【書き起こし】『左様なら』×石橋夕帆監督
活弁シネマ倶楽部です。
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この書き起こしだけ(それも断片だけ)で判断するのではなく、語り手が語る言葉に耳を傾け、じっくりと楽しんでいただければと思います。
映画を見るという行為と同じような、能動的な体験をしていただけたら何より嬉しいです。最後になりますが、YouTubeチャンネルのご登録もお願いします。
教室のリアルを描く『左様なら』石橋夕帆監督が語る!!活弁シネマ倶楽部#44
(折田侑駿)自己紹介の方からよろしくお願いします。
(石橋夕帆)映画『左様なら』の監督の石橋夕帆です。よろしくお願いします。『左様なら』が初の長編作品になるんですけど、それまでは短編映画を1本から3本ほど撮りながら、映像を作ってやっています。
(折田侑駿)一番最初に撮ったのが『ぼくらのさいご』(2015)?
(石橋夕帆)あ、実はそれより前にあるんですよ。
(折田侑駿)そうなんですね。
(石橋夕帆)えっと...本当は全く...なんでしょう。映像の勉強をしていない時に撮った作品というのがあるんですけど、それはほとんど露出していなくて。その2年目に撮った『フレッケリは浮く。』(2012)っていう作品があるんですけど。
(折田侑駿)あ、そっちのほうが先?
(石橋夕帆)そうなんですよ。そっちの方が先で。そちらはニューシネマワークショップという映画学校にいた時に実習で撮った作品になりますね。
(折田侑駿)卒業制作ではなく、実習の一環として?
(石橋夕帆)あー...システム上その一本を撮る、みたいな。まあ、ちょっと何でしょう...色々なバトルがあって。
(折田侑駿)はい。
(石橋夕帆)選ばれしものが撮る、みたいな。
(折田侑駿)コンペみたいな。
(石橋夕帆)そうですそうです。
(折田侑駿)そうなんですね。それで、今回の『左様なら』が初めての長編作品だと。
(石橋夕帆)はい。
(折田侑駿)『左様なら』はMOOSIC LABという音楽と映画の祭典で、イベントみたいなかたちですよね?上映されたのは。
(石橋夕帆)そうですね。
(折田侑駿)その企画で、去年のいくつもの作品が制作・上映された中の一本ということですけれども、この『左様なら』はどういったところから企画がスタートしたのかということからお聞きしたいです。
(石橋夕帆)はい。実は最初はMOOSIC LABとは全く関係ないところからスタートしていて。主演の芋生悠さんの紹介で、原作の「ごめん」さんと知り合うことになりまして。
(折田侑駿)そうなんですね。
(石橋夕帆)それが2年前くらいか...3年前くらいだと思うんですけど。その時に「ごめん」さんの漫画を読ませて頂いて、すごく素敵だなと思って、「何か一緒にできたらいいですね」という話になって。
(折田侑駿)はい。
(石橋夕帆)そこで一個提案させていただいたのが、私が「ごめん」さんの漫画を映画にして、私の映画を「ごめん」さんに漫画にしていただくっていう。そういうことができたらいいねっていう...
(折田侑駿)なんかちょっと...交換するみたいな。
(石橋夕帆)そうですね。お互いちょっとコラボみたいなかたちでできたらいいなと。まあ、最初は割とちょっと世間話くらいのノリのところから始まったんですけど。で、そこから、何の漫画が良いかなという話になって。「ごめん」さんの本当に初期の、たぶん2、3作目くらいだと思うんですけど、この『左様なら』っていう原作が、私の中では一番惹かれて。「じゃあこれをぜひ映画にしたいんですけど」っていう話をした帰り道、電車の中でTwitterを見ていたら、芋生さんが祷(キララ)さんと写っている写真が流れてきて(笑)。
(折田侑駿)今回の、主演のお二人ですね。
(石橋夕帆)そうです。主演の二人が本当にたまたま、上映イベントか何かで一緒に撮っていたみたいなんですけど。それで、「あれ?この二人、すごく『左様なら』の由紀と綾だな」と思って。写真だけで決めるなよって話なんですけど(笑)。
(折田侑駿)はい(笑)。
(石橋夕帆)そのインスピレーションはあって。そっから最初は短編映画にしようという話で進めていきましたね。
(折田侑駿)その時点では、まだ全くMOOSIC LABとは関係なくですか?
(石橋夕帆)でも、「その二人ありきで短編映画を撮りますか」「あ、じゃあ、時期的にもMOOSIC LABとかあるから良いかもしれない」「“MOOSIC LAB”の短編部門でいこうかな」みたいな話をしていたんですよね。
(折田侑駿)それは石橋さんの方からMOOSIC LABさん側にアプローチをかけたというような?
(石橋夕帆)そうですね。「ごめん」さんにそういう話をして、「ちょっとじゃあ聞いてみますね」という感じで。
(折田侑駿)そうなんですね。へー、面白いですね。そんなかたちだったんだ。
(石橋夕帆)最初は原作の内容に忠実な短編映画みたいなものを想定していたんですよね。
(折田侑駿)ちなみに何分くらいのものを?
(石橋夕帆)20分前後くらいのものを...本当にさらっとした空気感の...みたいなものにしようかと思っていたんですけど。
(折田侑駿)また後でじっくり聞こうかと思うんですけど、そのもし短編だった場合は...何でしょう...たくさんの生徒たちの群像というか、そこまでは描かない...描けない...という感じだったんでしょうか?
(石橋夕帆)そうですね。それこそ原作って、群像性は全然ないので。もう群像的な部分は一切ない。由紀と綾の...芋生さんと祷さんの二人だけで展開していく、静かな...まあ、何でしょう...大きな出来事は起きないけど...みたいな物語にしようかなと思っていましたね。
(折田侑駿)キャスティングがすごく気になっていたんですけど、主演の二人はTwitterで(笑)。
(石橋夕帆)本人とは直接の面識はなかったんですけど、芋生さんは過去作で...『それからのこと、これからのこと』(2016)という作品に出ていただいてまして。その上映イベントの時に...「テン年代の青春映画」みたいなイベントだったんですけど...それの時に、たまたま『Dressing Up』(2012)が併映されまして。
(折田侑駿)安川有果監督の。
(石橋夕帆)そうです、安川監督の。それで初めて祷さんのことを知って。「何だこの子は」と思って。
(折田侑駿)そうなんですね。それこそこの作品は、お二人が凄く強く印象に残る役どころをされてますけど、でも二人だけじゃなくて、キャラクター...生徒...原作とはまた違った、長編映画として膨らませた部分で描かれている...“周囲の”っていう言い方は適切じゃないかと思うんですけど。クラスメイトの子たちが、みなさん一人ひとりキャラクターが立っていると印象深いんですけれども、キャスティングはどういうふうにされたんでしょう?
