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Tele倶楽部感想 前編
フォルメモではピーナッツくんは殻の内側を見せてくれたとして、今作ではパンツまで脱いできている。前作のアニメの世界観と真剣なクリエイター像を両立した楽しくてかっこいいピーナッツくんのイメージをぶち壊して、徹底的に VTuber としてのピーナッツくんを描くことでリスナーの期待を裏切ってきた。怒り、悩み、不安、期待ととにかくいろんな感情をさらけ出している。フォルメモで描かれなかった部分は感情が入り混じるカオス状態だ。
欲望や快楽といったどうしようもない感情を正直に歌っているところはレオブタのラップに近い雰囲気がある。でもレオブタのラップが成人男性の視点で書かれるのに対して、ピーナッツくんのラップはあくまでピーナッツくんの視点で書かれている。ピーナッツくんはピーナッツくん以降の「自分」だと Peanuts in wonderland で言っているように、レオブタはピーナッツくん以前の延長として区別されているようだ。そもそもラップは基本的にリアルな自分自身の一人称視点で語られるものなので、どのキャラクターがラップするかによって表現できることは大きく変わってくる。レオブタは最近のピーナッツくんの思いや考えを表現することはできないし、逆にレオブタとして表現していた成人男性的な部分はピーナッツくんとして表現できなかった。
そしてレオブタは前作で False Memory として解体された。こうしてレオブタを過去のものにしてレオブタの領域を一部明け渡すことで、ピーナッツくんはレオブタが歌ったテーマとつながる部分に一歩踏み込めている。つまりレオブタの犠牲によってピーナッツくんの表現の深さにバリエーションを与えたのだ。今回のアルバムで彼が歌おうとしたのはまさにその部分だった。そういうスターとしてのピーナッツくん視点から彼自身や彼を取り巻く世界を深く掘り下げていったのが今作のピーナッツくんのラップだ。前作ではデニムくんやジョビルボ松本もいてピーナッツワールドが描かれていたが、今作は徹底的に VTuber 的で内向的な内容になっている。今ピーナッツくんがエヴァを作ったら大体こんな感じの内容になりそうだ。
このアルバムのテーマについて、彼自身はインタビューで VTuber に向き合うために、今作では VTuber を過剰に表現したと言っている。ユリイカの日本語ラップ特集で岩下朋世の記事がラップとキャラクター表現の相性の良さを熱く語っていたが、そこからさらにピーナッツくんとゲストの対比によってキャラを強調しようということだ。企画としてのTele倶楽部構想をこういった Hip-Hop にシフトさせたのはなかなか戦略的だし、実際いろんな VTuber が出てきてとても楽しい。ただ今作のテーマはそんな表面的な部分にとどまらない。ピーナッツくんは VTuber としての自分とかなり向き合っている。そして特に踏み込んでいるテーマはピーナッツくんは誰で今後どうなりたいのか、つまり skit の「何してるの?」「何がしたいの?」という質問だ。
「何してるの」という質問に対して彼は徹底的に VTuber というクリエイターとしての自分を掘り下げる。特に Peanuts in Wonderland ではピーナッツくんとは誰かということが不安とともに語られているし、笑うピーナッツくん、messed up!、未来NEXTメシ、SuperChat では独立したクリエイターとしての自由を勝ち取るために戦う姿が描かれている。
独立と自由を貫くことはとても苦しい。常に前進できるということは常に選択に追い立てられる強迫的な状況でもあるし、迷うことがあっても誰も進む道を決めてくれない。そしてその自由はあくまでピーナッツくんの自由として幽体離脱していて、ご主人様の自由は犠牲になっている。本作の中にいろいろな形で現れる自信やプライド、高慢さや狂気がないと自由と独立を勝ち取ることはできない。チャンチョをはじめとした仲間の存在も重要だ。例えばやりたいことを突き詰めるピーナッツくんはどうしてもアイデンティティの不安に陥ってしまうから、ピーナッツくんが自分と向き合うにはチャンチョが必要になる。ぼくは人気者ではそんな彼を支えた仲間たちに感謝を述べつつ自分とは誰かという質問への答えを総括している。
