Especial Pink《番外編》『ヒメゴト』
🌟本編のストーリーです(全8話あります)↓
そしてキャラクター紹介はコチラ↓
🌟成田久(キュウ)
🌟三田優生(ユーキ)
《成田久》
3月の公演以降、俺は何度も同じ夢を見るようになった。高校時代のカノジョだった紫織が客席の真ん中一番前の席に座り、ステージに立っている俺をじっと見上げている夢を。
この広い空間にいるのは俺と紫織の2人だけ。そして客席には照明が当たっていないハズなのに、彼女が座っている席だけがピンポイントに明るい。
「キュウ」
紫織が俺に向かって優しく語りかけた。
俺の耳が声をキャッチした……というよりは、『心に届いた』という表現の方が近いかもしれない。そんな彼女は更に言葉を続ける。
「キュウ…………あの子と幸せになってね」
「…………」
目が冷めた直後、見慣れない部屋の天井が目に入り、俺は自分がどこにいるのか一瞬だけ忘れてしまった。
(…………あ、そういや、ここはマー坊の家だっけ)
GWの長期休暇を利用して、俺は一昨日の夜から『マー坊』こと従兄弟の安藤雅美の部屋に泊まりに来ていた。この地は大学時代の4年間を過ごした場所だが、何故だろう?……たった1ヶ月離れていただけなのに、懐かしいという気持ちを押さえられない自分がいる。
(それだけ東京に染まった……ってことなのかな?)
溜め息に似た深呼吸をしながら、俺は再び天井を見つめる。そして頭に浮かべたのはやはりあの夢こと……。
(俺は……本当に卑怯者だな)
夢は潜在意識の塊。俺の罪悪感が俺にあんな夢を見せているのは分かっている。一生紫織だけを想って生きようとした自分が、ユーキと出会ったことで、彼女を裏切ってしまったのだから。
罪悪感を軽減するために、夢の中で紫織にあんな『演技』をさせてしまう自分は最高の卑怯者だと思う。いっそ泣かれた方がいい。恨み言なら毎晩でも聞くのに……。
(ごめんな紫織)
ユーキと付き合ったことは後悔していない。だけど、あの夢を見ている限り、俺は俺を軽蔑し続けるだろう。
「キュウちゃん、起きてる?」
「あ? うん」
マー坊の声で俺は我に返った。
「朝メシどうする? 昨日遅くまで飲んでいたみたいだから、シジミ汁でもどお?」
そう、昨晩は演劇部の後輩たちと夜の街に繰り出し、居酒屋で飲みまくっていた。
「サンキュー。朝からシジミ汁作るなんて、マー坊、お前は女子力高いな!」
「即席味噌汁に決まってんじゃん」
「あ、なるほどね。どっちにしろ助かるよ。昨日はちょっと飲み過ぎたし……」
俺は布団から出て、洗面所へ向かった。
「今日は三田さんと会うんでしょ?」
そう言って、マー坊はシジミ汁が入ったお椀を俺に差し出す。
「あ? うん」
「じゃあ、もう少しシャッキリしないとね」
「ヘイヘイ」
お椀を受け取り、一口すする。シジミ汁は微妙な二日酔いの身体に、優しく染み渡ってくれた。昨日はちょっと羽目をはずしてしまったかもしれない。いい大人なんだから、そろそろ自重することを覚えないと……とは思ってはいる。
(約束まであと1時間か)
実はユーキとは予定が会わず、一昨日も昨日も会っていない。一昨日は自分の到着した時刻が深夜だったこと、そして昨日はユーキが法事で隣の市に行ってしまったことで、再会できるのが『帰還』3日目の今日……というワケなのだ。
ただし、俺がここにいられるのは今日まで……。
今度は自分の実家へ帰るために、マー坊と一緒に深夜の高速バスに乗る。長期休暇のほとんどを移動に費やしているような気がするが、これは遠距離恋愛を選んだ時点で覚悟していたことだから仕方がない。
「そうそう、マー坊、寝場所提供してくれたお礼、忘れないうちに渡しておくな」
お椀をテーブルに置いた俺は、自分のリュックに手をかけた。
「キュウちゃん、気ぃ使うなよ。まだ社会人になったばかりなんだから」
「そう言うと思って、全部図書カードに変えてきた。これなら受け取るだろ?」
「え? え? あ、ありがと」