(石橋夕帆)えっと...まずオーディションがあったんです。主演二人と、ほか数名のオファーの学生役の子たちはいたんですけど、それ以外の子たちはオーディションで選ぼうと、オーディションをセッティングしたんですけど。その時点で、一応脚本の第一稿は上がっていて。まあただ...撮影稿とあんまり大きくは変わりないんですけど、自分の中でそれぞれのキャラクターの個性とかバックグラウンドは、そこまでは深めていなくて。まず脚本として書いた状態のものがあって、それ込みのオーディションをしようと。で、そのオーディションで、まあいわゆるスクールカースト的なものがあるので、そういったバランスとか、グルーブ同士とか、人間のバランスを...それぞれの魅力と合う人をオーディションで選ぼうということで選んで。オーディションで決まったキャスティングありきで、あとで人物像を考えました。
(折田侑駿)なるほど。その“人”というか、“俳優さん”...
(石橋夕帆)そうですね。俳優さんありきで。なので、半分は考えてあったんですけど、脚本を書く時に。ちょっとそのニュアンスというか、同じセリフでも、どういうニュアンスで言うかみたいな部分の役の設定としては、役者さんが決まってから考えた...人物設定みたいな、めちゃめちゃ細かいのがあるんですけど(笑)
(折田侑駿)当て書き的な。
(石橋夕帆)そうですね。なので脚本自体は変わってないんだけど、人物像を当て書きしたみたいな感じなんです。
(折田侑駿)そのオーディションというのは、どれくらいの期間行ったんですか?
(石橋夕帆)二日で...一次選考は書類で...
(折田侑駿)どれくらいの応募が? 差し支えなければ。
(石橋夕帆)たぶん...600くらいだったかと...。間違えてたらすみません。それで、書類で600から100まで絞って、で、その100人を二日間で見させていただいた感じですね。
(折田侑駿)...大変ですね...。
(石橋夕帆)大変でしたね(笑)。まあ何人かずつっていう見方もしましたし、けっこう可能性が高いなと元々思っていた人に関しては、お一人ずつお会いしてって感じでしたね。
(折田侑駿)そのオーディションの時点で、ちょっとこう...組み合わせてみたりとか...例えば「この人とこの人だったら、こうなるかな」みたいな実験性だったりというか。
(石橋夕帆)...の時点では、そんなにないですね。その場はオーディションとして、とりあえずそれぞれ見るというかたちで。で、オーディションの二日目が終わった時の夜に、もうキャスト全員を決めちゃいましたね(笑)
(折田侑駿)あ、二日目の夜に。本当ですか?
(石橋夕帆)はい(笑)もうだってこれ、時間けかけても迷宮入りしちゃうなと思って。今日一日で結論出すぞと。そのままオーディションをやっていたスタッフと相談して、割とすんなり決まりました。
(折田侑駿)ちなみに、審査する側というか、話し合ったりしたのは何人くらいで?
(石橋夕帆)えっと、一応その場で板付きで見てたのが私と、原作の「ごめん」さんと、柴崎まどかさんっていうスチールの方と、あと制作の女の子一人にも見てもらってたかな。と、助監督と...キャストのオファーで決まってた子が少し見学に来てたりはしてたんですけど。だから5人くらいですかね。オーディションを見させていただいてました。
(折田侑駿)けっこう...女性...
(石橋夕帆)そうですね(笑)全員女性でした(笑)なので、女の子が受けてくれた時は良いんですけど、男性の役者さんが来た時は、変な圧迫面接みたいな。「変な圧があるな」みたいな(笑)
(折田侑駿)そうですよね(笑)
(石橋夕帆)あとから聞いたら、「凄い緊張しました」って(笑)
(折田侑駿)ああー(笑)そうですよね。
(石橋夕帆)男の子に言われちゃって。女の子は凄いリラックスしてましたけどね。
(折田侑駿)役者さんたちが、そのキャラクターが凄く立っているというところで、人として、俳優さんとしてまず選んだというところから映画を作っていったということで、何か一つ腑に落ちたところがあります。撮り方だったりとか、その...割と常にフォーカスが深めに撮られてますよね。カットの一つひとつが。フレーミングとかもアップじゃなくて...生徒がたくさん入っているような...
(石橋夕帆)そうですね。メインのやり取りがあっても、裏に感じるみたいな...
(折田侑駿)そこまでちゃんと、奥の生徒までフォーカスが当たっていたりだとか、そういうところが印象的だったんですけど...
(石橋夕帆)ありがとうございます。
(折田侑駿)そことかもやっぱりかなり気にされていた?
(石橋夕帆)そうですね。そこに関しては...あの、リハーサルをすごくいっぱい設けたんですよね。たぶん一番多く出ている子で5日間とか。それぞれ差はあるんですけど。
(折田侑駿)それは全部撮影に入る前に?
(石橋夕帆)前にですね。あの...正直、撮影日数が“絶対これだけしか取れない”っていうのがあって。現場で“押す”余裕はないなと思って。
(折田侑駿)はい。
(石橋夕帆)リハーサルでガッチガチに固めていこうというのがあって。で、そこで、全体のリハーサルとか、あと仲の良いグルーブとかがあるんですけど...劇中で。“ギャルグルーブ”の子たちでやったりだとか、教室の“お一人様”の子たちだけの日があったりとか。メインの由紀・綾の日があったりとかだったんですけど。そこで、さっきお話したような、人物のディテールを個々で詰めてくこととか。まあ本読みは実はあんまりやってないんですけど。現場に入る前は。ほとんどが“お話”ばっかりですね。人物設定を詰めてくって作業だけを...まあ、“作品を理解する”...“自分がどういう人物でそこにいるのか”っていうのを個々と深めることに、ほとんど時間を使っていて。で、ちょっと話がズレちゃったんですけど...現場に行った時に、もちろんメインの脚本上のやり取りを撮るつもりでこっちがカメラを組むんですけど。やっぱりなかなか現地に行かないと...やっぱり何ですかね...フレーミングだったり、“誰がどこまで入るか”っていうのが読めなかったので...
