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プロになりにアルゼンチンに行ったのに、結局だらだら過ごしたアルゼンチンでの話【 前段編 】

学生の頃

ぼくは、北海道札幌市出身。
サッカーとフットサルが大好きで、現在は指導者。
小学、中学は静学出身で、ブラジルでもプレー経験のある人が立ち上げたクラブに在籍。いわゆるテクニック系。

高校は、北海道ではベスト8くらいのレベルで、
当時は北海道プリンスリーグの1部に所属していたまあまあ強豪の高校に推薦で入学しました。

中学の時からの、高校卒業後は南米に行くと決めていました。
なぜなら、憧れの存在である人が南米に留学していて、自分のその憧れのようになることを決めていたからです。
思えば、その決断、決断の思いに間違いがあったのかもしれません。
いや、決断に間違いがあるわけではなく、明確な目標と決意がなかったことが間違いでありました。

ぼくは、自分の技術には自信がありました。
本気で自分が日本で一番巧いと思っていました。
※アホか!
北海道の田舎でプレーして、その中ではそこそこやれてた感はあったし、
ボールには四六時中触れていたから、頑張ってる感はあり、変な自信だけはあった。

今考えてみると、、、巧かったと思う。巧い選手だったと思う。
でもそれだけ。
点をバンバン取れるわけでもない。
良いパスをバンバン出すわけでもない。
ディフェンスで強くあたれるわけでもない。
ヘディングが強いわけでもない。
一瞬巧い技術を披露するだけ。

要は、サッカーの試合に1人だけフリースタイラーが混ざっている感じかな。
ぼくだけ、やってる競技が違ってた。
点を取るよりも、周りからの「うおー」だったり、「うまっ」とかっていう声が聞こえてくることが最高の瞬間だった。
※よそでやってくれ!

そんなでも試合には出ていたから、気付けない。
こんな選手は、プロの世界やアマチュアにだって必要とされないということを。
ゴールをとる・ゴールを守るという闘いをしていて、その中のワンピースとして、1人目的が違う選手を置いておける訳が無い。
※そのプレーがエンターテイメントとして成り立つレベルなら話は別。
(リケルメや、ジャウミーニャみたいな?でも彼らもしっかり結果は出すからね。)

そんなクソ勘違い坊主が、アルゼンチン行きを正式に決めたのは、
高校2年の時。
中学の時のコーチに相談をして決めました。
みんなが進路に悩んでいる中、ぼくは気楽だったなー。
なんの目標も、それから勉強もせず、
「アルゼンチンに行ったらそのままプロになれんでしょ!」みたいな考えでした。
※クソ勘違いボウズ!

空いてる時間を見つけてバイトをしたりとか、多少お金を貯めたりはしていたものの、ほとんどの費用は親が工面してくれました。
ろくに感謝もせずに、当たり前のように「卒業したらアルゼンチンに行く。」と言った気がする。
※いくらかかると思てるの!!!!

南米に行きたいということは、中学からずっと喋ってはいたから、驚きはなかっただろうけど。でも当時の自分の反抗的な態度と、準備のしてなさで良く行かせてくれたなと思う。
※ほんと当時はクソ人間だったと思う。。

そして高校3年で、チームとしても個人としても何かタイトルを取るわけでもなく、全ての公式戦が終了して、高校3年間の部活動は終了。

アルゼンチンへ渡るタイミングは高校卒業してすぐではなく、
1ヶ月ほど期間があったので、ジムに通ったり、中学のクラブで練習をさせてもらったりして、体を動かしていました。

そんなこんなで、次回からは、
アルゼンチンへ渡ったエピソード
アルゼンチンでのエピソードをまとめていきたいと思います!




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