1万円分の図書カードを手にしたマー坊の目がキラキラ輝いているのが分かる。多分ヤツの頭の中では『使い道についての脳内会議』が始まったに違いない。本当に本の虫だ。ぎっしりと小説が詰まっている部屋の本棚を見ながら、俺は改めて感心した。
「よし、それじゃ支度するか、夕方には戻ってくるから」
「三田さんによろしくね。それにしても、せっかく両想い同士になれたのに、会える時間が少な過ぎだね」
「ユーキに悪いとは思ってる」
ユーキと付き合い始めたのは3月の中旬で、その1週間後に俺は東京出発している。色々バタバタしていたので、まともなデートなど一度もしていない。恋人らしいことといえば、別れ際にキス(それも軽めのヤツ)をしたくらいだ。
(……とは言っても)
これは個人の感覚だが、社会人の俺が、4歳年下で学生のユーキとの関係を進めることについては、かなりのハードルを感じている。例え遠距離恋愛でなかったとしても……だ。更にユーキにとって俺は『初めてのカレシ』だからという背景も大きい。
「マー坊、お前はカノジョできたの?」
「いや、全然」
陽キャに見えるマー坊だが、高校時代は読書と絵が好きな地味な男子だった。俺の姉貴によって無理矢理『大学デビュー』させられ、その結果、顔だけがいい女子にロックオンされてしまい、色々大変だったようだが……。
「相変わらずモテているんだろ? 昨日、一緒に飲んだアーちゃんが『ウチの学科の女子たちが、安藤くんにキャーキャー言ってますよ』って教えてくれたぞ」
相良敦士とは演劇部の後輩で、マー坊やユーキと同じ学年の男子だ。もちろんジュースしか飲ませてはいないが、超童顔なので、外部から補導員が来るんじゃないかと、少々ヒヤヒヤしていた。
「話をしていて楽しい子はいるけど、価値観が似ている子にはなかなか会えなくてね。でも焦ってはいない」
「ふ~ん。でも、もしもカノジョが出来たら、俺に教えてくれよな。そしたらオマエん家に泊まるのは遠慮するからさ」
「それぐらいで文句を言う子とは、最初から付き合うつもりはないよ。元カノで学習した」
「……そっか」
「キュウちゃんは、三田さんみたいな子と付き合えて良かったと思うよ。だから大事にしてあげてね」
マー坊は何故か寂しそうに笑った。
やっぱりマー坊はユーキのことを少しは想っていたのだろうか?
ユーキとの待ち合わせ場所の駅前に向かいながら、俺は雲1つない初夏の空を見上げる。
「……………」
俺と付き合う前のユーキも、マー坊に対して好感を持っていたのは、なんなく分かっていた。更に2人は本好きで趣味が合う。ユーキがもう少し積極的で、マー坊が大学デビューで浮かれていなければ、あいつらは1年生の早い時期に両想いになれたかもしれない。
「………………」
こんなタラレバ、間違っても2人には言えないけれど、『いわく付き』の俺が彼氏でユーキは本当に幸せなのだろうか……と時々考えてしまう。
昨晩の飲み会は、急な連絡だったにも関わらず、結構な人数の後輩が集まってくれた。
「キュウさん、ユーキって、本当にいい子ですよね」
演劇部新部長の山下が俺に言う。
「え?」
「別にカレシのキュウさんにゴマをすっているワケではないです。俺の素直な感想ですよ。特にキュウさんと付き合ってから、あの子のポイントがアップしました」
「へぇ? そうなんだ」
「ユーキって、自分からキュウさんの話は絶対にしないんですよ。聞かれたことに対しても最低限の情報に留めておくだけ……」
そう言って山下はジョッキの中に残っていたビールを飲み干す。
「それが凄いんだ?」
遠距離過ぎて、俺の話をするほどの情報を持っていないから……と言えばそれまでだが、聞いてもいないのにカレシの話をペラペラと喋るユーキは全く想像できない。
「キュウさんはコバさんと一緒に、今の演劇部を作った功労者ですよ。そんな人のカノジョになれば、部内で勘違いする子もいると思います」
「ふ~ん」