(折田侑駿)そうですよね。
(石橋夕帆)そこは、「今メインのやり取りがあって、ここまで入るから。じゃあこっちの後ろの二人はこんな動きをしようか」みたいなことは、現場で指示しましたね。それこそ台本に無い部分で、そういうことをやってもらってたり...動きとかセリフとか...。
(折田侑駿)さっきお話に出ましたが、撮影日数っていうのは何日間くらいだったんですか?
(石橋夕帆)およそ11日ですね。
(折田侑駿)11日...。
(石橋夕帆)ちょっとグレーな日程ではあるんですけど。ほぼ11日で撮ってます。
(折田侑駿)そうなんですね...。だからその、フレームだったり、カメラの動かし方だったり...誰を入れて...誰をちゃんとフレームに収めるか、みたいなことで。どれくらい現場でテストというか、空間?...教室だったり、図書室だったりの空間を、「どれくらい把握してやられたんだろう...そうとう準備したんじゃないかな」と思って。
(石橋夕帆)(笑)いやー、もうけっこうドタバタで。画に関しても、実はカット割してなくて(笑)
(折田侑駿)あ、そうなんですか。
(石橋夕帆)現地で、ですね。いつも他の作品だと、カット割をガッツリ決めてて...なんですけど。もうその場その場で「次のシーン、○カットでいきます」っていうのを頭で何となくは考えているんですけど、現場の時間とかで判断して。で、あの...撮影監督が萩原(脩)さんって方なんですけど。「萩原さん、これ○カットでいくんで、ちょっと作ってください」と言って、その間に演出してたりとか...って感じでしたね。
(折田侑駿)なるほど。今回はその、“学園モノ”っていう括りで観ることができると思うんですけど。その...学園モノっていうと、やっぱり特定の誰かにフォーカスしていて。この作品でも一応は主演の二人にフォーカスしているけれど、周りの人たちも均等にフォーカスが当てられている。フォーカスっていうのは...なんていうのかな...監督の視点が当たっているっていうことなんですけど。...なんだろう...全体を?教室、学級、クラス...という全体を描いているというように僕は思ったんですけど...。
(石橋夕帆)ありがとうございます。
(折田侑駿)“二人がいて、周りの人たちがいる”じゃなくて、“全体があって、その中のたまたまの二人”だよなと思ったんですけど、そのあたりとかっていうのはどうなんでしょうか?
(石橋夕帆)あ、まさにそうですね。あの...原作にあるものを自分の中で大切にして、要所要所のシーンに落とし込んではいるんですけど。
(折田侑駿)はい。
(石橋夕帆)でも、映画版としての描き方とかテーマが必要だなと思って。その時に、まあさっき...あれですけど...やっぱり原作が主演二人+αくらいで進んでいるのに対して...何でしょう...原作で由紀と綾がいて、綾が死んでからの時間が、作品自体がコンパクトなこともあって、わりと数ページではあるんですよね。でもこの時間を膨らませてみようかなと思って。綾が亡くなった後の時間って、どういう空気感の世界だったんだろうと思って。そこを膨らませたのが映画版であり、それにあたって、じゃあその時の空気を描こうと思ったら教室丸ごとだなと。私なりに思って。
(折田侑駿)はい。
(石橋夕帆)「よし、これはじゃあ、その時の学校のクラス全部というものを描いてみよう」と思ってチャレンジした部分はありますね。
(折田侑駿)なかなかこう...“主人公はクラス”という感じって、学園モノでも観たことないなと。
(石橋夕帆)あ、それこそ例えば『桐島、部活やめるってよ』(2012)くらいですよね...
(折田侑駿)とかは思い浮かぶんですけど、パッと出てこなくて、珍しいタイプの作品だなと思いました。それに、均等に視点が当てられている...監督がまなざされているように...観るお客さんとかもやっぱり、あの中にかつての自分自身や、今の自分自身を見つけられるんじゃないかなと思いました。
(石橋夕帆)ありがとうございます。
(折田侑駿)これは、原作者の「ごめん」さんとディスカッションしながら膨らませていったんですか? 監督お一人でですか?
(石橋夕帆)実は「ごめん」さんが脚本に関与している部分って、人物の名前とか、人数を決めたりだとか...一応メインの学生役の子たちが22人かな...いると思うんですけど。その子たちの、すごく簡単な“○○は○部”、“○○は、この○○グルーブ”みたいなことはアイデア出しで付き合っていただいたんですけど、それ以降は全く自由にやらせていただいちゃって(笑)。
(折田侑駿)そうなんですね。
(石橋夕帆)それこそ、人物が多いこともですし、描いていることもですし、かなり好き勝手やっちゃってます(笑)そこは、自由度をもたせてやらせていただいて。「ごめん」さんも、出来上がった脚本も作品も凄く喜んでくださって。まずそれが嬉しかったなというのがあります。
(折田侑駿)ちなみに、ちょっと話が戻っちゃうんですけど。僕はムージック・ラボの作品をそんなにたくさん観れているわけじゃないんですけど、“原作アリ”の作品って、これまでにもあるんですかね?
(石橋夕帆)いや、私の知る限り...ないような気がしますね。
(折田侑駿)“原作アリ”について、あちらサイドの方は最初どんな反応でした?
(石橋夕帆)あー、どんなだったかな。でも、原作がどうこうってことに対するコメントはそんなに無かったと思うんですけど、あちらの方も「ごめん」さんを、私の提案で初めて知られたみたいで。「あ、こういう方がいて、すごく若い子たちに人気で、影響力のある方なんだね」っていうことに興味を持っていただいて。その後、「ごめん」さんも色々な部分で...元々とても人気のある方ですけど、こっちの...映像畑の方々にも注目されるようになったなと勝手に思っています。
(折田侑駿)面白いコラボの仕方ですよね。若手同士で、というか。世代も近いんですか?