「何がしたいの?」というテーマには愛が強く関係してくる。愛についてはフォルメモではあまり触れられていないが、今作では恋愛を描いてあからさまに愛について語っている。School boy をはじめとする4つのラブソングがこのアルバムにはあって、テレクラで「何がしたいの?」と聞かれたピーナッツくんがどんな恋愛をしたいのか考えを巡らせているようだ。ピーナッツくんがテレクラに入る理由は愛が欲しいからに決まっているんだけど、いざ何がしたいかと問われると自分が求めている愛って何だ?っていうめちゃめちゃ難しい話になって考え込んでしまう。
愛が欲しいのはもちろんテレクラに来る客に限ったことではない。例えば真剣な表現者もみな愛を求めていて、ロラン・バルトは「愛されるために書く」って言ってるしバンプも愛されたくて吠えているのだ。じゃあ音楽からゆるキャラまで何でも自由にできる個人勢ピーナッツくんは表現者としてどんな愛され方をしたいか、と考えるとやっぱりめちゃめちゃ難しい問題になってしまう。それでも彼は一応の答えを出して最後の3曲でこれからのことを歌っている。
今作では VTuber 界の異物、得体のしれない雑居ビルとしてのピーナッツくんを堪能できる。それぞれのトラックでは方向性がかなり異なり、アルバムを通して感情が目まぐるしく変化していく。ただ、そんないろいろな感情の中で苦悩しながらも自由を勝ち取るために戦い、ポジティブな未来を見据えているピーナッツくんは本当にかっこいい。
笑うピーナッツくん
一曲目からこれまで見せてきた普段のおとなしいピーナッツくん像をいきなりぶち壊して、YouTube の延長でこのアルバムを聴いてはいけないことをリスナーに突き付けてくる。DUNE! でピーナッツ星の刺激的な雰囲気を描いたフォルメモとはえらい違いだ。今作は普段の動画のようなノリでは決してないし、前作のように大体がポジティブな内容というわけでもない。ピーナッツくんはとにかく本気で怒ったり苦しんだりしている。だからリスナーも覚悟を持ってこの先の曲を聴かなければいけない。
曲調からもピーナッツくん死ぬんか・・・?って思っちゃうくらい本気の焦りを感じる。隙間なく次々に歌われる言葉が、常に進み続けなければいけないという彼の強迫的な信念を反映しているようだ。ピーナッツくんが「誰かさんによるギミック」だと宣言することで VTuber のマナーに中指を立てて自由を掲げるということをアルバム開始30秒でやってのけてしまうスピード感もすごい。一曲目から「何を言ったってもういい感じ」だ。とにかくこの曲全体がよくわからない何かに急かされるように前に前に進んでいく。
ピーナッツくんが焦ってる理由はやはり彼がかなり大きな目標を持っていることだろう。その目標はぼくは人気者あたりで語られているが、達成するには人生は短すぎる。目標を達成する前提で考えると人生もほんの一瞬で、目の前には死が迫っている。ライバルに負けないために1分1秒も無駄にはできないオリンピック選手のような鬼気迫るものを感じる。そんな大きな目標を掲げているのだから、VTuber 業界の最先端で満足していてはいけない。
でも VTuber 業界的にはピーナッツくんはそこまで売れてはいない。彼は自虐的に自分のことを腐って異臭を放つ shit って言ってるけど、本心はむしろこのレッテルを彼に貼るような同調圧力で停滞した界隈こそがクソだと思っている。スケールは違うけれど、クラスの中で孤立してる陰キャが陽キャ集団をひそかに見下すような、中学の頃の俺と同じ思考回路だ。お前らは調子乗って俺のことバカにしてるけど、俺はいい高校に行っていい人生送ってやるんだからなという感じ。マジョリティに抑圧された人間だけが持ちうる特別なパワーがそこにはある。
