『好き』なことなのに、心がザワつくとき
自分が今、好きだと思ってやっていることを、
ときどき疑うようにしています。
その「好き」が、実はウソだったと気づくことがあるから。
好きだと思って始めたことが、途中でなんだかしっくりこなくて、疲れちゃうことってあるんですよね。
ほんとうはそれほど好きじゃなくて、それほどやりたかったわけじゃない自分にふと気づくんです。
やっておいた方が、後々なにかの役に立つから、好きでいよう、やりたいことにしておこうが、今までたくさんありました。
例えば、英会話、投資や法律の勉強、新聞の音読、朝晩の30分瞑想、毎日の筋トレ、ベジタリアン、マクロビオティック、無添加生活、念入りなスキンケア、メイクの学校、年間100冊以上の読書、ダイエット 、会社の仕事、etc…
これら全部、嫌いじゃないけと実はそれほど好きではなかったものばかり・・・。好きな気持ちがいつの間にか、疲労感へと変化していきました。
とくに、会社の仕事。
私、社会人になってから、仕事がなによりも大好きだとずっと思い込んでいたんです。
社会人になってはじめての上司から、いつも呪文のように言われていたことが、
「仕事が好きじゃない人は絶対に幸せになれない。なぜなら1日の大半を占める仕事の時間、ずっと不幸だから。仕事とは人生そのもの」と・・・。
ま、その上司は”モーレツ企業戦士” の昭和オジサンだったので、当時は右も左もわからないひよっこ🐤の私は疑いの余地もなく、仕事を大好きになる努力を続けてきました。泣きながら。
しだいに自他とも認める「仕事大好き💛人間」になりましたが、いつも心と体は疲れていました。年齢を重ねていく中で、だんだんと違和感が強くなり、もうムシできないレベルに。
「仕事が大好き」は見せかけで、仕事によって自分の存在価値を高めることにやっきになっていただけだったんですよね。仕事ででしか、自分の存在意義を保てられなかったとハッキリと認めたのは、ここ数年の出来事。
仕事 ≠ 私 ではない
にやっと気づけて、
もうこれ以上、必死にがんばる必要がないのだと肩の荷が下りました。自分の存在意義についても、深刻に考えることも減りました。
そのお陰で、「仕事 >人生」 から
「人生>仕事」に、少しずつシフトすることができました。
もしかしたら、また仕事中心の生活に戻るかもしれませんが、でも根底にあるのは、やっぱり「人生>仕事」で、それを忘れないようにしていきたい。
* * *
ときどき、自分の「好き」が、
役に立つか or 役に立たないか の基準で好きになろうと努力して、苦しくなっちゃっていることがあります。
それが、自分にとっての
ほんとうの「好き」
ほんとうの「やりたいこと」
ほんとうの「願望」
を見えなくしてしまい、
それが原因となって、
ウソの「好き」
ウソの「やりたいこと」
ウソの「願望」
のために、貴重な人生の時間を浪費することをやってしまっている。
私は、莫大な時間を浪費してしまった後悔は残っていますが、でも、このタイミングで気づけてよかった。
というより、このタイミングがベストなんだとも感じます。
自分のほんとうの「好き」がウソで埋もれないように、いつも自分に「今、楽しい?」「今、幸せ?」と、問い続けていこうと思います。
ほんとうの「好き」で、幸せになるために。