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Harvard(MBA)での1学期目をふりかえって

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先週で1学期目の期末試験を終えました。ついに冬休みです!

学期の途中までは

「早く冬休みが来てほしい」

「予習地獄から開放されたい~」

「進学する学校選び間違えた」

という気持ちでいっぱいだったはずなのに、不思議なことに、今、1学期目を終え「寂しい」「楽しかった」という気持ちで満ちています。

授業で自分の考えをうまく話すことができないことや、発言したい場面で教授に当ててもらえず話せず、歯がゆい思いをしたことが何度もありました。ときには授業後、茫然と家に帰り、泣き、妻に心配されたこともありました。

(かなりレアですが)逆に自分の発言がクラスメイトや教授に評価されたときの達成感や、1学期をともに生き抜いたクラスメイトと暫くあえなくなることの寂しさが、今のような心境をもたらしているのだと思います。

1学期過ごしてみて、HBS(Harvard Business School)のプログラムについて自分なりの理解ができてきたので、本校のカリキュラムの特徴について改めて振り返りたいと思います。なお、HBSの代名詞でもあるケースメソッドはHBS以外のMBAスクールで幅広く取り入れられているので、MBAをイメージするのに少しでもお役立てできればと思います。

ケースメソッド

HBSでは実際の企業や個人の事例を取材し、それらをケースと言われる教材として提供しています(学外の方もこちらから購入できます)。

各ケースでは、上場企業やベンチャー企業の経営者だけでなく、企業に勤める若手社員など、多彩な人物が主人公として取り扱われています。多くの場合は、その主人公が明白な正解がないような選択を迫られており、「●●はどの選択をすれば良いかと悩みながら、冷めたコーヒーを片手に昼下がりの窓の外を眺めていた」みたいな形で締めくれられます(なぜかストーリーはいつも物語調で書かれています)。

議論、議論、議論

授業は、教授が学生の1名を指名し「あなたがケースの主人公であれば、どのような選択肢をするか。またそれは何故か」という俗にいうコールドコールで幕を開けます(その他の質問例として、「主人公はどのような課題を抱えているか」などケースのサマリーを求められる場合もあります)。

コールドコールされた学生は自分の意見をロジックとともに述べ、ロジックが弱い場合は教授からの更問に遭います。その後、教授は「●●の意見に対する反対意見は?」と、次は発言者の挙手を求め、議論を発展させていきます。基本的に教授はファシリテーターの役割を担い、議論中に自身の意見などを述べることはありませんでした。

学生は予習の段階で「自分だったら、どう判断するか。それは何故か」を考え、授業に臨み、授業では、議論の流れを踏まえながら、新たな観点や関連する自己の経験などを完結に論理だて述べることが重視されます。

なお、一つのクラス(80分)で発言する機会があるのは90人中30人程度であり、他の学生との機会均等の観点から、一つのクラスで発言される回数は1回という自主ルールが定められているクラスが多いです(一つのクラスで2回発言することを”double-dip”と呼ばれ、double-dipを行うと他学生からの白い視線を浴びることができます)。

ファイナンスのようなハードスキル系の授業でも、議論が重視され、例えば「この企業を評価する際に適した類似企業はなにか」という論点などで、対象企業の特性をどのように捉えるか学生間で議論することが推奨されました。

事前課題や授業のまとめで、ハードスキルやフレームワークなどを学ぶ機会はあるものの、正直なところ、科目によってはケースメソッドよりレクチャー形式の授業が適している場合もあるなという印象を持ちました。

それでもHBSが100年間ケースメソッドに集中してきた理由として、以下3つを聞いたことがあります。

① 一人の教授からの教えよりもクラスでの議論が、学びが多いと考えていること
② 自分で決断をし、それを伝えるPublic Speakingの練習として優れていること(私のマーケティングの教授は授業を取締役会と思って発言するようにと言っていました)
③ ストーリーベースで学ぶことで内容がより頭に残ること

成績評価

HBSの成績評価モデルが活発なクラスでの議論を促進していると感じました。1年目はすべての科目で、授業中の発言が成績の40~50%を占めます(残りは試験など)。授業の発言が成績に占める割合が多いことから、日々の授業に力を入れざるを得なくなっています(コールドコールを受けるかもしれないというプレッシャーもあり、全く予習をせずに授業に臨む学生はかなり少なかった印象です)。

また、最終的な成績はクラス内で上位15-25%が「I」、中位65-75%が「II」、下位10%が「III」と相対評価され、1年目10科目中5科目以上で「3」を取ると、進学協議会に付議され、2年生への進学が危ぶまれるスキームになっています。

わたし個人の経験

私は英語面の不安から、無事2年生になれるのか、というプレッシャーが入学前、学期中に重くのしかかっていました。学期中に教授と個人面談を行い、自分の発言に対するフィードバックをもらったり、日本のケースがあれば「自分の経験を踏まえ、こういう発言ができるから当ててくれ」と事前に教授とネゴったりもしていました。また、ライティングコーチを利用し期末試験(4時間でケースを読み1,500字程度のエッセーを書く)の準備したり、とにかく必死だった気がします。

必死に準備したケース(特に日本関連の授業)で想定とは全く違う方向に授業の議論が進み、自分が発言したい内容を伝えることができなかったりして凹むことも多かったです。

また、double dipルールを踏まえると、授業のどのポイントで「自分の貴重な発言権」を行使するかという悩みも出てきます。議論の浅い段階でとりあえず最低限の発言点を確保する「送りバント」を目指し挙手をするのか、もしくは議論の肝となる点で「ヒット」もしくは「ホームラン」を狙い手を挙げるのか。しかも、後者を狙いにいく場合、当たらない可能性も高く、その場合は出席点は稼げないことになります。

ケースメソッドの本質(クラスメイトの発言から学ぶ、もしくは自分の発言でクラスメイトに示唆を与える)と照らすと上記の悩みは無意味なものなのですが、成績に対するプレッシャーが強かった私にとっては、日々の情緒を左右する重要なポイントでした。

そんな情緒不安定な私を支えてくれたのは家族とクラスメイトでした。授業で付加価値のない発言をし、授業後に悔やんでいたときに優しく励ましてくれた友達や家族、授業で珍しく(!)価値のあるような発言をしたときに拍手してくれたクラスメイトたちのおかげで、何とか1学期を終えることができました(成績が伴っているかは別ですが)。

また、英語が流暢な留学生や英語ネイティブの人でも、発言が苦手な人も一定数いて、そういう人たちも私と同じようにどのように授業で貢献するか悩んでいるということが学期中で分かり、少し気持ちが楽になりました。

ケースメソッドで学び、また授業外でもクラスメイトと人種などの難しいトピックを話す場面も増え、自分の意見を持ちそれを相手に伝えようという姿勢が少しずつ養われてきているような気がします。

激動の1学期を振り返っていると、日も暮れ始めいつの間にかコーヒーが冷めてきました。今日はこのあたりで終えて、また別の機会に印象的な授業の内容などについてブログ更新しようと思います。


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