ただそんなよくいる陰キャとは目指すところが違い過ぎる。彼はかなりの努力をしている。孤独でもある。リスクも大いにはらんでいる。そんな努力を長い時間続けているのに業界内からはそれに見合う評価を得られていない。メインストリームになれない一方で本気の努力を続けてきたピーナッツくんはかなりのパワーをため込んでいるはずだ。だからこそ裸の王様を自信満々に見下すことができる。自信たっぷりのイキリ豆こそが俺にとってのカッコいい陰キャだ。
この感想を書く上で、ストリートの props って言葉はちょっと引っ掛かってしまう。蚊帳の外なんて自虐風に言ってるあたりピーナッツくんは Hip-Hop 界隈の評価をかなり気にしてるようだ。一方で僕は Hip-Hop を通ってないからこのアルバムをピーナッツくんが意図したジャンルである Hip-Hop として評価できない。僕がこの文章をいくら書いてもおともナッツがピーナッツくんを褒めるという平凡な行為にしかならないんだよね。でも書かざるを得ない。それくらい俺はこのアルバムに食らったんだ。
攻撃的というより界隈に厳しい判決を下す曲。この曲に喪黒福造のような余裕はないが、ピーナッツくんの活動を軽視して思考停止しているこの業界にお前ら全員ダサいんだよと彼が突き付けたこの曲は、まさに罰を「ドーン!」と宣告するあの指だ。
School Boy
もちひよこはかしこい女だから教師が似合う!ひみつの MIX TAPE で初めて聴いたときはピーナッツくんを弄ぶSっ気たっぷりのもち氏が最高にセクシーで笑ってしまった。
ピーナッツくんが刀ピー以外のラブソングを歌うなんてあの時点では全く想像ができなかったからか、MIX TAPE で聴いてるうちは、この曲はピーナッツくんの活動の中での迷いを描いたものだと思っていた。活動の中では視聴者から常に正解が求められるのに答えは自分で考えるしかないし正解は全く見えないという孤独な苦悩があって、それを「記号としての先生」が出す問題とそれに悩み続ける生徒に喩えたのだと解釈していた。問題文は「視聴者を喜ばせるにはどうすればよいか」といったところだろうか。
だけどアルバムを通して聴くとこの曲の認識も一変する。特に KISS の内容がちらついて、この曲もピーナッツくんがもち氏に気に入られようと頭を絞っている曲にしか聴こえなくなった。「あなたが私の心を掴むにはどうすればいいでしょうか♡」という、もちひよこがピーナッツくんに出題するいじわる問題だ。5歳児のまっすぐな好意を弄ぶもちひよお姉さんは本当にいじわるで最高だ。つまりこの曲は二人の歪な愛を歌ったラブソングである。しかも他の3つのラブソングはピーナッツくんの妄想と解釈できるが、School boyだけは異質で単なる想像ではない可能性が高い( skit の注1参照)。やっぱ二人付き合ってる???
このように School boy は意味の二重性を高いレベルで達成している。つまり、VTuber 活動での出来事を歪んだ恋愛になぞらえて説明できるというということだ。この二重性は他の3つのラブソングでも見出すことができる。3つのラブソングも一見 VTuber とは関係ない恋愛を歌った曲に聞こえるけど、VTuber のピーナッツくんがリリックを書いているということを念頭に聴きなおすと VTuber と視聴者の関係と対応するところが見つかってくるのだ。こうしていろいろな形の恋愛模様のなかに VTuber 活動との共通点を見出すことで、VTuber と視聴者の関係の中にある感情について客観的に考えることができるし、ピーナッツくんもこれらのラブソングを通して次のステップへのヒントを得ようとしている。
VTuber 活動の中での苦悩という解釈に戻るなら、ここで歌われる苦悩はインディペンデントな立ち位置ゆえの孤独な苦悩だ。活動の幅が他人に制限されないからこそ次に何をすべきか分からない不安に苦しんでしまう。これはレオブタの Anaphylaxis でも歌われているけど、School boy ではこの苦悩に耐えられる理由も曲の最後で語っており、答えを見つけるまで悩みぬいてやるという今後の活動に対する覚悟も感じさせる。レオブタとピーナッツくんの違いがここに現れていて、彼が活動の中で着実に成長していることが読み取れる。