(石橋夕帆)実年齢はアレですけど...「ごめん」さんの方が年下ではありますね。
(折田侑駿)なるほど。
(石橋夕帆)それこそ、劇中に詩が出てくるんですけど。あれは「ごめん」さんが書いてくださってるんです。
(折田侑駿)この映画用に?
(石橋夕帆)映画用に。脚本が出来上がってからですけど、ト書きで「国語の教科書の詩が読まれる」とかっていうのが2、3箇所あったんですけど、それを...「この部分、作っていただけませんか?」ってお願いして(笑)
(折田侑駿)いやー、そうなんだ。僕も凄く好きな詩ですね。
(石橋夕帆)すごく素敵なんですよね。「どこの偉人が書いたんだろう」みたいな。あれは若い方が書いてるんですよ。恐ろしいセンスだなって。
(折田侑駿)誰が書いたのか知りたくて、けっこうググったりしました...
(石橋夕帆)(笑)
(折田侑駿)今回は少女というか...学生たちが主体となっていて、その中に二人の少女の存在があるわけですけれど。とあるスジから聞いた話で、「石橋監督はかなり少女漫画がお好きだ」っていうことを聞いたんですけど...
(石橋夕帆)(笑)どこのスジだろう(笑)いや、本当です。
(折田侑駿)映画よりもけっこう“漫画派”みたいな...って聞いていたので、ちょっとお聞きしたいなと思ってました。お好きなんですか?
(石橋夕帆)...かなり好きですね。いわゆる「マーガレット」とか「花とゆめ」とか、恐らく今の年齢の私向けのじゃないだろうっていう雑誌が、少女誌があるんですけど。そこらへんの有名どころは全部、いまだに読んでますね(笑)
(折田侑駿)僕も少女漫画は多少読んだりします。少女漫画の実写化が多いので、そういう作品がけっこう好きで映画を観る前に読んだりするんです。でも、あのへんの漫画っていうと、やっぱりこう...中心になる人たちがいて、どうしても“その子たちの世界”となっていて。それ以外の世界というか外側というものに対して、ほとんど盲目的になっていて、見えていない。そんな印象があるんです。だから石橋さんは少女漫画が好きと聞いた時に、『左様なら』はまたずいぶん違うなあと(笑)
(石橋夕帆)(笑)
(折田侑駿)そこはどうだったんでしょう?主体を教室という“場”というか、クラスという“共同体”に、作っていきたいという思いがあったからなんでしょうか?
(石橋夕帆)そうですね。たぶん『左様なら』自体が漫画っぽい...何か私が影響を受けて、演出とか脚本とかやってる部分も恐らくは多少あると思うんですけど。ただ今までの過去作以上に...いや、むしろ初めて、自分の中で引っかかってた感情を映画にできたらなと思って。それが“学生時代”だったんですよね。なんかあの時、もちろん楽しかったし、いい思い出なんだけど...なんかこうモヤッと残っているこの感覚は何なんだろうかと、10年も経つのに引きずってて...(笑)一個クリアになったのが、『桐島、部活やめるってよ』もあったんですけど、私の中では。あの...『3月のライオン』っていう羽海野チカさんの漫画があって。
(折田侑駿)映画化もされた作品ですね。
(石橋夕帆)はい、そうです。あの作品で“ひなちゃん”って女の子がいて、いじめられちゃうパートがあるんですけど。
(折田侑駿)はい。
(石橋夕帆)その一連のストーリーを読んで、「あ、こういうことだったのか」と。自分が引っかかってた感情が。
(折田侑駿)うん。
(石橋夕帆)だから...何ですかね。いじめにしろ、(友人たちから)はぶかれるにしろ、何か上下関係みたいな...いわゆるスクールカーストですけど。あれをみんなが暗黙の了解にしていた、あの世界って何だったんだろうなと思って。
(折田侑駿)うんうん。
(石橋夕帆)それってやっぱり私は学生時代が、分かりやすくそういうコミュニティにいたので、印象には残っているんですけど。きっと大人になっても、会社でもどこでも、そういうものだったりはするんだろうなと思って。それを一個消化したいっていう気持ちがあって、『左様なら』に落とし込んだというのはありますね。
(折田侑駿)学生時代からそういうスクールカースト的なものって、意識はありました?
(石橋夕帆)当時も...そうですね、私は、半分わかっていたような気がしますね。
(折田侑駿)うっすらと。
(石橋夕帆)自分がそこに居て。やっぱりどんなにフラットに友だちに接している感じにしても、自分の心の中のマウンティングというか、ランク付けみたいなものが頭の片隅にずっとあったよなって。でもそれ自体を否定するというよりは、あの時間を自分なりに消化して受け入れたいなと思って。それを映画にしちゃったっていうのは...あります。
(折田侑駿)なんだろう...観ていると、いわゆる...“悪いヤツ”みたいな子が出てはくるのだけど、どうしても何か...それを単純に悪いヤツとも言えないし、ちょっと可哀相な子がいるからって、“可哀相なヤツ”とも言えない...(生徒たちを)均質に見ている感じというのは、その当時からちょっと年齢を重ねて、何だろう...大人になったというか(笑)、そういう感覚が...? 僕もそれはちょっとあったりして。
(石橋夕帆)うん。でもシンプルに10年経って、あの頃より俯瞰できるようになったっていうのが...その当時のことに関してです...。今の自分のことを自分が俯瞰できているかは分からないけど。やっぱり5年、10年経つと、違った見え方があるよなあと。例えば、けっこう私世代の女性ってある程度、一度はハブられたことがある...みたいな人が多いと思うんですけど。実は、女性社会的には(笑)
(折田侑駿)それはまさに映画の中で、よく分かっていなかった男子たちのような。
(石橋夕帆)そこはキャストさんたちともディスカッションしたんですけど。男子の社会には、“ハブく”っていうのはあんまりない。悪口とかもそんなに積極的には言わないし。(気が)合わなかったら、何となくつるまなくなるだけだって言ってたんですけど。いやあ、女子は分からないかたちでハブくし、誰しもハブり、ハブられっていうのが一度はあるよねっていうのが...ちょっと、ある意味でよっぽど恵まれた学園生活を送った子以外は、けっこう...(笑)。『左様なら』の出演者の子たちと話しただけの部分にはなりますけど。
(折田侑駿)はい。
(石橋夕帆)けっこう多いんじゃないかなと思っています。
(折田侑駿)そうなんですね。
(石橋夕帆)それはずっと、永続的なものではないので。一回そんな時期があったとか、そういう子が多いと思うんですけど。何か、不思議なんですよね。ハブいていたのに、そのことを何も無かったかのように、またグルーブを組んでいたり。そういう社会だったよなと。
(折田侑駿)思い出してみれば、そういう光景が記憶に残っている気がします。
(石橋夕帆)(笑)
(折田侑駿)あんなに仲良かったのに、今は離れてて...みたいな。一年生の時は仲が良かったのに、二年生で離れちゃって、三年生の卒業間近になってまた仲良くなってっていう。それはたしかにあったような気がしますね...。そういったところを、ディスカッションされたと?
