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ARCHIVES『THE NIKKEI MAGAZINE Ai』プレミアムクラブ会員向けメールマガジンその19「演技(3)」(2015年11月~2023年3月配信/文:Katsuma Kineya、編集:講談社、配信元:日本経済新聞社)

※俳優名は配信当時のものです

せりふの見どころと見せどころ

2019年8月16日配信

 七月大歌舞伎『外郎売(ういろううり)』では、勸玄くん(6歳)が、早口の長ぜりふを堂々と演じて話題をさらいました。立派に大役を勤め、将来が楽しみですね。同演目でもわかるように、せりふは、演技の重要な部分を占めます。とくに歌舞伎では、調子がよく音楽のように聞こえるつらねが特徴的。つらねから発展したせりふの形態もあります。

つらね

 今回の『外郎売』の筋書などを見ると「堀越勸玄早口言立て相勤め申し候」とあり、長ぜりふを言立て(いいたて)と称しています。言立ては、通常、物売りの宣伝文句を指し、『外郎売』では薬の故事来歴や効能などがテンポよく独特の調子で語られ、観客を惹き付けます。ちなみに『外郎売』は享保3(1716)年、二世團十郎が初演。勸玄くんが勤めた貴甘坊は、海老蔵も7歳で演じています。
 言立てのように物の由来が織り交ぜられたり、何々づくしのように掛詞が入ったりする長ぜりふをつらねといいます。何々づくしには『京鹿子娘道成寺』の修行中の僧である所化が“まい”を絡めて話す舞づくしなどがあります。つらねはもともと主役が花道で述べたもので、このつらねを流暢にしゃべるのは、荒事の雄弁術の一つ。言葉による悪霊沈めの意味もあるそう*。中世に僧侶や稚児が行った歌舞、延年で、言葉や歌を連ねた連事(つらね)が、つらねの由来と考えられています。

厄払い

 江戸時代の町人社会を主に題材とした世話狂言の長ぜりふには厄払い(やくはらい)というものがあります。これもつらねの一種とされています。やはり掛詞や縁語(意味上縁のある言葉)を使った美文調で、音楽のように抑揚をつけて語られます。河竹黙阿弥作『三人吉三巴白浪』お嬢吉三の独白「月も朧(おぼろ)に白魚の」から始まり「こいつは春から縁起がいいわえ」で終わる名ぜりふや、やはり黙阿弥の『青砥稿花紅彩画』「浜松屋」弁天小僧が開き直る場面で「知らざあ言って聞かせやしょう」で始まり「名さえ縁の弁天小僧菊之助とは俺がこった」で終わるせりふなどが有名です。厄払いはもともと大晦日・節分などの夜「厄払いましょう」といいながら回る門付け芸人のこと。お嬢吉三のつらねの間にも聞こえてきます。

名乗りぜりふ

 名乗りぜりふといえば、同じく『青砥稿花紅彩画』、稲瀬川(隅田川)の土手にずらりと並んで白浪(盗賊)が自己紹介をする場面が有名。一人目の日本駄右衞門が「問われて名乗るもおこがましいが」から始まり「六十余州に隠れのねえ、賊徒の首領日本駄右衞門」で締めるせりふを皮切りに、弁天小僧、忠信利平、赤星十三郎と続いていきます。この名乗りぜりふもつらねの変形です。

渡りぜりふ、割りぜりふ

 二人以上の登場人物がせりふを受け渡していき、最後に一同で同じせりふを言って締めくくる形が渡りぜりふです。前述の勢揃いの場面は、名乗りぜりふであり、渡りぜりふでもあります。
 割ぜりふは二人の登場人物がそれぞれ長い独白をしたあと同時に同じせりふを言って終わります。

口説き

 口説き(くどき)は、せりふそのものの名称ではありませんが、女性がせりふも用いながら胸の内を吐露する独特の場面のこと。義太夫狂言で、三味線の音や浄瑠璃に合わせて切々と訴えます。もとは歌謡・音楽用語で、繰り返して説くという意味の動詞からきています。

捨てぜりふ

 捨てぜりふは今でも日常的に使われている表現ですが、歌舞伎では、台本(台帳)になく、その場の気分で臨機応変に言うせりふを指します。要するにアドリブ。公演中に同じ演目を複数回見ると、違うせりふに気付くこともあります。

 名ぜりふは星の数ほどあり、俳優によって、ときには日によって違う響きがあることも。せりふを楽しめるのは、ライブならではの醍醐味です。次回も演技についてご紹介します。

(参考資料:『新版 歌舞伎事典』平凡社、『歌舞伎ハンドブック』三省堂、『市川團十郎・代々』講談社、『岩波講座 歌舞伎・文楽第2巻歌舞伎の歴史Ⅰ』岩波書店、『知らざあ言って聞かせやしょう 心に響く歌舞伎の名せりふ』新潮社、歌舞伎公演筋書*)

