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06.専業主婦も自分の人生を生きてる

私が33歳の時、母が脳出血で倒れ介護必要となった。
父一人では無理な状況で、どうしても家族の力が必要となり、私は約15年の務めた会社を退職、そして東京の生活にピリオドを打ち、千葉へ引っ越した。
その時は「自分の積んできたキャリアがなくなる。ゼロになった。」という全てリセットされてしまったという喪失感の中にいました。
親と仕事を天秤にはかけられず、その時は悩み苦渋の決断だったけど、振り返ると私にとって必然の出来事だったのだと思う。

母が元気になったらまた東京に戻ろう。ここは私の居場所じゃない。」と思っていた。
にぎやかな明るいネオンの町、便利で物に囲まれた飽きることのない都会の生活から、
まわりにコンビニもない、夜は街灯もなく真っ暗、朝は鳥の声で目覚め、夜はウシガエルの大合唱で眠りにつく。太陽の光、風、緑を全身で感じられる生活へ。

一応、収入ゼロでは生活ができないので派遣社員をしながら、そんな田舎生活を送っていたら、いつの間にか私の中にあった喪失感や執着は消えていった。
自然と共に生きて癒されていくと、この生活がもっとも人間らしい生活と思えて、東京での生活、キャリアに固執する意味はなくなり、「もうあの東京の雑踏の中には戻れない」という自分になっていた。

家族の為、親の介護と自分の子育てで大変な時もあったけど、それはその時の自分にとって目前の課題であったし、そこを避けては通れなかったから、しっかり向き合って生きてきた。
その時は、今は社会で働くことは時期ではないから、できる時期がきたら考えればいいと思っていた。

結婚して、専業主婦という経験ができると思った時は、正直 嬉しかったですよ~。
だって今まで誰も頼らず、自分で人生の全てを仕切り、責任もとってきたから、誰かの収入に頼って、少し寄りかかっても良いのだ。と思ったら「やったー!」って感じでした。
専業主婦だったからできた介護の経験。子供ともに存分に遊んだ貴重な時間。
家族を守ること、親の介護、子育てを通して、自分の至らなさを痛感し、親に恩返しできる最後の時と心から感謝できるようになったし、この家族と向き合った時間は、私にとってとても貴重な、自分自身を深める時期であったと認識している。
優しさや思いやり、許すことや受け入れること、お金では買えない大切なものをたくさん教えてもらい、トゲトゲでとんがっていた自分が、ほんとに丸くなった。
だから堂々と「私は専業主婦です!」といえる。

社会に出てなにか功績を上げることだけがキャリアとは思っていなくて、どんな人生でも蓄積されたその経験そのものがキャリアだと私はとらえている。

専業主婦がだからこそ、できることがたくさんある。おもいっきり楽しんでいい。
人それぞれ立場は違えども、そこに意味をみいだし、楽しく精一杯生きていれば、自分の人生を生きるってことではないかな~。
そんな私も、両親を看取り、子育てを終え、また私を探し見つける旅に出ています。

『足下を掘れ、そこに泉あり』というニーチェ(ドイツの哲学者)の言葉が好きで、何度も支えられた。
大切なものは、どこか遠くにあるのではなく、意外と身近にあるものです。
隣の芝生は青く見えるもの。今という時を、今いる場所でどう生きるか。
幸せも自分自身が感じること、幸せと不幸の間には境界線もありません。
どう捉えるかで、私たちの目の前にはたくさんの幸せがあるはず。まずは自分の身近な足元に目を向けてみると、一筋の光がみえるかも。

かしこ

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