(石橋夕帆)そうですね。けっきょく私の主観である程度脚本をができていたので、まあ例えば...より年齢の近いキャストの子たちの肌感的に、“学校とは、どういうものなのか”とか。
(折田侑駿)それこそあれですよね。年齢もまばらですよね、生徒役の子たちは。
(石橋夕帆)そうですね。
(折田侑駿)だから、けっこう僕らに近い年齢の方もいますもんね。まだ卒業したばかりの方もいるし。
(石橋夕帆)それこそ当時、最年少だったのが栗林藍希って子が恐らく17歳とかだったと思うんですよ。
(折田侑駿)現役...
(石橋夕帆)現役の子です。あと他は、祷さんとか安倍乙さんとかも18歳かな...当時は。
(折田侑駿)そっかそっか。
(石橋夕帆)だから、まあ...下の年齢の子もいつつ、限りなく私寄りの年齢の子もいつつ(笑)。でもそこの空気感は年齢関係なく、キャストさん自身が発してくださっていたので。
(折田侑駿)なるほど。リハをけっこうやられたということですが、現場自体はスムーズだったんですか?
(石橋夕帆)あ、そうですね。微修正程度ですね。やっぱりリハから少し時間が経っていて、若干ブレちゃっていた分を修正するというくらいで。どうしても現場の時間の制約っていうのはあって。ま...「もっとできたな」と後悔する部分ももちろんあるんですけど、そこはやっぱり役者さんそれぞれが、「自分の役は、“こう”だ」「この作品で描くものは“これ”だ」というものを、ちゃんと芯に持っていてくれたから現場がスムーズだったっていうのはありますね。
(折田侑駿)クラス全体を俯瞰して映しているのを観ていると、同時多発的に会話が起こっていて、すごくグルーブ感を感じました。どれくらい時間を重ねたら、こういうことができるんだろうと考えていたんですけど、それはリハで固めていって、あとは一人ひとりが自分のキャラクターでいてくれたというところでできたと。
(石橋夕帆)そうですね。あともう一個付け足すとしたら、動きは...ほぼつけていないです。リハで簡単に確認するだけで、なるべく...慣れた、振り付けみたいな動きになっちゃうのが嫌で。
(折田侑駿)うんうん。
(石橋夕帆)なので実際の、誰が離席して...あっちに行く...こっちに行く...座る...っていうのは、リハではほぼつけずに、現場でっていうのがありましたね。
(折田侑駿)じゃあみなさん、自身のタイミングで、というか。
(石橋夕帆)あ...現場で...「こっからここは、このタイミングで」みたいなことは言うんですけど、何か歩く所作とかがやっぱり、もう、なんでしょう...(笑)
(折田侑駿)そこは、自分自身の演じるキャラクターとして、ですね。
(石橋夕帆)そうですね。そういう部分が、あんまりお芝居チックじゃない方が個人的には好きというのがあって。
(折田侑駿)うんうん...リアリティというか...それは感じましたね。
(石橋夕帆)ありがとうございます。
(折田侑駿)本作では、同世代の俳優さんが集まっているじゃないですか。まあ、俳優さんに限らず、同世代の人があれだけ同じ空間に集まっていたら...何でしょう...ひとつのゴールを...作品を撮り終えるという目標があるにせよ...揉めたりとかそういう珍エピソードは...(笑)。
(石橋夕帆)いや、でも...若い子たちなんで、何もないことはもしかするとないかもしれないですけど。とはいえ私は、オフの部分にはそこまで深く関与しないようにしてて。
(折田侑駿)それは意識的にですか?
(石橋夕帆)そうですね。撮影時点でも。もちろん役のこととかについては熱意を持って話すんですけど。まあ単純に「気が休まらないよなあ」と思って。オフまで私がいたら。でも、現場に入った時に感じる空気として、「みんな上手くやってくれているな」「お互いが空気を崩さないようにしようと思って、それぞれの立ち振舞をしてくれているな」っていうのはすごく思って、感謝しています。
(折田侑駿)...ちょっと繰り返しになっちゃうんですけど、演出の部分では...まあその、主役二人だったりとか...まあ、ちょっと印象深いというか、キーになる役どころの方がいたりするじゃないですか。そういう方とかにも、何か念入りに演出をつけるとかいうよりは、全体の中でのバランスを取ったという感じですか?
(石橋夕帆)主演二人はさすがに多かったですね。でもまあ一貫して本読みを重ねるとか、動きを緻密につけるだとかについては、リハでは徹底的に排除してて。もう、何よりも深めることにだけに時間を使ってましたね。だからそのバックグラウンドさえもってくれて、なおかつ、“これくらい自分は素でいていいんだ”っていうのは何となくお互いの認識としてありながら、一緒に現場に行けたらなと思ってリハーサルをしてました。
(折田侑駿)うんうん。
(石橋夕帆)ややこしいですよね。「素の部分もあっていいよ」とみんなに言ってて。ご飯を食べる所作とかは、もう本人の(笑)
(折田侑駿)はい。
(石橋夕帆)“素の感じ”っていうのが好きなんですよね。『左様なら』では出でこないですけど、タバコを吸うということにしても...何かを食べるってことにしても、何だろう...まあ当て書きだからそれを良しとしているんですけど。例えばそういう部分で素が出ても良いんじゃないかなと思っていて。
(折田侑駿)それはやっぱりその...“その人間ありき”でキャスティングしているからというところですよね。
(石橋夕帆)そうですね。
(折田侑駿)逆にそれが...「絶対にこのキャラクターが」というのが決まっていて、で、“この役を探す”みたいなことをされた場合でも、“食べる”だとか、日常生活の...それぞれが日々繰り返していること...の所作とかは素の部分を...っいうわけではないんですよね?
