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遠くの人より身近な人
人を助けようって募金したり寄付したりするのはとても立派なことだけど、
もっと身近に困っている人っているんじゃないかと思う。
近所のシングルマザーがお金に困っているか、育児に苦しんでいるかなんて誰も気に留めやしないし、当たり前に自分と同じように生活してると思って放ってる人が多いと思う。
ただ自分の偽善心を満たしたくて、遠くの困っている国の子供たちへ募金をする。まだ見ぬ「困っているだろう」人へ対する偽善。
身近に普通に暮らしているように見える困っている人を無視して、そういう偽善をしてしまっていないだろうか。とふと思う。
友達が骨折して一時的に松葉づえになっても、健常者はどんどん先へ歩いて行く。振り返って友達が追い付いてくるのを待つのだ。
友達が一生懸命松葉づえで階段を上っていたとしても、後ろから見守ってくれる人はほとんどいない。松葉づえをついている人は、いつも人の後ろ姿に追い付こうとしている。
友達が越えられない段差に途方に暮れていたとしても、気づかない。自分と違う立場の人が困っていることについて、人は気づきにくい生き物なのだ。
いつも普通に歩けていた友達だったらなおさら急には変われない。
身近な人が困っていることにも気づけないのに、ある日突然身体が不自由な方に出会ってもきっと手を差し伸べられないだろう。
ボランティアは知らない相手を対象にやるだけではないし、募金だってどこかの慈善団体にお金を入れることだけではないと思う。
もし遠くの誰かに寄付したくなったら、まず身近に困っている人はいないのだろうかと考えてみたい。
といっても自分も近所のシングルマザーに「はい、お金」っていきなりプレゼントするのは同情してるようで嫌だけど。野菜をあげるとか、見かけたら声をかけたりはできるのではないかと思う。
シングルマザーだけではなくて、お一人で暮らしているお年寄りに対しても出来るかもしれない。
それよりももっと身近な友人や家族の中にも困っている人がいるかもしれない。
人助けがしたくなったら、まず身近な人。
遠くの人より身近な人を幸せにしてみよう。
知らない人ではなくて、まずは知ってる人。