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ニンジン目がけて走るゾンビ

今週末に、夢が一つ叶うような嬉しい予定があるからと、今月はせっせと働いた。
やりがいのあることもあったし、勉強にもなった。しんどくて投げ出したい時も、理不尽だなと思う時も、今週末のニンジンを想像しては懸命に走ってきた。寄り道などしていない、する暇もなく、本当に走ってきたのだ。

そして週末を控えた今日、大きなミスを犯した。
言い逃れできない自分のミス。人に迷惑をかけたし、信用も失ったかもしれない。気が抜けていたか、忙しすぎたか、予定が記憶からすっぽり抜けてしまっていた。謝り倒してなんとか今に至る。他人のミスのカバーならいくらでもやるのに、自分がミスするとは何とも後味が悪い。悔しくて、情けなくなる。本当に走ってきたから。

私は昔から、幸せすぎると何か悪いことが起こりそうで怖くなる癖がある。理由はわからない。だから、あぁ来たな、と思った。幸せに浸からせないための罠のみたいな、なぜか避けては通れない不幸せ。それでも幸運なのは、いつも誰かが助けてくれて、何とかなっていること。100%幸せ者になったとしたら、有頂天になって人のありがたみなど忘れてしまうヤツだから、こうして教えてくれているのだろうか。

それに加え、本当はニンジン目指して走りすぎていたのだ。擦り傷や疲労にも気づかず、周りも見えなくなったまま。ご褒美が目の前にある今、最高にハッピーな気分のはずが、身も心も疲労困憊でズタズタになり涙がこぼれてくる。そういえばずっとなんだか泣きたかった。完全にキャパオーバーだ。痛すぎて目も当てられない。

泣いた途端に不思議と気持ちが鎮まる。何にも器用にできないから、目に前のことをひとつずつやっていく方法しかとれない。効率が悪いから、ギアを上げてひたすら突っ走るしかない。きっと今までそうやって生きてきた。自分の能力のなさが憎い。でもここまでやってきた自分はほんの少しだけ誇らしい。人の倍時間がかかっても、失敗が多くてもめげなかったから。

そして待ちに待った週末はやってくる。少しの痛みを伴いながら。元気で無事にその場所に辿り着けるか、予定がキャンセルにならないか、罠に怯えながらご褒美を掴みにいく。迷っても間に合うように早く家を出よう。とびきりのオシャレをして一生の思い出に残る1日にしよう。幸せを掴むことはきっとこわい。溺れてしまいそうで、我慢ができなくなりそうで、手放せなくなりそうだから。でも一回だけ、心底しあわせを味わってみたい。それがこわくないことなのか、やっぱりこわいことなのか確かめてみたい。

気持ちが上向いたところで、いろいろあった今日の私に相応しい慰めの一曲をシャッフル再生に委ねたら、流れてきたのはゾンビの歌だった。斬られても甦る強メンタルか、幸せを掴み損ねては切望し続けるしぶとさか。何よりご褒美を目前に疲れ果てた今の姿こそゾンビのようだったのかもしれなかった。

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