(石橋夕帆)何ていうか...そうですね。私が...今までの作品も割と当て書きチック(笑)ではあるんですよね。最初の『フレッケリは浮く。』と『ぼくらのさいご』は違うんですけど、以降の作品は本人の魅力ありきで選んでいるというか。まあ...脚本とか役柄とかも割と寄せていくというか、そういうやり方をしているので。だからけっこう「素の部分を出していいよ」って言っちゃうのは、そういうところからきていますね。
(折田侑駿)はい。
(石橋夕帆)もしかしたら今後、コテコテに固めて撮らなきゃいけない時が来るかもしれないんですけど。
(折田侑駿)それも観てみたいですね。
(石橋夕帆)そういうのはそういうので全然興味があるというか、やってみたいものではあるので。今までやってきたやり方というか、重ねてきた部分に関しては、本人の魅力もそのままいただきつつ、役と...何でしょう...半々でありながら融合している、みたいなものを理想としてもっています。
(折田侑駿)さっきのその、教室での同時多発的な会話だったりの話にも繋がるんですけど。遠足のシーンでは、屋根の下でみんなが思い思いに話をしているみたいな感じですけど、あれは...セリフなんですか?
(石橋夕帆)(笑)あれは...まあでも、たぶんセリフでちゃんと認識できるところは自分で書いていますね。
(折田侑駿)例えば、飲み物を買いに行くというくだりとか、それはそうなんでしょうけど。
(石橋夕帆)あ、そうですね。お弁当の話をしていたりとか、あそこも意外にセリフですね(笑)。
(折田侑駿)みなさんが凄く上手い...という。どっちなのかなと思っていたので。
(石橋夕帆)そうですね。“ここは、The エチュードだな”という部分もあるんですけど。遠足は全部セリフ通りだった気が...
(折田侑駿)そうなんですね。あの日...“あの日”って何か、自分も当事者のようですけど(笑)。遠足のシーンは、本当に天気がああいう感じで...?
(石橋夕帆)いやー、あれは(笑)天気予報は晴れだったんですけど、山に登ったらめちゃくちゃ嵐で(笑)
(折田侑駿)そうなんだ(笑)
(石橋夕帆)ずっとあそこだけ嵐だったんです(笑)
(折田侑駿)あれはあれで凄く...良いですよね。
(石橋夕帆)なかなか映画でああいうのないですよね(笑)まあそこは色んな制約があったんですけど、「やりましょう」と言って撮ったシーンではありますね。
(折田侑駿)それは日数が限られているというのもあると思うんですけど。(監督は)けっこう判断は早い方なんですか?演出だったりとか。
(石橋夕帆)あー、基本的に判断は早いです。
(折田侑駿)じゃああんまり、助監督の方にせっつかれたりとか...
(石橋夕帆)(笑)まあ...なんでしょう...判断はなるべくスピーディーにというのは心がけていますけど、それでも色んな要因でシーンが押すことはあって。そこに関しては、助監督さんなんかに「今どれくらい押してて、○○くらい削らなきゃヤバいです」みたいなことは言われます。それに対するジャッジを早くしようっていうのはありますね。だから(時間が)押してしまうことは、もちろんどんなに急いで判断しようと思っていても起こりうるんですけど。
(折田侑駿)うん。
(石橋夕帆)まあ色んなイレギュラーな...時間が押すとかがあった時に、そこの...そこで迷う時間だけは取らないようにしようと思ってますね。まあ判断を間違うこともあるんですけど(笑)自信がないこともあるんですが、ちゃんと自信がある体で、その場でジャッジを下そうというのは心がけています。
(折田侑駿)それは役者さんの前での監督としての立ち振舞としても、みたいなところですかね。
(石橋夕帆)そうですね。現場にいる全ての人に対してですね。
(折田侑駿)統率するために、っていう。
(石橋夕帆)で、まあ、そこに対する理由もちゃんと述べようと心がけています。「○○がこういう理由で、このカットを...これで成立するので、このカット数減らします」とか。「○○を優先させたいので、しょうがないので、ここは欠番します」とか。
(折田侑駿)うんうんうん。
(石橋夕帆)それでなるべくストレスが溜まらないようにしたいなとは思っています。いや、ストレスを与えてはいると思うんですけど、せめてもの...(笑)
(折田侑駿)それはみんな基本的には納得してくれる感じなんですか?
(石橋夕帆)あ...演出で?
(折田侑駿)なんだろう...その、イレギュラーな事態に対しての判断だったりだとか、そういうものに対して。
(石橋夕帆)内心はそうなのか分からないですけど(笑)納得はしてくれています。
(折田侑駿)今作で凄く印象的なのが、また教室の会話だったりに繋がるんですけど。カメラが回っていて、フレームがあって、複数名の生徒が映っていて、なんだろう...常に誰かが誰かを見ていたりとか、“視線”が丁寧に切り取られているなと思ったんです。ああいうのもやっぱりその...各々に任せたんですか? それとも、「この時はここを見てて」みたいな演出があったんですか?
(石橋夕帆)視線はト書きに書いていた部分が多いと思います。
(折田侑駿)あ、本当ですか。なるほど。
(石橋夕帆)例えばその...ロングヘアのギャルの恵里奈(武内おと)って子がいるんですけど。“恵里奈、ここで○○を睨む”とか(笑)
(折田侑駿)はいはい(笑)
(石橋夕帆)何か...“○○を見つめている○○”みたいなこととか、そういうト書きはけっこう書いていたかもしれません。けっこう視線のやり取りが好きなんですよね。
(折田侑駿)面白かったです。
(石橋夕帆)「睨んでんな~」みたいな(笑)
(折田侑駿)3回観たんですけど、その度に発見がありましたね。
(石橋夕帆)凄く細かいところで、セリフが限りなく無い男の子がいるんですけど。高橋慎之介さんが演じている保坂という役で。限りなくセリフを発しないんですけど、地味にその...スクールカースト上位のグルーブの子たちが「わあー」と盛り上がっている時に、盛り上がってのけぞった時にイスにぶつかられてるとか、そういう細かいことはしてもらっているんですよね(笑)
(折田侑駿)なるほどなるほど。そこは演出で。
(石橋夕帆)演出で。
(折田侑駿)そこは何か監督の中で、記憶に残っていたりするんですかね。それとも妄想というか...
