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炭鉱町、上砂川を楽しむ。

こんにちは、きまぐれパン工房です。
僕たち夫婦がお店を構えている町【上砂川町】は元々、炭鉱町として栄えた町なんですが、意外と住んでる人でもこのトピックには興味がない。笑

だから、このnoteでは【炭鉱に関係ある話を記載して、みなさんがパン工房の帰りに炭鉱館を楽しめる土壌を作る】そういったことをテーマに書いていこうと思います。

でも多分、炭鉱の話は多分そんなにしません。笑
炭鉱を元に北海道の歴史とかそんなのに近い話になるかもしれません。笑

しかしながら、僕も歴史マニアではないのでガチの人には敵いません。笑
まぁ、でも一般の方よりはわかっているつもりなので、少しは学びになるかなと思います。
間違ってる部分があったらコメントで教えていただけると幸いです。

最終的に小樽あたりに着地しそうな予感。

ボーイズビーアンビシャス

羊ヶ丘って元々、羊を沢山飼ってた場所だから羊ヶ丘何よね
ちなみにクラーク博士はアメリカに帰ってからも精力的に事業を起こしたりして
あまり上手くはいかなかったそうですがビーアンビシャス

北海道各地、特に空知にはたくさんの炭鉱町があります。一番有名なのは夕張かな?他にも赤平とか美唄とか三笠とかね..三笠。この三笠は炭鉱の歴史において重要な場所なので後ほど触れますが、なぜこんなにも炭鉱町があるのか。

この辺はみなさんご存知ですよね、日本にとって重要なエネルギーだったからです。家庭用ストーブに使ったり、炊事に使ったり工場の燃料、蒸気機関車の燃料など色んなものに重宝された国産のエネルギーです。
半分くらいは製塩工場で使われたなんていう記述もありました。

明治時代、北海道には開拓使という人たちがいまして、その中にはお雇いの外国人が幾人もいました。「ボーイズビーアンビシャス、少年よ大使を抱け」皆さんご存知、クラーク博士もその一人です。

ライマン、クロフォード、ケプロンetc..

それぞれが一流の技術を持っているエリートたちです、アメリカから船で2ヶ月かけてどんぶらこどんぶらこやってきたわけです。(殖産興業、富国強兵、つまり日本をめっちゃ強くしようキャンペーンのため西洋の技術をガンガン取り入れたかったわけです。)

そのうちの一人、鉱山学者のライマンという人が、北海道一円の詳細な地質調査をいたしまして、日本最大規模となる石狩炭田(空知炭田・夕張炭田)の存在をつきとめたと。その一番最初の「あそこ、なんか変だぞ?」を発見したのは地元の大工だとかって話もありますね。

なかでも幌内付近(三笠市)の石炭埋蔵量がきわめて豊富であることから、開拓使にこの地における開坑を献言。明治12年、官営幌内炭鉱が開鉱したわけです。

空知一帯は質の良い石炭が豊富に採れるから炭鉱が多いわけですね。

労働力を確保するために幌内炭鉱では、明治15(1882)年に空知集治監(集治監とは、徒刑・流刑・終身懲役の囚人を収容した監獄のこと。)を設け、囚人たちを坑内で働かせました。

当時は社会情勢が激しく変化した時代で、本州で職を失ったたくさんの人びとが、仕事を求めて北海道へ渡ってきました。炭鉱なら働けるに違いないと、はるばる三笠へ来た中には、「集治監があるから手は足りている」と仕事をもらえず、さらに歌志内まで歩いて移動させられた家族連れの坑内労働者もいたそうです。

明治3年の札幌の人口は13人

https://www.youtube.com/watch?v=khNzj-bae-U&t=5692s

炭鉱の始まりは釧路市だそうですが、官営の大手炭鉱の最初は三笠市の幌内(ほろない)だそうです。(官営というのは、今で言うところの公営ね。)

その後、石炭輸送のために幌内から小樽手宮まで官営鉄道が敷かれました。
石炭をどうやって、どこに運び出すか..

ケプロンから(ケプロン=開拓使教師頭取兼顧問となる。 北海道の道路,港湾の整備,農業,漁業,鉱工業の振興などについて基本計画をまとめたお雇い外国人。)

(1)案は幌内から幌向太(石狩川)まで鉄道を敷き、川船で石狩まで運び、そこから小樽の港まで搬送する案。

(2)案は幌内から鉄道で室蘭の港まで搬送する案。

という、二案が出たようですが費用の関係で小樽に決まったようです。
そこから(1)の内容ちょこっと修正されて、幌内から小樽まで鉄道を作るとなったわけですね。

そこで鉄道技師のクロフォードさんを呼んで、さっそく鉄道を作らせたわけです。呼んだ季節が季節だったこともあって紆余曲折ありましたが。
三笠にあるクロフォード公園ってのはこの人の名を冠した公園です。

ということで、まずは明治13年に小樽から札幌まで線路を敷き、その翌々年に小樽幌内間が開通しました。(この鉄道は人の運搬ではなく、石炭の運搬が主軸に考えられています。)

