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写真が届くタイミング

カメラに残っていた写真を見ていて、「あぁ、そう言えばこの人、1月前はこんなに笑顔だったんだな」と、今起こっていることの重さを、過去の写真を見て少し思い知らされてしまった。


実は最近、あまりカメラを持ち歩かなくなってしまった。
と言うのも、以前は仕事で自分のカメラを使って撮影していたのだけれど、上司が(はっきりとは言わないまでも)あまりいい顔をしていないなと気付いてしまったから。
確かに仕事に私物を持ち出すのも良くないかな? なんて反省もして、自分でも控えると、どうしても撮影の機会は減ってしまった。

京都に住んでいた時は、夜や休日に少し歩くだけで撮影スポットに行くことが出来たのに、フランスの田舎に住み始めてからは、そう簡単に出歩くわけにもいかない状況になってしまった。それ以来、撮影をメインとして外出するこが難しい。
いや、そんな環境でどこを撮れば良いのか分からなくなってしまっている。

だから久しぶりに撮ったカメラがこんなにも自分の手の中でしっくりくるとは思っていたなかった。
胸の中がざわつく。携帯とは違ったカメラのずっしりした重さも、フォルムも、そして中にあるデータを見て、うずうずが止まらなくなった。
また撮りに行こうと心に決め、20枚程度残っていたデータをPCに映すことにした。

その中の1枚。
私が撮影したはずなのに、あまり記憶に残っていなかった写真。
写真の向こうで笑うその人は、いい顔をしていた。
あまり仲の良い人ではないのだけれど、その日はその人の誕生日で、皆で用意したケーキを嬉しそうに手にしている写真だった。

そしてその写真を見て、その人に最近降りかかっている困難を改めて思い知ることにもなってしまった。最近その人には対応が難しい仕事が降りかかってしまっているけれど、笑顔もありながらの対応をしているので、気が付かなかった。
けれど、写真の中の笑顔と今の笑顔は全然違っているのだから。
改めてことの大きさを感じてしまったのだ。

でももし、今この写真を送ったら、その人はどう思うだろう……?
また笑顔で頑張ろう! って、思ってくれたりはしないだろうか。
それとも、この大変な時期に! と思わせてしまうのだろうか。

私が撮ったたった1枚の写真で他人の感情を振れさせることが出来るなんて、思い上がりもいいところなのだろうけれど、でも、この写真は本人に見せた方が良いように思ってしまう。
少しでも「あの頃は楽しかった」という思いが、その人の心に届くことで、心に隙間が出来やしないだろうかと、そんな驕(おご)ったことを考えてしまった。

でもそれと同時に気付くこともあった。
自分にとって満足のいく写真は眺めた後に自ら保持しておくことで満足してしまっているものも多い。
もしくは、嬉しくなってスグにSNSに上げていることもあった。受け取り側の感情何て考えもせずに。

けれど、人に見せるタイミングと言うものがあるのではないだろうか? と、初めてそんなことを考えてしまった。

自分が撮った写真で少しでも何かが変わる。そんなことがあれば私自身もその人にっともプラスになり得る。それであれば、自分の撮った写真にも、これから取る写真にも、さらに意味が出てくるのではないだろうか。撮った写真をスグに共有しなくとも、いつか大切な時に必要なタイミングで、必要な人の元に届くように。

SNSの時代に、満足のいく写真を撮れた時は、ついついスグにアップしたくはなるのだけれど、タイミングを見計らうことも忘れてはいけないと、思いださせてくれたあの笑顔の写真。

いつ見せようか?

少し先にはなるかもしれないけれど、その人にきちんと届くように。
いいタイミングで送ることを。
大変な状況のあの人に。
あの頃の笑顔が少しでも戻るように。

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