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【書き起こし】『万歳!ここは愛の道』石井達也監督×福田芽衣監督

活弁シネマ倶楽部です。
不定期になりますが…本編の書き起こしをnoteに掲載します。

通信制限などで映像が再生できない方は、こちらの書き起こしでお楽しみください。

ただし、一点注意があります。
テキストはニュアンスが含まれにくい表現媒体です。
しかも、書き起こしは通常のテキストのように発表前に何度も推敲し、論理を確認し、細かいニュアンスを調整することができません。
だからこそ、書き起こしのテキストは誤解を招いたり、恣意的な切り取られ方をする可能性があります。(それによって炎上するニュースは日常的に起こっています。)

もし書き起こし内で引っ掛かる点があれば、映像をご覧になっていただきたいです。
映像はテキストでは表現しきれない被写体のゆらぎを写します。
そのゆらぎに含まれる情報があってはじめて、語り手の言葉は生きた言葉になります。

この書き起こしだけ(それも断片だけ)で判断するのではなく、語り手が語る言葉に耳を傾け、じっくりと楽しんでいただければと思います。
映画を見るという行為と同じような、能動的な体験をしていただけたら何より嬉しいです。最後になりますが、YouTubeチャンネルのご登録もお願いします。

それでは、『万歳!ここは愛の道』の書き起こしです。是非お楽しみください。

石井達也×福田芽衣『万歳!ここは愛の道』『すばらしき世界』『チョンティチャ』を語る!!活弁シネマ倶楽部#36

(折田侑駿)まずはお二人が、どういった人物で、どういった関係なのかをお聞きしたいです。自己紹介の方からお願いします。

(福田芽衣)映画監督の福田芽衣です。『チョンティチャ』という作品を監督していて、3年前に撮った作品なんですけど。それがこの前、「田辺・弁慶映画祭」でグランプリをとった副賞で、テアトル新宿で1週間レイトショー公開し終わったところです。

(折田侑駿)ありがとうございます。では石井さん、よろしくお願いします。

(石井達也)はい。『すばらしき世界』という映画を監督した石井達也です。普段は、映画監督をしてます。

(折田侑駿)ありがとうございます。そして今回、新作にして特別上映される『万歳!ここは愛の道』を監督されていると。

(石井達也)はい、そうですね。

(折田侑駿)今日こうしてお二人が並んでいるわけですけど、この関係性からお聞きしたいです。

(石井達也)映画学校にいる時に...。

(折田侑駿)東放学園映画専門学校ですね?

(石井達也)はい、その専門学校の時に彼女と知り合って。1個学年が上の先輩だったんですけど。そこから...僕は18歳で、彼女が21歳の時に知り合って。そこから2年間くらい交際をして、一緒に暮らしながら映画を撮ったりとかしてたんですけど。それで...今回の映画っていうのは、“僕が彼女を撮った”、“彼女と自分自身を撮った”というものなんです。彼女が記憶を無くす...2年間、僕と過ごした2年間分の記憶を無くすということがあって。それに対して...以前から彼女にカメラを向けていたのに、やめてしまっていたので、記憶を無くしてしまった彼女と自分自身にまたカメラを向けたというのがこの映画ですね。だから映画自体に、二人の関係性が凄く滲み出ていると思いますね。

(折田侑駿)この作品を拝見させていただいて、凄く衝撃というか...ビックリな映画だったんですけれども。この作品は、ドキュメンタリーだと思って観ていたら、まさかのフィクションも融合されている...っていうふうに感じたんです。それはどういう段階で...その、ご自身でも「誰も見ねえよ。見るのは俺くらいだよ」って言いながら撮られているじゃないですか、劇中で。それを、実際にこの“作品”として立ち上げていくに至る過程みたいなものはどういった感じだったんでしょう?