ここでは先生役をしてるけど、今作の共演者の中で(おめシスは親戚だから置いとくとして)インディペンデントゆえの悩みを一番に共有できそうな人こそもちひよこだ。二人はいつもこの孤独な苦悩に本気で向き合っている。つまり実際は二人とも教室に居残りしていて、黒板に書かれた一つの問題に真剣に取り組んでいるということだ。二人しかいない教室に傾いた陽が射しこんだあの瞬間を思い出そう。本人たちとしてはそれぞれ孤独に課題に取り組んでいるつもりだが、実は二人は孤独じゃない。直接のやり取りをしなくても、孤独の先の深いところでいつも繋がっているわけだ。そんな二人が今手を取り合ってこの曲を作り上げているんですよ。この曲にはそういう高次元のてぇてぇがあります。
以上のようにこの曲では2つの解釈を重ねることができる。さらにどちらの解釈ももちピーがてぇてぇので、てぇてぇの二重性も達成している。つまり歪んたもちピーと高次元もちピーの二重奏である。この曲はもちピーてぇてぇのハーモニーを奏でているのだ。
風呂フェッショナル
この曲はお風呂タイムそのものだ。愛と苦悩が交差して忙しいこのアルバムの中で唯一気楽に聴くことができる。リバーブがかかったキラキラした音は、気持ちよく風呂に入った時に見える景色を思い出させるし、Yaca さんのゆったりしたラップは聴くだけでリラックスできる。僕はこの曲のおかげで他の攻撃的だったり緊迫感があったりする数々の曲をストレスなく聞くことができる。時間を自由に使えるクリエイターにとってのバスタイムはまさにそういう救いの時間だ。笑うピーナッツくんで歌われているような焦りやストレスのあふれる日常のなかで、バスタイムは貴重なリラックスタイムになる。クリエイターであり続けたいならまず睡眠と風呂の時間はしっかりとるべきというのはよく聞く話だ。バスタイムがなかったらクリエイターは続けられないし、この曲がなかったら僕もこのアルバムを聴き続けられないかもしれない。
サウナじゃなくて風呂の曲が来たのは意外だった。でも風呂というテーマを選んでくれたことでこのアルバムの中にリラックスタイムが生まれている。サウナには極端な高温や低温を繰り返すストイックな部分があるし、ととのう体験も強烈でとてもじゃないがこんなゆったりした曲調では書けない。サウナの曲を作ろうと思ったらもっと壮大でサイケデリックな曲調をイメージしてしまうだろう。だからただリラックスできる風呂の曲でよかったなと思う。
この曲ではピーナッツくんは銭湯、Yaca さんは家風呂について歌っている。ピーナッツくんは以前サウナでシリア難民の窮状に思いを馳せた話をして生放送を変な空気にしていたが、この曲でも世界平和に思いを馳せている。この感覚、めっちゃわかる。僕たちは普段自分のことに精一杯で、自分の仕事や消費活動が世界の構造や地球環境にどう影響しているのかなんて考える余裕があまりない。でも、風呂やサウナに入ってると血行が良くなって頭が妙に冴えるし、日常のいろいろについて考えなくていいから思考に余裕が生まれる。しかも銭湯にはテレビがあったりしてそこでニュースなんかが流れてるともう世界平和について考えざるを得ない。人と一緒に入れば会話も生まれて(現状は黙浴推奨ですが)、結構考えが深まる。人を思いやるにはまず自分の余裕が必要なんだけど、そんな世界を救うかもしれない余裕を与えてくれるのが銭湯だ。
家風呂はとにかく自由だ。好きな香りの入浴剤を入れて、好きな歌を歌いながら、好きなだけ入っていられる。ルールは無用って言った直後に自分ルールを語る Yaca さんは面白すぎるが、自分を縛るも縛らないも自由だ。スマホは落としちゃったから外部の情報からも遮断される。そんなときは小さい温度計のボートを湯船に浮かべるだけでも楽しいし、普段は眠っている脳領域で新しい想像が生まれてくる感じがする。家風呂は銭湯と違って日常のルーティンにしやすいから、想像力豊かな生活を送るために第一に確保すべき時間だといえる。風呂があるかどうかで人生の質は決定的に変わってくるはずだ。