「俺ね、高校時代のカノジョだった後輩に、幼稚園時代に買ってもらった犬のぬいぐるみを、ずっと大事に持っているのをバラされたことがあるんですよ。枕の横に飾っていたんですけど、『山下先輩はぬいぐるみと一緒に寝てるの。可愛いよね?』って。当時、厳しい部長キャラだった俺が……ですよ?」
「うわぁ~、ソレはないわ~」
その場にいた全員の声が、見事に重なった。
「何なんでしょうね? あの『私だけが皆の知らない彼を知っていますマウント』は……。俺はその子の物怖じせず話すところに惹かれてたんですけど、そこでスーッと冷めて別れました。周りからは『厳しすぎね?』って顰蹙をかいましたが、俺的には完全にレッドカード扱いだったんで……」
「山下さん、俺……メチャクチャ解ります!」
3年の金沢が「うんうん」と思い切り首を縦に振りながら話を続ける。「そのまま付き合っていたら、絶対にエスカレートしたと思います。下手すりゃ性癖とか……」
「金沢も何かあったのか?」
「俺も高校時代に同じ部活の子と付き合っていたんですよ。同級生なんですけどね。で、その元カノなんですが、2人きりの時に使う呼び名を、みんなの前で口にしてたのが凄く嫌でした」
「ちなみになんて呼ばれてたんだ?」
「『リョーたん』です」
ちなみに金沢の下の名前は亮太だ。みんなは再び「ないわ~」の合唱をした。確かに甘ったるい響きはキツい。
「『後輩もいるんだから、やめてくれ』って何回も注意はしましたよ。でもイマイチ解ってくれないんです。結局その子とは破局しました。なんて言うか……カノジョだからこそ、公で控えて欲しいことってありますよね?」
「なるほどねぇ」
ユーキはみんなの前で俺にしっかりと敬語を使う。そんなきっちりと『線』を引いているところが、周りから一目置かれる理由なのだろう。ただし彼女は2人だけで話す時も未だに敬語だし、LINEのメッセージも同様だのだが。
まあ、敢えて言う必要はないか……。
そんなことを思い出しているうちに、目的地の駅ビルが見えてきた。
ショーウィンドウ前には、待ち合わせ中だと思われる人が何人か立っていて、その中にはピンクのパーカーを羽織っているユーキがいた。ちなみに約束の時間まであと10分もある。
「おぅユーキ、久しぶりぃ!!」
「キュウさん!!」
この1ヶ月の間にユーキはぐっと大人っぽくなっていて、俺は密かに驚いていた。スマホ画面を通して、ちょくちょく顔は見ていたハズなのに……。
「元気そうで良かったよ」
「キュウさんも……」
嬉しそうに微笑んでいたユーキだったが、その直後に彼女の両目から涙がこぼれ落ちてきた。
「え!? どうしたユーキ?」
「あ、あれ?」
俺は驚いたが、ユーキはもっと驚いている。彼女はバックからハンカチを取り出し、それを急いで顔に当てた。
「……………」
「……なんだろう? 自分でもよく分かりませんが、多分、キュウさんに会えてホッとし過ぎたんだと思います」
涙で濡れた目をユーキは一生懸命細め、無理矢理笑う。
「………………」
「ごめんなさいキュウさん。びっくりしましたよね? すぐに落ち着きますから…………えっ?」
ユーキが言葉を言い終える前に、俺は彼女の頭を自分の胸まで引き寄せ、そのままグッと押し付けた。バカップル上等。ここが真っ昼間の駅前なのは百も承知だ。
「とりあえず泣けや」
「キュ、キュウさん!?」
「ユーキ……俺の方こそごめん。寂しい思いさせちゃって」
この時点で朝からウジウジ考えていたことは、どっかに吹っ飛んでしまった。どうやら俺は頭でっかちになりすぎて、肝心なことを置き去りにしていたようだ。
今、大事にするのは現実のユーキで、それ以外の事に振り回されてはいけない。
「本当にごめんな。これからはできるだけ会いに来るようにする」
ユーキの涙が落ち着いたので、俺たちはそっと身体を離す。
「いえ、仕事は大事なので、無理はしないで下さい。…………でも電話の頻度をもう少し増やしてくれたら嬉しいです」
「じゃあ毎日する!」
「え? いきなりハードル上げなくていいですよ」
「俺がしたいからするの!」
「は、はい」
「それじゃ、行くか」