余談ですが、当時の札幌は物価が高く(物資運搬は馬車だから量がないんよね)、栄えているわけではなかったようで鉄道開通を機に物資の安定供給が成され物価も下がり移住者も増え商売も増えていくという流れもあり札幌は一気に商業都市として栄えていったようです。

札幌には開拓使もあったし、ビール工場や製糸場などの工場がたくさんあったから工業地帯としてはしっかり栄えはじめていたと思いますが、線路が敷かれてなかったら都として栄えるのはもっと後のことだったかもしれませんね。明治末期までは小樽の方が人口多いんですよね実は。

小樽市総合博物館運河館で撮ったもの

1870年は明治3年です、この時点では圧倒的に小樽優勢。
で40年かけてジワジワ人口の数を詰めていってるんですね。ちなみに明治は45年間続きました。

上記の明治3年から10年後の明治13年に官営鉄道小樽札幌間が開通したので、そこら辺から札幌に人が移ったり、全国各地から転入してきたんでしょうね。

上砂川の歴史を掘ろう

さて、それでは我らが上砂川町はどのようにして繁栄したのか。

明治20年に上砂川炭田が発見され、その後、明治32年に福井県鶉村から来た開拓者・山内甚之助氏他8名によって、この地に鍬が入れられたのが発祥です。 大正3年には石炭社である三井鉱山株式会社が起業し、以来炭鉱の町として発展し、昭和24年には当時の砂川町、歌志内町の一部を分割して「上砂川町」が誕生しました。

上砂川町HP

まず、1886(明治19)年から1889(明治22)年にかけて、上砂川地区に石炭が埋蔵されていることが道庁技師の山内徳三郎や坂市太郎によって発見されたようです。

その後、1896(明治29)年には、現在の東町地区の奥に上砂川地区最初の炭鉱となる「西山坑」が開坑した。(この西山っていうのがパン工房がある地区です!すげぇ!笑)ここは北海道炭鑛鉄道(のちの北海道炭鑛汽船)によって開発されたそうですが、のちに三井鉱山に買収されて三井砂川炭鉱の一部になったそうな。

これが現在の西山!我がパン工房があります!

で、その数年後に山内甚之助さんが入植したわけですね。
このHPの引用の8名と書いてあるところ、正確には7名は名前を貸しただけで実質山内甚之助さん夫婦と四人の子どもたちで頑張ったそうですね。
2年4ヶ月の間に21戸の自作農と4戸の小作農を集めた。やがて、パンケウタシナイの沢は、甚之助さんの故郷である「鶉」を冠して「鶉農場」と命名されたそうです。

現在は畑どころが、第一次産業が一個もない北海道では珍しい町なんですが、少なくとも元は21戸の自作農と4戸の小作農があったわけですね。

で、僕がこっちに来てから聞いた話によれば全部炭鉱住宅にしたり何だりするために三井鉱山に売っちゃったんだとか聞きましたが定かではないです。

まぁ、でも確かに畑があったような名残すらないもんなぁ。笑

で、大正3年に三井砂川炭鉱が開坑。
本格的な採掘が始められたのは3年後の1917(大正6)年で、そこからは三井鉱山主導によるまちづくりが行われたわけですね。

三井鉱山は従業員の住宅、市街地の形成、学校、スポーツ施設、文化施設などの建設も行ったそうですよ、すげぇなぁ。

調べてたら上砂川にシャンツェがあったって書いてあってびっくりよ!笑
※シャンツェっていうのは大倉山みたいなスキージャンプ台のこと。

明治35年頃から大正2年までの12年間のこと知りたいんだが調べても出てこないから図書館行ってみるか。空白の12年間。

戦時中も炭鉱は好景気、軍需産業がフル稼働だったからガンガン掘っていくがしかし、日本は敗戦..しかし復興には石炭が欠かせないってことで、生産量を増やしていったそうです。

上砂川って元々独立してなくて砂川町と歌志内町の一部、上砂川地区だったんだそうで、独立運動なるものが起き、終戦から4年後(昭和24年)に上砂川町として独立したんだそうです。

このときの人口が恐らくピークの3万人ですね。
そこから80年ほどかけて現在の約2400人になっていったわけですな。

昭和60年には、国内炭と輸入炭との価格差が円高によって増大し、原料炭1トンあたりの価格差が1万円を超えるようになった。
要するに、外国産の石炭を買った方が安く上がるようになっちゃったと。

すでに慢性的な赤字経営に陥っていた三井砂川炭鉱は生産の大幅縮小を余儀なくされて閉山に追い込まれ、上砂川を作ってきた主要産業は終焉を迎えたわけですね。

これが上砂川のざっくりとした歴史です。
歴史はまぁ調べれば何となくわかります、このnoteもそうです、調べれば出てきますし。
ならばその中身、人々の生活や炭鉱での作業なんていう人の営みを見て回れるのが炭鉱館に求められている役割なのかもしれませんね。

またそのうち続きを描きます。

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