(石井達也)そうですね。まあ...言うところと、言わないところとあるんですけど。彼女が記憶を無くしたっていうのは事実で、その彼女に対してカメラを回したっていうのも事実で。記憶を無くした後の彼女と生活をしていく中で、あの...彼女にきっかけとして...うーん、どうだろう...ね?

(福田芽衣)石井監督が思ってる事実を言えば良いと思うよ。

(石井達也)うーん、どこまで言えばいいか。まあ僕たちは、ずっと映画を撮ってきて。僕の家で18歳の時から暮らしていたんですけど、僕にとって、東京に上京してきて一人暮らしを始めてすぐに彼女と一緒に暮らしだしたので、ある意味、親代わりのような。それで、付き合い始めた頃の彼女と同じ年齢になった僕が、ずっと映画と生きてきて、彼女と映画を...映画が...なんだろう...映画が、やっぱり二人の関係の軸にあったような関係であって。それを...俺たちの関係を映画にできたらなと。映画にしたいっていう思いはずっとあったんですけど。それが、記憶を無くしたり、いろんな状況が変わっていって、まあこういう形で、映画にするっていうふうになったんです。...質問はなんでしたっけ?

(福田芽衣)もともと、その、あれなんですよ。彼の中で、私との...記憶...私が記憶を無くす前から、私と石井監督の関係をいつか撮ろうと思っていたらしくて。それで、劇映画を企画していたんです。普通にフィクションの、私たちを基にした。

(折田侑駿)役者を別に立ててという。

(福田芽衣)そうです。というのをやろうとしてたんですけど、私が記憶を無くして、まあそうもいかなくなったんです。その時点でも、劇映画を撮ろうとしてたんですけど...なんだろうな...私と彼がこう生活をしている中で、なんだろう...やっぱり私は記憶を無くしてしまったから、分からないことだらけで。彼を頼ってきてたんですけど。記憶を無くした期間っていうのは、彼の生活にまつわる...色んな事件があって記憶を無くしているので、彼はそれを隠し続けたんですよ。一ヶ月半くらいかな。隠し続けていて。でもその状況って、やっぱり隠されていると亀裂が...摩擦が起きていくというか。私は知りたい、彼は隠したい、みたいな何かがあって。それを知りたいと思った瞬間に亀裂が発生するんですよね。その状況に...なんだろうな...怖くもあるし、怖かったけど、面白いことが起きそうというか。何かを隠されている状況...それでも一緒に居たいって思うのって、ちょっと面白いなって思っていて。

(石井達也)それがありましたね。

(福田芽衣)で、撮り始めるみたいな。

(石井達也)そうですね。

(折田侑駿)一緒に居た期間の思い出だったり、抱いた感情だったりとかが、すっぽり抜け落ちてしまったという状況ですよね。

(石井達也)それが一番...まわりが苦しむのがやっぱり気持ちとしては分かるし、俺も寂しい気持ちとかありましたけど、一番苦しいのは彼女なので、そこを...「俺が苦しい」とかっていう思いを意図としてはこの映画に入れていないですね。まあもちろん、フェイク、フィクションも入ってますけど、やっぱり僕としては、全て事実というか。そこにリアルがあるっていうか、ノンフィクション...フィクションじゃなくて、リアルっていうのは、絶対にこの映画の中には全部入ってて。それは、展開が進んでいくにつれても、もしかしたら俺たちはこうなるかもしれない。俺たちはいつかこう...なんだろうな...僕の願望でもあり、彼女が...過去の彼女にできなかったことっていうか。彼女がこれからどう生きていくのかは分かんないですけど、生きていく上で、ずっと二人の間にあった映画が、彼女を後押しするものであったらいいなと。いつか、今はまだ分かんないですけど、これから何年後かした時に、この自分たちの事象が映画になったっていうのが、彼女の生きる...少しの後押しになったら良いなっていう。彼女を救えたら良いなっていう思いがあって、この映画は始まりましたね。

(折田侑駿)福田さんはそれに対して、どんなお気持ちですか?