それにしても毎日2時間風呂に入るのはすごすぎる。まさに風呂フェッショナルだ…
My Wife
Waifu material で検索して出てくる女の子が Tシャツをたくし上げてる絵がめっちゃ好きだ。すこし首をかしげて「こんなことでそんなに喜ぶの?」って言ってるような口元が、女の子の胸に夢中になるオタクにクールな視線を送っているようでとてもカッコいい。女の子は胸を見せる必要が全くないんだけど、見ているオタク側は夢中にならざるを得ない。女の子側が完全に主導権を握っているわけだ。この曲でも女の子の男を熱くさせる表面と冷めた内面が同時に描かれていて、お金と愛を交換する仕事のかっこよさを表現している。キラキラとした KAWAII 系のトラックに乗せてクールな内面が語られるギャップが強烈だ。LIZ のかわいいけどどことなくクールなところがある歌い方はこのテーマにばっちりマッチしてる。歌ではカッコいいけど裏ではプロ級のツイート師である二面性もマッチしてる気がする……
ピーナッツくんは Mai Waifu というネットスラングを使うことで、リアルなこの曲の出来事をインターネットのオタク文化に結び付けている。タイトルだけ My Wife になっているのが気になるが、やっぱりリアルな言葉の My Wife とバーチャル的な言葉の Mai Waifu を重ねる意図があるのだろうか。それとも自国文化としての俺の嫁をそのまま英語にしたのだろうか。
歌詞を見るとこの曲の YAKUZA や messed up! の Otaku もわざわざローマ字表記になっているので、これらも日本語としてではなくて海外のスラングとして用いている。日本発の世界的なスラングをあえて用いることで、世界から見た日本のサブカルチャーやオタク文化の面白さに注目しているわけだ。この曲では10年以上前の概念である「俺の嫁」に注目しているが、現代で一番面白い現象といえばやっぱり VTuber で、Mai Waifu のようなスラングの広がり方にも重ねることができる。ちょっとした言葉遣いだが、今作ではピーナッツくんの海外への意識も少し見え隠れしている。ちなみに俺はJigatame がスラングとして浸透する日を待っている。
曲の構成は客視点のピーナッツくんと女の子視点の LIZ で語り手が入れ替わっている。ピーナッツくんがリリックを全部書いたことを考えると、この曲には2人のピーナッツくんがいると言ってもいい。「俺の嫁」との2人だけの世界に夢中になっている登場人物としてのピーナッツくんと、そのシーンを女の子の内面にもフォーカスして神の視点で曲を組み立てるピーナッツくんの2人だ。ピーナッツくんだって視聴者を喜ばせてお金をもらってる身なので、リリックを書くピーナッツくんが女の子の気持ちに思いを馳せてしまうのは当然だろう。インタビューで本人が言っている通り、この曲でピーナッツくんはVTuber活動と水商売を重ねている。
「VTuber はキャバクラだ」っていう使い古された揶揄があるが、この曲はそんな揶揄とは比較にならないレベルでVTuberと水商売の共通点を暴いている。女の子が作った笑顔は SuperChat の「止まらぬ笑顔」と同じものだし、お金と愛を交換するという関係に沈んで壊れていく厄介オタクも結構いる。でも視聴者にとっては VTuber との時間が世界一楽しいんだから周りにどう思われようとかまわない。VTuber はそんなオタクたちを受け入れることができるかっこいい存在だ。この曲は女の子の内面を掘り下げることで、愛の主導権を握るかっこよさを描き出している。つまりこの曲は「VTuber はキャバクラだ」と言うことで揶揄できると思っている人たちの浅はかさを証明しているわけだ。VTuber もキャバ嬢も風俗嬢もそれぞれの事情があってみんなかっこいい。
女の子にフォーカスして浅はかな世間の認識を皮肉るやり方は Marukido の「合法 JK」とも共通していて、世の中の階層構造に対する問題提起も含んでいる。この曲は messed up! への布石にもなっているようだ。
messed up!