(石橋夕帆)(笑)でも妄想ですね。妄想の部分と、何か『左様なら』でそこも分けようと決めていたのは、本当はその...カーストカースト言っちゃって申し訳ないんですけど。まあ、スクールカーストで言えば下にいるであろう子たちに、より丁寧にフォーカスを当てたいんですけど、でも作品として仕上がった時に一番発言していないとか、存在感がないっていうふうになるのはあそこの子たちなんだろうなと思っていて。それはリアルな、教室での発言権のなさとか、発信力のなさとか...作品としては本当は描きたいけど、作品としては...
(折田侑駿)どれはどうしても作品に反映されちゃうと。
(石橋夕帆)そうなんですよね。だから本当はそっちによりフォーカスを当てて描くっていうのもありだとは思うんですが、教室で感じていた空気としては、あの子たちの発信力は少なかった、低かったはずだと思って。そういう立ち位置にしようと思っていました。
(折田侑駿)視線だったり、会話だったり、カメラの動きだったり、なんだろう...凄くその、現場の有機的な...演者、監督の演出、スタッフワーク等、色んなタイミングだったりが有機的に働いて一つひとつのシーンができていったんだろうなと思ったんですけど。特に印象的だったのが、一人の女の子(夏目志乃)が腹痛...
(石橋夕帆)ああ!
(折田侑駿)...に、なっちゃって。で、芋生さん演じる由紀ちゃんが廊下から出てきて保健室に連れて行ってあげて...。カメラは、他の女生徒たちと一緒に引いていく...というシーンがありますけど、あそこの流れに凄く感動したんです。
(石橋夕帆)(笑)
(折田侑駿)あそこはワンカットで撮られてますから、タイミングとか...あるじゃないですか。ああいうのって、けっこう何回もやったんですか?
(石橋夕帆)あ...でも、テストをやって、それを本番でどれくらい的確に決められるかっていうだけで。あそこはそんなに時間はかからなかったような気がします。
(折田侑駿)あ、本当ですか。
(石橋夕帆)でもまあ、3、4回は撮ったかな。テストを含め。
(折田侑駿)なるほど。...ああいうところにぐっとくるんですよね。
(石橋夕帆)(笑)
(折田侑駿)凄いなあと。
(石橋夕帆)あそこは事前にバチッとカット割りの...「ここでこう、このカット撮ります」みたいな指示は書いてなかった割には、ちゃんと頭にあったところで。「ここはこうだ」っていうふうに、勝手に思ってました。
(折田侑駿)そうなんですね。作品全体を観ていると、こう...人と人との肉体の触れ合いがないように感じたんですが、それは意識的なものなんですか?
(石橋夕帆)...いや、実は私...なんだろう...
(折田侑駿)肉体的にというか、その...単純に...
(石橋夕帆)手が触れるとかっていうことですよね。
(折田侑駿)そうですそうです。
(石橋夕帆)いや実は...これ凄く私的な理由なんですけど。私、人に触れるのがけっこう苦手なんですよ。
(折田侑駿)はい。
(石橋夕帆)触れられることに嫌悪感があるとかではなくて、自分から人に触れるのが苦手で。何か...それって病的な意味では別になくて。自分の心の問題なんだろうなと思って。どれくらい人に何かを許しているかとか、そういうことかもしれないんですけど。
(折田侑駿)はい。
(石橋夕帆)でも例えば『左様なら』の世界だったら、みんな表向きはそこそこ平和に生活しているように見えて、実はなんだろう...自分のパーソナルな部分を各々が持っていて、意外に他人に踏み込ませていないというか。友人同士...グルーブ同士でも。例えば由紀がハブられても、けっこうしれっとしていて、そこで何か、「いや、私は由紀ちゃんの友だちだから、由紀ちゃんの味方になるわ」とかって動きがあるわけでもなく。
(折田侑駿)うんうん...。
(石橋夕帆)だから、あの...なんだろう...学生時代の友人関係とか、全てがそうではないですが、なんだろう...本当に好きだったかとか、心を許していたかとか、10年先も友だちでいられるかとか...やっぱりそういう友だち付き合いではないことが多いだろうなと思って。私は運良く、10年続くような友だちと出会えてはいるんですけど。でもやっぱり、心を許せなかった、本音で話せなかった...そういう人が多かったんじゃなかろうかと思って。だから私の主観も入っているけど、『左様なら』はそれで良いだろうなと思って。“触れない”ってことは、やっぱり踏み込ませてないなっていう。そういう部分でも...特にギャルの子たちとか(笑)ポーズ的には仲の良さそうな動きとかはするんですけど、そういった心の許し方って意味での、人間との肉体的、精神的な接し方はしていないなと思います。
(折田侑駿)全体的にそういう部分を感じたからこそ慶太くんが由紀ちゃんを抱きしめる瞬間が、凄く印象深かった...それを凄く思いましたね。
(石橋夕帆)ありがとうございます。
(折田侑駿)...そうなんですね。じゃあ今までの作品も割と...意識的にというよりは、無意識のうちにそういう演出になっちゃっているという感じですか?
(石橋夕帆)どっかの時点で気がついたんですよね、私。『左様なら』を撮る前には気づいていたんですけど、「あ、あんまり触ってない。これは私が苦手だからだ」と思って。...気づいたのが、『atmosphere』(2017)って映画を撮った時に、なんだろう...触れる...そういう「“触感”を凄く綺麗に描いているね」と言ってもらえたんですよ。
(折田侑駿)はい。
(石橋夕帆)あの、布を触るとか、そういうことだったんですけど。人間じゃなかったんです(笑)
(折田侑駿)はあー。
(石橋夕帆)私は“触れる”っていうことに対して、一個の意識があるなとそこで気づきました。
(折田侑駿)そうなんですね。
(石橋夕帆)はい。
(折田侑駿)ちなみにあの浜辺のシーンは夕陽が凄く綺麗でしたが、あれはけっこう粘られたんですか?
