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絵画教室
なぜか絵画教室に行ってきました。
絵を描くのが好きなわけでも、絵心があるわけでもなく、ただ誘われて行ってみました。
考えてみれば、絵を描くのなんて学校(おそらく中学校が最後)の授業以来です。
描き終えて思いました。
「下手な絵だなあ•••」
そして同時に、昔、写経をしていたときのことを思い出しました。
このときも同じように「下手な字だなあ•••」と思いました。
そして、ふと、「下手ってなんなんだろう?」と考えてみました。
自分の答えは「上手じゃないもの」。
じゃあ、「上手ってなんなんだろう?」って考えてみると、自分の中では、「上手=お手本」であって、お手本に似てれば「上手」、お手本に似てなければ「下手」、だと思いました。
そして、この「お手本=上手」は、自分が勝手に決めた定義でしかありません。
ただそれだけのことなんだと思うと、なんとなく自分の字が愛おしく感じました。
今日、自分の勝手な定義は、「写真=上手」だったんだと思います。
でも、「写真=上手」ならスマホで写真を撮れば、それが一番手っ取り早い「上手」です。
それをわざわざ時間をかけて(2時間かかりました)描くわけですから•••この上手の定義はどこかおかしいように思います。
そんなことを考えて、あらためて自分が描いたサボテン(一応、そのつもりです)を見てみると、やはり愛おしさを感じます。
字や絵だけじゃなく、自分たちは無意識に「上手」を設定します。
そして「下手」を生み出します。
相対比較が思考のクセになっています。
これをストップしてみると、それだけで楽に生きることができますし、いろいろなものに愛おしさを感じることができるようになります。
宗慧