俺は教室にテロリストが乗り込んできてクラスがめちゃくちゃになるという妄想をして一人でよくニヤニヤしていた。シンゴジラを見ていてゴジラが炎で都市を焼き尽くすシーンになるといつも感動で震えてしまう。笑うピーナッツくんは自由を邪魔する停滞した構造をdisるだけだったが本当はそんなものぶち壊したい。この曲は具体的な階級に言及しながら社会の価値観を破壊する様を描いている。このアルバムの中で一番攻撃的な曲だ。ピーナッツくんは世の中の価値観の破壊を Marukido という怪獣に託した。hook で怪獣と言ってるしベースラインはいかにもデカい何かが出てきそうな雰囲気だが、スペシウム光線を使うエイリアンとも言っているので実は光の国から僕らのために来た正義の味方なのかもしれない。
引っ越せおばさんは明らかに攻撃力があるし、本番ができないカップルはバカみたいに純粋だ。この人たちは平凡な価値観を否定するだけのパワーを持っている。こういったパワーのある人物や出来事は探せばたくさん見つかるし、Marukido もその一人だ。しかし平凡な生活を送っている人にとっては、普段は目には入らない存在でもある。目に入らないからこの人たちを排除した価値観が形成されるのか、それともすでにある価値観がこの人たちを隠蔽するのか、どちらかはわからないがそんな感じの仕組みでこの社会では特定の人々を排除した価値観が形成、固定されている。逆に言うと排除された人々の存在こそが平凡な価値観の弱点になっている。この人々が明るみに出れば価値観への疑いが生じるし、社会階級みたいな価値観なんて大した根拠もないんだから、疑われるだけでも階級構造は大きなダメージを受ける。
この曲で怪獣 Marukido はパワーを持った荻窪の女たちを階級構造に上から振りかけることでカーニバルを起こし、価値観をぐちゃぐちゃにする。Marukido も平凡な価値観から外れて生きてきた存在であり、そんな彼女が語る荻窪の女たちはリアルに響く。
一方ピーナッツくんはオタク文化と権威を戦わせることで mess up を試みている。彼もあくまで自分のリアルを使って権威と戦っているわけだが、海外を通して日本を見るという視点も同時に用いていることが歌詞の Otaku やMakoto という表記から読み取れる。Marukido ほど平凡な価値観から外れた生活をしてこなかったピーナッツくんは海外の視点を借りることで日本の価値観を外側から見ようとしているようだ。
こうして2人にかき混ぜられた世界で、ブランドなどの権威にぶら下がって生きてきた人はその地位を失う。その一方でピーナッツくんをはじめとするインディペンデントな存在は平気で生き延びることができる。この曲の破壊の後にはインディペンデントな存在がメジャーになる世の中が訪れるのだ。zakkyobuilding はそんな世界をビルの規模に縮小して表現している。
「荻窪の女乳首が取れた」っていう一言のインパクトがすごすぎるけど検索しても何もヒントが出てこなかった。ここだけは何のことを言っているのか俺にはさっぱりわからない。でも乳首が取れそうになった VTuber なら知っているし、彼女も価値観をぶち壊すパワーを持ってる気がするわね。
zakkyobuilding
銀座でビルの建て替えがあると周りのビルの裏側を見ることができるのだが、その光景がすさまじい。通りに面している側では現代的に着飾っていたとしてもその裏側は煤やサビで汚れた上にヒビまで入っていたりする。内側もトイレにはカマドウマが出るし集中豪雨が来ると雨漏りするしで、外見だけきれいで中身はボロボロだ。建て替えがなかなか行われない雑居ビルの内側なんかは特にカオスだ。地下の定食屋に入ればビルの外観とは全く相いれないかなり年季の入った和風の内装が使われていたり、ビルの隙間にあるごみ置き場の細い通路を抜けると表に看板を出していない謎の店が数軒あったりもする。もしかしたらテレクラも入ってたかもしれない。外観は何の変哲もない小綺麗なビルも実は内面はカオスで、その長い歴史を刻み込んだ深い世界が広がっている。
そんな雑居ビルと自分自身とを重ねてしまう人は多いだろう。外だけきれいにして中身がカオスでボロボロという雑居ビルのギャップは人間の表裏そのものだ。人と話すときは健康で常識的な思考回路で話しているようにふるまうけど、心の中ではいろいろな考えが渦巻いているという状況はまさに雑居ビルと同じだ。建て替えをする余裕がないから外から見えないダメージが積み重なって中身はもうボロボロ。それでも周りからは「正常」でいることが求められる。そんな僕たちはいつもそのギャップから生じる世間との噛みあわなさに苦しんでいるのだが、この曲の中でチャンチョは僕たちを肯定して救ってくれる。チャンチョの「かっこいい~」という言葉は雑居ビルを通して僕たちに向けられているのだ。