(福田芽衣)難しいんですよね。なんか...なんだろうな...やっぱりその“カメラを向けること”、“向けられること”に対して、凄く希望を持っていて。けっこう残酷なことなんですけど。私にとっても、とても残酷なことではあるし。わざわざ記憶を無くしたのに、無くして都合の良いことも私にはある。苦しいことは忘れられる。都合は良いけど、じゃあカメラで記憶していくってなると、苦しいことも映ってずっと残っちゃうじゃないですか。また記憶を無くしちゃったとしても、記録は残っていっちゃうというか。それに対して凄い残酷だなと思うんですけど、やっぱり撮り始めた時は希望があったというか。その希望だけは忘れたくないなっていう。それがもし、今後変わっていったとしても、最初にあった希望、映画に映っている希望っていうのは、無くしたくないなあという気持ち...。

(石井達也)「大丈夫だ」って言ってやりたかったんですよね。

(折田侑駿)はい。

(石井達也)「生きろ」とかじゃなくて。それを「大丈夫」って言葉ではなく言いたかったっていうのがあります。関係性はどんどん変わっていくので...毎日...歪なので...やっぱり記憶が抜け落ちているっていうことは。でもやっぱり、存在としては全く変わらないので。“映画を残す”というのは、俺たちにしかできないことだなと。これが、その...“吐き出し”みたいな映画ではないと思います。自分たちが勝手に、こう、正当化するためにこの映画を撮ったというわけではなくて、映画としてっていう...僕たちが考え続けた映画ってものの表現の仕方というか。それは“観てもらう”ってことも意識したよね?

(福田芽衣)人に?

(石井達也)うん。

(福田芽衣)そうだね、したね。後半は特にね。

(折田侑駿)それは、“映画”として作っていく段階を踏んで、ってところですか?

(石井達也)そうですね。彼女に対して、彼女を救いたい、彼女に「大丈夫だ」って言ってあげたいっていうのが、彼女に対して...一人...彼女個人に対してですけど。それってのは映画になったら、色んな人に伝わるものだと思うんで。まずは彼女一人のために作ろうと思って、そっから、それが絶対に客観的に僕たちの思考から離れて...編集とかしてると。もう、一個の映画になるので...それはたぶん、彼女一人のために作れば、絶対に人には伝わると思ったので...。“彼女に”っていうのを考えていると、逆に反対側も見えてくるような作り方でしたね。

(折田侑駿)出来上がったのは...つい最近?

(石井達也)つい最近ですね。

(折田侑駿)いつぐらいですか?

(石井達也)えーっと...。

(福田芽衣)一週間も前じゃないかも。

(折田侑駿)ええ!?

(福田芽衣)編集は、たぶん一週間も前じゃないと思います。

(石井達也)ほんとにギリギリで...。

(折田侑駿)上映がまた7月15日から始まりますけど、この前に、一回か二回...。

(福田芽衣)ああ、そっかそっか。その時には完成してます。

(石井達也)してます。

(折田侑駿)本当にギリギリだった...?

(石井達也)6月28日から上映だったんですけど、(完成は)27日とかですかね。

(折田侑駿)えー...。上映のプログラマーの方とかも...

(福田芽衣)めちゃめちゃ怒りましたね。

(石井達也)怒ってましたね。

(一同)(笑)

(折田侑駿)よくそんなスケジュールで立ててもらいましたね(笑)。その、どうやってこの作品を上映してもらうに至ったんでしょう? 「田辺・弁慶セレクション」で、石井さんの『すばらしき世界』が上映されるということで。福田監督も『チョンティチャ』に加え、『90分バスロマンス序章』という作品が組み込まれていますけど、石井さんのこれは長編として、本当に特別上映にして最新作ですが、これはどういった経緯でなんでしょう?

