言われるシンギュラリティに対する恐怖感がスーッと解消されました。
AIをはじめとした技術が指数関数的に進歩するのは避けられない未来ではありますが、技術で代替できない人間らしさを日常から実感して生かしていくことで、技術と人間が共生できる時代を迎えられるのだと考えています。
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