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“兼ねる”演出の見どころと見せどころ

2021年7月16日配信

 この7月と8月、歌舞伎座では、一人の俳優が複数の役柄を“兼ねる”、早替わりや変化舞踊の狂言が複数上演されます。俳優が役を演じ分ける演出は歌舞伎に限りませんが、ときには十役以上ものキャラを“兼ねる”のは歌舞伎だけ。エンタメ性が高く、観客を驚かせ感心させハラハラドキドキさせてくれる魅力の演目なのです。

歌舞伎の一人二役はいつものこと

 テレビや映画などでは一人二役が目玉の一つになりますが、歌舞伎ではメインのキャラから脇役まで一人二役は普通に行われており、題名に但し書きが付くこともありません。
 ただ歌舞伎でも筋立てと演出の面白さで二役が脚光を浴びているものもあります。たとえば直近では4月と6月の2回に分けて歌舞伎座で上演され、仁左衛門と玉三郎の絶世の美男美女カップルで話題となった、四世鶴屋南北作の『桜姫東文章』。仁左衛門が“兼ね”た清玄と釣鐘権助は、二役ではありますが、複雑に絡み合う上にホラーの要素も加わるので見応え十分です。なお、6月は大詰でさらに一役加わり三役でした。

“兼ね”上手の七世團十郎と三世菊五郎

 清玄と釣鐘権助は七世團十郎も演じて好評を博しました。お家芸の荒事とは対極にある生世話の悪人ですが、七世團十郎は芸域の広さで名高く、こうした役にも長けていました。また『伊達の十役』として今も人気の高い四世南北作『慙紅葉汗顔見勢(はじもみじあせのかおみせ)』や『仮名手本忠臣蔵』の七役など、早替わりでもヒットを飛ばしています。
 早替わりは文化文政期(1804〜1830年)に江戸歌舞伎で確立されました。大きく貢献したのが四世鶴屋南北で、日常と非日常が交錯する独特の世界観で江戸っ子を魅了。その作品には、七世團十郎のほか、三世菊五郎や五世松本幸四郎など当時の人気俳優がこぞって出演しています。
 三世菊五郎はとくに怪談もので有名でした。四世南北が三世菊五郎に三役をあてて書いた『東海道四谷怪談』ほか、河竹黙阿弥作『加賀見山再岩藤(かがみやまごにちのいわふじ)』(通称『骨寄せの岩藤』)など現在でも人気の演目で活躍しました。
 文化文政期には、変化舞踊も変化の数が多くなり、流行しています。
 早替わりや変化舞踊がこの時期に発展し人気を集めた背景には、舞台機構、大道具、小道具、鬘、衣裳の発達があります。より変化に富んだ視覚的効果が可能になったのです。たとえば大道具では三世菊五郎が十一世長谷川勘兵衛(現在十七代目)と提携して怪談ものの仕掛けを作っています。

7〜8月の早替わりと変化舞踊

 今すぐにチケットが買える7〜8月の歌舞伎座の演目をご紹介しましょう。変化舞踊では、7月第1部の『蜘蛛の絲宿直噺(くものいとおよづめばなし)』。六変化で猿之助が次々と変身して踊ります。こうした早替わりには裏方さんとのチームワークが必須。YouTubeの『歌舞伎ましょう』では、昨年11月に一つ少ない五変化で上演した際の早替わりの舞台裏を公開しており、早拵えの見事な手さばきが見られます。なお、猿之助(当時亀治郎)と振付の藤間勘吉郎とが工夫をしたバージョン違いの『蜘蛛絲梓弦(くものいとあずさのゆみはり)』も、2008年1月「新春浅草歌舞伎」で上演されて以降何度かかかっています。
 第3部では海老蔵が五役を演じる『雷神不動北山櫻(なるかみふどうきたやまざくら)』。通し狂言で歌舞伎の醍醐味をたっぷりと味わえる人気演目ですが、上演は16日まで。
 8月第1部は前述の『骨寄せの岩藤』。昭和43(1973)年に猿翁(当時猿之助)が七役早替わり狂言として改訂したものを、六変化で上演予定。

 上記3演目は展開がスピーディなだけに、歌舞伎ならではの荒唐無稽なワンダーランドぶりもたっぷり味わえます。心も頭も空っぽにして楽しみましょう。

(参考資料:『新版 歌舞伎事典』平凡社、『歌舞伎ハンドブック 第三版』三省堂、『市川團十郎代々』講談社、『演劇界1996年5月号』演劇出版社、『岩波講座 歌舞伎・文楽 第2、3巻 歌舞伎の歴史㈵、㈼』岩波書店、歌舞伎公演筋書)

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