俺はユーキに右手を差し出す。そして彼女は照れながら、その手をそっと掴んだ。
芝居以外でユーキと手を繋いだのは、今日が始めてだった。
「キュウさん」
俺たちは相変わらず手を繋いだままで歩いている。
「ん?」
「実は……聞いて欲しいことがあるんです。言うか言わないか迷っていたことなんですけど」
ユーキの表情には、まだ迷いがあるように見えたが、じっと俺の目を見て、「3月の舞台のことです」と続けた。
「『銀河旋律』?」
「はい。私……実は本番中にも関わらず、セリフを1ヶ所忘れてしまったんです」
「ん? あぁ」
どの場面なのかすぐに分かった。ユーキの演じる『はるか』が、生徒の『クサカベ』たちと話をしているシーンだ。俺が舞台から走り去った後で、『はるか』は一遍の歌を詠むのだが、そこに変な間が生じてしまった。時間にして十数秒。舞台袖に戻った俺はメチャクチャ焦ったが、ユーキは歌を思い出したらしく、何とか流れを取り戻してくれた。
ユーキがその歌を口する。そして視線を空に移しながら、呟くような口調で話を戻した。
「あの舞台のこの歌は、自分で思い出したものではありません。……『誰か』が私に教えてくれました」
「…………えっ?」
意味が解らない。
「頭が真っ白になってしまった私の耳に、あの歌が入ってきたんです。もちろん驚きましたが、私は急いでそれを口にしました。教えてくれたのは女性の声です。耳というよりは、『心に聞こえた』と言った方が正しいかもしれません」
「…………」
「そして……セリフを言い終えた後、私は何かを感じて一瞬だけ客席に視線を移しました。その時、一番前の真ん中の空席だけが、淡く光っているのが見えたんです」
「一番前の……真ん中の席」
あの夢のことは、ユーキにも誰にも話していない。
(紫織!?)
ユーキと繋いでいる右手に不自然な力が入ってしまった。
「この後は、気持ちを切り替えなければと思って、芝居に集中しました。これ以上みんなに迷惑はかけられませんから」
「………………」
「思い違いだった可能性は否定できませんが、私にとっては不思議なことでした」
おそらくユーキも同じことを考えている。
「…………ユーキ」
「はい?」
「不思議なことが……あるもんだな」
「そうですね」
「なあ、ユーキ」
「はい?」
「…………夏休み、今度はお前が東京に来ないか?」
「えっ?」
「せっかくだから4~5日くらい。俺は仕事で平日の昼間は一緒にいられないから、合鍵は渡しておく。お前、国会図書館に行きたがってたから、ちょうどいいんじゃない?」
「はい、行きたい……です」
ユーキの表情が、まるで遠足前の子どものように輝く。
「その前に、お前の両親に挨拶しなくちゃな。きちんと話をしておきたい」
考えただけで緊張するが、ユーキに『女トモダチの家に泊まりに行く』などの嘘はつかせたくはない。
「大丈夫ですかね? うちのお父さんメチャクチャ怖いですよ」
「えっ? マジ!?」
「嘘です」
「おいっ!! 驚かすなよ」
「ごめんなさい。嬉しくなって、つい浮かれてしまいました」
「………………」
その時のユーキの表情を見て、俺は心臓から音が飛び出すんじゃないかと思ってしまった。周りに人がいなければ絶対にキスしていただろう。
「キュウさん? どうかしました?」
「そのぉ、ユーキが可愛い過ぎだと思って……」
「えっ? えっ? えぇっ!? キュウさん一体どうしたんですか!? いつものキュウさんと違います!!」
ユーキの顔が最上級に赤くなる。
「そんなこと、俺自身が一番思っているからっ!!」
「…………………えっ?」
不意に……あの『声』が俺の心を通り過ぎた。
俺は歩くのをやめて首をひねり、今、自分たちが歩いて来た道を振り返る。
(紫織?)
「キュウさん?」
「………………………何でもない。行くか」
「はい!!」
俺たちは再び歩き出す。お互い、繋いだ手にぎゅっと力を入れて……。
(紫織、ありがとう)
あの夢を見ることは、おそらく、もう二度とないだろう。