(石橋夕帆)いや...たまたま綺麗だったんですよね(笑)いやー、どうしようかなと思ってたんですけど、これ...いくら天気予報が晴れとなってても、こっちが望むような陽の具合じゃなかったらどうしようと思ってて。あそこらへんのシーンを撮る時にはめちゃくちゃ抜群の陽がきて、「あ、これはもう絶対に押せないな」と思って。「急いで撮りましょう」と。
(折田侑駿)何テイクくらい?
(石橋夕帆)あ、でも、ちょっと難しいシーンではあったので、あんまりカットは割ってないし...
(折田侑駿)役者さんの感情的にもそうですよね。
(石橋夕帆)そうですね。それもあって、3、4回ないくらいかな...
(折田侑駿)あ、でもそれくらいで。
(石橋夕帆)よっぽどの事情がないシーンに関しては、だいたい4回以内くらいですね、私はいつも。
(折田侑駿)あ、そうなんですね。本当に美しいシーンでした。
(石橋夕帆)あそこは陽が綺麗ですよね。だからメインビジュアルとかも、あそこらへんのタイミングのスチールを使ってるんですけど。
(折田侑駿)なるほど。では、ここでちょっと作品の話からは離れて...
(石橋夕帆)はい。
(折田侑駿)石橋さんは映画だと、どういう監督だったり作品だったりに影響を受けてこられたんですか? まあ、映画を撮り始めたきっかけというか。
(石橋夕帆)撮り始めたきっかけになったのは、岩井俊二監督ですね。
(折田侑駿)ああー。
(石橋夕帆)女性監督あるあるですみません(笑)
(折田侑駿)作品とかだと何でしょう?
(石橋夕帆)えっと、私が...そもそもいきなり映画を撮ろうと思った時って、そんなタイムリーなタイミングではなかったんですけど、何ですかね...テレビで...たぶん浅野忠信さんかCHARAさんのどっちかの紹介映像として、チラッと『PiCNiC』(1994)が流れたんです。本当に2、3カット、チラッと...みたいなレベルで流れて。
(折田侑駿)はい。
(石橋夕帆)「何この映像」と思って。「これって日本の映画なの?」って思ったところから、まずビックリして。で、その後、一番最初に自主制作で映画を撮った時は、「あ、これ...私がやりたいのは、あの映像のことだな」とは思ったんですけど、観たらパクっちゃうから、とりあえず観ないで1本目を撮ろうと思って。それの...『PiCNiC』の、あの作品の画を観て「なんじゃこりゃ」ってビックリしたのと、いざ自分が映画を撮ってみようかってなった時に、『リリイ・シュシュのすべて』(2001)とか、『スワロウテイル』(1996)とかもあの頃くらいに観たのかな。
(折田侑駿)うんうん。
(石橋夕帆)とか...それより少し前に『花とアリス』(2004)とか観ていたのもあって。何ですかね...自分でも、別に岩井監督を真似るというのではなくて、例えば、ああいうふうにワクワクするものが自分にも撮れるのだろうかってことで映画に興味を持って。入口はそこでしたね。でも今の作風で、まあ演出も含め、けっこう強く影響を受けているのは...吉田大八監督とか、沖田修一監督...
(折田侑駿)ああー。
(石橋夕帆)...の作品は凄く好きで、観させていただいています。
(折田侑駿)吉田監督と...
(石橋夕帆)沖田修一監督。
(折田侑駿)またちょっと毛色が違う感じというか。そうなんですね。海外の監督とかは?
(石橋夕帆)洋画は勉強不足で...一応観てはいるんですけど...(笑)監督...これは勉強不足なんですけど、監督で挙げられる人がいないですね...海外の...。作品としては「この作品ステキ」とか思って観たりはしてるんですけど。あの...外国の方の顔を見分けるのが凄く...
(折田侑駿)僕もそうですよ(笑)
(石橋夕帆)いや、そもそも日本人においてもそうなんです。
(折田侑駿)はい。
(石橋夕帆)いや...「監督目指してるんじゃないの?」って感じなんですけど。けっこう人の顔を覚えるのが苦手で...。でも逆に、私でも覚えられて印象に残る人って、そういう...何だろう...覚えていられる存在感とか、見た目の方なんだろうなと思って。むしろそれを活かしてキャスティングとかしてます。
(折田侑駿)なるほど...。それはちょっと面白いですね。
(石橋夕帆)はい(笑)
(石橋夕帆)映画『左様なら』、9月6日から、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開されるのですが、『左様なら』は去年撮った映画になります。原作は「ごめん」さんに描いていただいたもので、そこから作った映画になりますけど、映画版のテーマとして、私自身が大切に...というかきっかけになった思いというのが、あの...何ですかね...例えば芸能人の方とか、著名な方が亡くなった時のニュースを観た時の状況だと思うんですけど。何か...例えば自分が生で接していないような遠くの人が亡くなった時に、SNS上で、「○○さん亡くなっちゃった。悲しい」とか、そういうのが飛び交うのって当たり前になっていると思うんです。最初に感じた違和感が、そこだったんです。それが悪いという意味ではなく、何か...何だろう。日常にないはずの出来事に関して、また人の死、他人の死に対して、こんなに100%な感じで悲しんでいるはずなのに、3分したら、「今このカフェに来てます」とかつぶやけちゃう、今のそういう時代の雰囲気が...「今の世の中ってこういう雰囲気なんだ」と思って。別にそれが全てじゃないし、ツイッターだけから感じる温度感かもしれないんですけど。何かそれって、SNSの中だけじゃないのかもなと。実際の...例えば『左様なら』で描こうとした学生時代とか、教室の中でも、生の人間の付き合いでさえ、そういうことが起きているんだろうなと私なりに感じて。何かその感覚を落とし込めたら良いなと思って、映画を撮っていました。なのでご興味を持っていただいたら、ぜひ劇場に足を運んでいただけると嬉しいです。あと、宣伝臭いですが、ファンブックや、Tシャツなども物販で取り扱っていますので、ぜひご覧になってください。よろしくお願いします。
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