結論が先走ってしまったが、要するにこの曲の雑居ビルはカオスな世界であり人間的な存在でもある。インタビューではカオスな世界としての雑居ビルにしか触れていないが、俺はどうしても雑居ビルの人間っぽさを無視できないのでそれも含めて解釈したい。
曲が始まってすぐのインダストリアルな音が雑居ビルの裏側の無骨なイメージを想起させる。そんなビートに乗ったチャンチョのラップが非常にクールで、5月病限定凸待ちが伏線だったんじゃないかと思うくらいにイケメンだ。ラップの速さは笑うピーナッツくんと同じ種類の、インディペンデントな表現者特有の焦りも感じさせる。そうして雑居ビル内部のカオスな世界が語られるのだが、そのカオスさは messed up! の後の世界と同じである。そこには大きな組織やつながりはなくて、ピーナッツくんのようなインディペンデントな存在だけが通用する世界だ。雑居ビルの各部屋では、どれもちょっと過激すぎるが方向性の違う出来事がいくつも起こっている。ここではチャンチョしか語ってないけど、ピーナッツくんもこういうカオスで多様性のある世界が落ち着くと思ってるはずだ。そんな世界に生きようとするピーナッツくんをはじめとしたインディペンデントな人たちをチャンチョは「かっこいい~」と褒め称える。以上がインタビュー通りの解釈になるだろう。
この雑居ビルのカオスな状況はそのままピーナッツくんの内面にも投影できる。このアルバム全体を通して聴けば、ピーナッツくんの内面も過激なものも含めていろいろな思いが入り混じっていることは明らかだ。つまりピーナッツくん自体も雑居ビルと同じで、ピーナッツくんの中にはいろいろな感情のリトルピーナッツくんがいるわけだ。なんならそのリトルピーナッツくんの中にもさらにリトルリトルピーナッツくんがいるかもしれない。要はこの曲は人間的な存在の底知れない深さとカオスさも表現している。こんなことピーナッツくんのあの見た目から誰が想像できるだろうか?
VTuberは特に外見と内面の乖離に苦しまなければならないはずだ。美容室で仕事を聞かれたら「VR関係です…」と答えないといけないように、YouTube で見せている自分を相手に知られないまま普段のコミュニケーションをとらなければいけない。そういう状況では普段の YouTube 活動がいくら忙しくても、私生活ではそのことが相手に理解されないままやり取りしなければいけなくなるわけだ。逆に動画や配信では私生活をかなり隠しながら視聴者とコミュニケーションする必要があるわけで、私生活が大変でもそれが VTuber として言えないことなら、やはりそれはポケットの中に隠したままやり取りをする必要がある。そしてもちろん誰にも言えない秘密だってあるはずだ。人間が人間を全部理解することなんてできない以上 VTuber じゃなくてもそういうことはあるんだけど、VTuber はわかりやすく外見と内面が一致しない。
このアルバムを聴く限りピーナッツくんの内面は人一倍カオスだ。平和を歌う風呂フェッショナルと爆弾みたいな歌詞の SuperChat なんて完全に矛盾している。このように YouTube や私生活の外見と精神的な内面が大きく乖離している状況は世の中との齟齬を引き起こすし、その上に内面にはいろんなピーナッツくんがいてアイデンティティがはっきりしない。世の中から求められている自分は本当の自分ではないし、そもそも本当の自分が何なのかもわからないのだ。それでも世の中は「本当の自分」をわかりやすく表現することを求めてくる。これはどう考えても無理な要求だけど、世間から求められればそうしなきゃいけないような気がするし、結局できなくて自己否定をしてしまう。さらにその自己否定すら隠さなきゃいけないなら悪循環に陥ってどんどん悪い方に進んでしまう。そんな恐ろしい苦悩がピーナッツくんを襲うとき、チャンチョが助けにやってくるわけだ。「かっこいい~」と言って雑居ビル的な状況を肯定することで、彼は世間の要求から解放されて救われるのだ。
外見と内面のギャップは当然僕たちにもあるし、そこから生じる齟齬に苦しめられている人も多いと思う。でもそうやって自信を失った僕たちをチャンチョは肯定してくれる。僕たちはみんなチャンチョを必要としている。チャンチョは僕らの救世主だ。
skit
zakkyobuilding でピーナッツくんのカオスさを概観した後に、重要なテーマである「何してるの?」「何がしたいの?」が skit で語られる。僕的にはskit っていうと「般若サイテ~」を思い出しちゃうけどここでは関係ないよね。