(石井達也)そうですね...先ほどお話させてもらった、企画段階からずっと考えていた...ずっと考えていたんですね。2018年から。「こういう映画が撮りたい」「これは映画にするしかない」と。それで状況が変わっていって、でまあ...その「田辺・弁慶セレクション」の話が動き出したのが...テアトルで上映するっていうのが動き出したのが、まあ1月とか。

(福田芽衣)うん、1月。

(石井達也)彼女が記憶を無くしたのが12月の1日の夜から2日にかけてなんですけど、あの...“今しかない”と思ったんですね。映画にするなら。「田辺・弁慶セレクション」は、まあ...「田辺・弁慶映画祭」に凄く恩はありますけど、別にこの映画は「田辺・弁慶セレクション」の映画ではないので、そこだけは絶対に譲らないところで。で...「利用してやろう」と思いました。それはまあ映画祭側も言ってくれていて。「大いに映画祭を利用してくれ」と。

(折田侑駿)チャンスですよね。

(石井達也)はい。言ってくれていて。だからこうテアトルで、この映画が4日間流れるっていうのを足掛かりというか、ここで、色んな人に観てもらうと。自分の初めての、劇場公開なんで。それで...40分なんですよ、『すばらしき世界』が。

(折田侑駿)はい。

(石井達也)だから、尺がどうしても足りないっていう。この、初の、ちゃんと監督した作品なんですけど。だからそれで短編を撮って...っていうのも可能だったんですけど、やるなら、自分がやりたいものをということで、86分あるんですけど...86分のものと40分のものを合わせて、ヒャクニジュウ...。

(福田芽衣)130分くらい。なんか、「弁慶セレクション」の企画の人達も凄く寛容だったというか、私が記憶を無くしたっていうことを12月の末時点で、「弁慶」の人には言っていて。それで、面白がって興味を持ってくれていたというか、「これ、どうなるんだろうな」みたいに思ってくれてたっぽくて。で、1月...2月の段階で言ったのかな。それで、二人で、石井監督と私も「弁慶」で賞をとっているので...。

(折田侑駿)そうですよね。去年の「田辺・弁慶映画祭」で。

(福田芽衣)なので、「二人でやろうとしてます」ということを言ったら、「おお、なるほど」みたいな...。

(折田侑駿)絶対、なんかヤバイものが出てくるんじゃないかと思っちゃいますよね。

(福田芽衣)で、なんか特別上映というかたちで、「初日に持ってきてやろうか」という話を...。

(石井達也)それで編集が大変だったんだよね?

(折田侑駿)(笑)

(石井達也)何回か、「何で初日なんだよ...」っていうふうに一人で怒ってて(笑)。

(福田芽衣)ねえ、でも仕方ないよね(笑)。

(石井達也)その、全く企画書とかもなしで、脚本も見せずに、映像も全く見せずに上映までいったんですよ。

(折田侑駿)それは凄い...。

(石井達也)言われると思ったんですよ。その...「違うよ」とか。そうすると僕のやりたいことができなくなっちゃうので。だからその“さわり”というか、けっきょく何を言われても「彼女を撮ります」ということ、「彼女と自分を撮ります」という...それは、フィクション/ノンフィクションではなく、「事実です」と言いながら、あのう...言い続けて。最後まで見せずに。で、その、6月28日に初めて見せました。テアトルの人にも。

(折田侑駿)劇場で?

(石井達也)劇場で。

(折田侑駿)劇場で初めて(笑)。

(石井達也)はい。

(福田芽衣)試写しなかったの?

(石井達也)してない。

(折田侑駿)そうか...。サンプルを送る間もなく?

(福田芽衣)そういう感じですね。こんなことは許されないと思いますけど(笑)。

(折田侑駿)映画の内容とはまた別に、衝撃的な...。

(石井達也)誰も知らない映画を流すっていう。

(折田侑駿)凄く面白い。今回、初日上映だったっていうのは...初日上映でもあるし、この特別枠というのは、「田辺・弁慶セレクション」に選ばれていたということもあるし...初日が福田さん?

