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気づかいは、たたかい。
気づかいをしたから、疲れた。
そう思ってました。
朝起きて、家族に気をつかう。
通勤電車で、周りの人に気をつかう。
出勤して、職場の人に気をつかう。
仕事では、関係する人に気をつかう。
帰りのお店で、店員さんに気をつかう。
帰ってから、家族に気をつかう。
1日を振り返り、自分に気をつかう。
早めに寝て、身体に気をつかう。
一日中、気をつかい続けて疲れた。
そう感じたある日の晩。
「なぜ、こんなに気をつかうんだろう」
疑問が湧いてきました。
何のために気づかいをするのか。
こんなに疲れるだけのメリットがあるのか?
ひたすら、理由を考えました。
そして、一つの解を得ました。
「争わないため」
気づかいをしたから疲れたのではない。
自分の平和を守る「たたかい」なんだと。
たたかえば、疲れるわなぁ。
そして、気づかっても手ごたえがない。
いわゆる「無駄な気づかい」だと感じた瞬間。
私はドッと疲れが出ます。
いわゆる、徒労感。
でも、気づかいに"無駄"などあるのでしょうか。
気づかいの積み重ねが、安全をもたらします。
わずかな段差でも、つまづけば転んでしまう。
気づかいが無ければ、危険に身を晒します。
生きてる間は気をつかう。
最期まで、柔らかくたたかい続ける。
たくさん気づかい、たくさん疲れる。
その分、自分の平和を守っている。
人生には無駄なことが一つも無いそうです。
だから、無駄な気づかいなんて、一つも無い。
そう信じます。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
#思い込みが変わったこと