1つ目の「何してるの?」という質問に対してピーナッツくんは自信満々な答えだ。なんせテレクラに潜入した庵野監督と同じ返答をしているんだから。確かにピーナッツくんの活動は一言で表現しづらいし活動の中ではいろいろな苦悩もあるが、彼はそんな活動に自信がある。これはこのアルバムの一つのテーマであって、界隈にイラついたり必死で悩んだりする様が他のトラックで語られている。
二つ目の「何がしたいの?」という質問はかなり重要だ。投げかけられた直後に背景のノイズが聞こえなくなるあたり、かなり難しい問題なんだという感じがする。環境音を消すことでピーナッツくんの意識が外から内に向いたことを表現しているわけだ。通話相手の響く笑い声とともに、この質問は常にピーナッツくんにまとわりついてくる。そして、この質問には2重の意味があるように聞こえる。文字通りなら「テレクラにいる君はいまから何がしたいの?」という質問になるが、「よくわからない活動をしている君はこれから何がしたいの?」という質問も俺にははっきり聞こえてくる。
声だけの関係から体や心の関係まで、愛がさまざまに形を変えて交差する場所がテレクラである。彼がテレクラに入るのももちろん愛が欲しいからなんだけど、いざ「何がしたいの」って訊かれたら具体的にどんな愛が欲しいのかわからない。難しい問題だ。このトラックではピーナッツくんが考え込んで終わって、KISS の冒頭ではいけないことをしたいと願望を語っている。だからこのアルバムに収録された3つのラブソング(注1)はピーナッツくんの欲望が見せた幻想、もしくは思考実験だ。ここでピーナッツくんは愛のはじまりを二人の対等さに応じて分類している。お金と愛を交換する非対称的な関係の My wife、愛を得るには駆け引きが必要という微妙な関係の KISS、そして完全に対等な関係のペパーミントラブだ。このアルバムにはピーナッツくんなりの愛のグラデーションがある。
最初の方で書いたけど、表現者はみな愛を求めている。アーティストであればなおさらわかりやすい。ピーナッツくんというキャラクターが成功するというのは要するに彼が皆から愛されるということだ。だからピーナッツくんがこれからどういう愛され方をしたいかという問題は、そのままこれからどんな活動をすべきかという問題になってくる。そして恋愛の思考実験だった3つのラブソングもそのまま VTuber 活動の思考実験として解釈できる。
3つのラブソングは女の子側が VTuber で置き換えられるから、ピーナッツくんは愛の関係と同時に VTuber の活動形態も3つに分類している。スパチャをもらってそれに見返りを与えるような活動をしたいのか、適度に視聴者に反応しつつそれなりに安定した活動をしたいのか、視聴者と一緒になってドキドキするような活動をしたいのかと解釈できるわけだ。School boy の項で少し書いたように、それぞれの恋愛を VTuber の活動に対応させることでいろいろなことが見えてきそうだ。例えば My Wife みたいな関係は VTuber 側ばかりが疲弊しそうだし、KISS みたいな関係は視聴者が結構頑張らないといけない。ペパーミントラブ は両者とも大変だけど両者ともに夢中になれる。こうやって書くとペパーミントラブみたいな関係が理想だろって思ってしまうけど、やっぱりお金は必要だし、ドキドキするにしても具体的にどうすればそんな新鮮な体験ができるのか、すぐに答えは出ない。難しい問題だ。
だから2つの質問、「テレクラにいる君はいまから何がしたいの?」と「よくわからない活動をしている君はこれから何がしたいの?」は本質的には同じ質問だ。ピーナッツくんのような表現者にとっては、これからどういう表現をするかという問いはどうやって愛されたいかという問いとイコールになる。そしてこれは非常に難しい問題で彼の頭を悩ませる(注2)。
このように「何してるの?」と「何がしたいの?」がTele倶楽部の重要なテーマになっている。アルバムのすべての曲はピーナッツくんと野良いぬさんのこのやりとりに収束していく。
(注1)このアルバムにはラブソングのグラデーションがあるということを書いたが、School boy だけは異質だ。School boy で語られているもちひよこからの愛は歪んでいてはっきりしないし、悩んでいるだけで VTuber 活動の具体的な形を表現しているとも思えない。つまり、School boy だけは思考実験や妄想ではなくリアルな出来事を語っている可能性が高い。
(注2)実は2018年の早い段階から求める愛をはっきり示しながら音楽活動をしてきた VTuber がいる。彼はテレクラではなく個室ビデオからスケベを求めてかなり尖った音楽を作っている。特に以下の動画を初めて見た時、俺はなぜかめちゃめちゃ感動してしまった。このサウンドは Unreal Life にも通じるところがある。みんなもぜひ最後まで見て欲しい。
後編に続く。