(福田芽衣)そうそう。

(折田侑駿)4日間?

(福田芽衣)1週間。

(折田侑駿)1週間? あ、そんなに。それで、序盤の方に2回、『万歳!ここは愛の道』を上映して、残りの日は『90分バスロマンス序章』を併映したと?

(福田芽衣)そういう感じです。

(石井達也)今この『万歳!ここは愛の道』を観てる人が、ほとんどいないですね。

(福田芽衣)80人くらいしかいないです。

(石井達也)いないです。

(折田侑駿)2日間合わせて?

(石井達也)はい。で、お客さん...あんまり宣伝が追いつかなくて。それで、『すばらしき世界』『チョンティチャ』は他の映画祭でも...あの...冠がついてますけど、これは全くもう撮り下ろしなので、誰も観てないですね。文字通り、誰も観たことがない映画なんで、その...文字通りですよ(笑)

(折田侑駿)はい(笑)

(石井達也)恥ずかしくなっちゃった、自分で言ってて(笑)で、そういう映画なんで、この...僕の上映で観てもらえたらなと思うんですけど。フィルマークスに登録してもらったら、なんかトレンドに入ったみたいで。

(折田侑駿)おお、そうなんだ!

(石井達也)だから、意味が分かんない...

(福田芽衣)クリップの伸び数が半端なかったんでしょうね。

(石井達也)今2700とかついてますよ。

(折田侑駿)クリップっていうのは、その、“観たい”という...

(福田芽衣)“観たい”。

(石井達也)全員来るわけないんですけど。でも興味を持ってもらえてるのかなと。

(折田侑駿)はあー。

(石井達也)そんな綺麗な映画じゃないからどうしようかなと...。

(折田侑駿)(笑)反応が気になるところですね。

(石井達也)はい。

(折田侑駿)実際にその28日に初めて上映されて、その、関係者というか、反応はいかがでした?

(石井達也)いやー、何も言われてないですね。なんかまあその、「よくやったね」みたいな...そんな折り入った関係性でもなかったので...。

(福田芽衣)でもほら、松崎ブラザーズは...。

(石井達也)あ、そうですね。松崎まことさんと松崎健夫さんっていう...

(折田侑駿)映画評論家の。

(石井達也)はい。お二人は、褒めてくれましたね。

(福田芽衣)なんて言ってたっけな。

(石井達也)まあその、記憶のない...記憶を無くした彼女を、記録する媒体...映画っていう媒体で、お互いが映画監督で。それで、その...“役”とかだと、映画とかだと、二人の関係にあるのは、なんかこう...普通に男女が出てきたりすると...。

(折田侑駿)はい。

(石井達也)なんか、二人の関係にあるのって、絶対映画になってても、映画じゃないんですよね、たぶん。恋愛関係だったりとか、憎しみだったりとか、色んな関係ですけど...なんか、撮ってる男女と、映っている二人の間に、絶対に映画があるっていうのが、やっぱ面白いよね、みたいな。そんなことは言われましたね。

(折田侑駿)福田さんには何か反応は?

(福田芽衣)えー、めちゃめちゃありますよね。

(折田侑駿)いやあ、なかなかね、どう伝えていいか分かんないですよね。僕もこう面と向かっては...福田監督のことをちょっと知っちゃってた分...。記憶のことに関しては、周りの皆から聞いていたので...。観ていても複雑だったし、今も複雑です。

(福田芽衣)まあそうですよね。なんか、あれも本当の...映画に映っているのは、全て本当の私だと思うし、実際に私が、こう...映っているもの全てで、本当だと思う...けど、難しいんですよね。映画の中の私は映画の中の私として観て欲しいし、それも本当なんだけど、けっきょくこうやって今話してて、記憶が無くなっても、こう5ヶ月、6ヶ月経って、普通に生きている私が居て。映画とはまた違うパラレルっていうのを、今体感していて。映画の中の私も本当の私だし、今の私も本当の私だし。まあだから、映画を観た方は私と会うと戸惑われますよね。

