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一寸先は闇

2023年ももうすぐ終わります。

この1年、たとえるなら、ジェットコースターに乗っているかのような1年でした。

6月末に所属していた会社を辞め、7月からお寺の住職になり、11月末には火事、そして12月にはお寺の再建と来年からの"お仕事"のために東京に引越しました。

鹿児島県民から茨城県民を経て、最後には東京都民になってしまいました。。。

考えてみれば、遊園地では、わざわざお金を払ってジェットコースターに乗りますが、この1年間、お金を払ってもできないような経験と学びをいただいたように思います。

そして、1年前と比べて少しだけ成長したように思います。

今年、自分が学んだこと•••

随所作主

レジリエンス」という概念があります。

本来は「回復力」や「弾性・しなやかさ」を表す言葉ですが、困難な問題や危機的な状況に遭遇しても、立ち直ることができる精神的な力を表す言葉でもあります。

実際に、7月から住職になって、荒れ果てた寺を整備しようとがんばりましたが•••一人での作業はなかなか進まず、時に投げ出してしまいそうにもなりました。

どうしようもなく追いつめられたとき、「これは自分に与えられた修行なんだ」と思うようにしました(そもそもが作務という名前の修行なんですが•••改めて思うようにしました)。

修行であれば、できたかできなかったかという結果ではなく、諦めずにやり続けるプロセスにこそ意味があります。

そう考えることで、レジリエンスが発揮されるのを実感しました。

11月、お寺の整備もかなり進み、やっといろいろな人に来てもらえると思った矢先、火事で庫裡を全焼させてしまいました。

今までの数ヶ月間の努力が全く無駄になってしまったかのような虚しさを感じました。

でも、修行であれば、この間の努力はお寺という物理的なモノではなく、自分自身の中にしっかりと蓄積されているはずです。

そして、この火事ということも、未熟な自分に対して与えられた修行の機会だと思えば、ネガティブなばかりの出来事でもありません。

幾歴辛酸志始堅(幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し)」

西郷隆盛の漢詩の一節です。

やはり、何かを成し遂げるには、何度もツラく、苦しい経験をしておく必要があるということなんでしょうね。

今、自分が置かれている状況が、自分にとってどんな意味があるんだろう?

この1年の経験を通して、この問いかけがレジリエンスを発揮してくれると実感しました。

ちなみに、佐藤一斎も言志録のなかで、同じようなことを言われています。

「人須らく自ら省察すべし
天、何が故に我が身を出生する
我をして果たして何の用に供せしむる
我、既に天物なれば、必ず天役有り
天役供せざれば、天咎必ず至る
省察して此に到れば、則ち我が身の苟くも生くべからざるを知る」

「天、何が故に我が身を出生する、我をして果たして何の用に供せしむる」=「今、自分が置かれている状況が、自分にとってどんな意味があるんだろう?」です。

そして、この問いかけこそが、

随所作主(どんな場面でも周りに振り回されるのではなく、自分を主人公として生きる)」

に通じる生き方のキーワードなんだと学んだような気がします。

看脚下

昔、あるお坊さんが師匠と一緒に、真っ暗な夜道を行燈の灯りを頼りに歩いていたとき、急に風が吹いて行燈の灯が消えてしまいます。

そのとき、師匠が「どうする?」と問いかけると、そのお坊さんは「看脚下」と答えました。

確かにその通りだと思います。

真っ暗なわけですから、足下をよく確かめながら、一歩一歩、歩いていくしかないですよね。

一寸先は闇

そう考えれば、人生もまさに同じ状況です。

今回の火事にしても、その一瞬前までは、まさか火事になるなんて夢にも思いませんでした。

とはいえ、火事になる前に、「火事になるかも」と思うのは難しいです(というより、そう思えたら火事にはならないはずです)。

ただ、このときの自分は、「火事になるかも」とはもちろん思っていませんでしたし、さらに、何の根拠もなく「火事にはならない」と思っていたんだと思います。

看脚下」というのは、

何が起こるか分からない(=一寸先は闇)

ということを忘れないことなんだと学んだような気がします。

こうして1年を振り返って、人生、ほんとうに「一寸先は闇」なんだと実感します。

ただ、「一寸先は闇」だからこそいいんだとも実感したようにも思います。

「一寸先は闇」だからこそ苦しいことも、悲しいこともありますが、その分、楽しいことも、嬉しいこともあります。

そして、なによりも成長することができます。

「一寸先は闇」だからこそ、人生は面白くて、生きてみる価値があるんだと思います。

1年間(noteを書き始めたのが6月なので•••半年間?)ありがとうございました。

こんな自分ですが、来年も「気がつけばお寺の住職」物語を続けていきますので、よろしくお願いいたします。

宗慧

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