(石井達也)そんなのはどうでもいいじゃない。お互いの話だし。それをなんか...芝居として、役者の人が映画に出て、そこに映っている私とは(違う)...みたいなことってあると思うんですけど。

(折田侑駿)うんうん。

(石井達也)福田芽衣と石井達也ってのが映っているので。そこにこう...なんだろう...どっちが本当で、どっちが本当じゃないってのはないですね。どちらも本当っていう感覚ですね。

(折田侑駿)この映画を観てて、僕は最初...最初というか...本当はフィクションなのか、そうじゃないのか。...ドキュメンタリーなのか、あるいはフィクションなのか...と思ってたら最後に行き着くところがあって。...ってなってきた時に、自分の中で「どっちなんだろう?」という部分があって。ただ...「ここは真実だ」「ドキュメンタリーだ」って思ったのは、お二人の、二人だけでしか通じ合わないような声色というか...。

(福田芽衣)んふふ(笑)。

(折田侑駿)話し方、親密さが凄くひしひしと伝わってきて。「これは、演技でやるのは絶対に難しいんじゃないか?」ということを思ったのと、あと、福田さんの...まあ、それなりの期間を撮ってるのでしょうが、“顔の不安定さ”というか...。顔が変わっていってるような印象が凄くあったんですよね。だからその...よくは分からないのですが、その時の状況だったり、精神状態が、顔に出るんだなっていうのを...けっこうあるじゃないですか。

(石井達也)はい。

(折田侑駿)生活してて、「今日、いつもと違うね」みたいな。そんなものを、一気に見てしまった...という感じなんですけれども。どう思われますか?

(石井達也)そうですね...。

(折田侑駿)でも、毎日一緒に居ると、なかなか気づきづらいものだったりするんですかね? 映像で見てるからこそ、なのかもしれないですけど。

(石井達也)うーん。

(福田芽衣)全く違いますからね。

(石井達也)どんどん...彼女の顔、姿かたちがどんどん変わっていくっていうのは...それがこう、よりリアルだなと僕は思うんですけど。うーん...そうですね。たぶん僕をフッと映したら、顔違うんですよ。たぶん僕も。一緒に生活をしている時に。

(折田侑駿)はい。

(石井達也)でも彼女の方がやっぱり顕著に、感情と...その、顔が...すごくこう...変わっていく。今も変わっていく。顔に出やすいんですよね。もともと、感情が。イラッとすると...。

(折田侑駿)それは、表情的なものにですね。

(石井達也)はい。

(福田芽衣)なんか、あれですよね。私も...記憶を無くしているので、過去の私とか全然分かんなかったんですけど。この映画を観て、過去の映像を観る機会があって...。

(折田侑駿)はい。

(福田芽衣)「本当にこれは私なのか?」って、最初は凄く疑ったんですよね。なんか、映っている自分が怖く感じたっていうのもあるし...。この映画の前に観た時も...やっぱり...まあ、楽しい映像とかも観てたんですけど...なんだろうな、別人...本当に別人だって思うくらい...まあ髪の色が違うし、体型も変わっているし、化粧をしてるしてないとかもあるだろうけれど、そういう問題じゃなかったですね。

(石井達也)そうですね...目ん玉の形が違いますからね。

(折田侑駿)映画を観てると...その、自然とやる仕草みたいなものが明らかに...ね、テロップで「様子がおかしい」と...っていうのを観てて凄く感じたので、こういうふうに変わっていくんだなっていう。“リアル”っていう言い方はしっくりこないんですけど...なんか、感じましたね。

(石井達也)はい。...僕個人としては、過去のこととかを考えるのってあんまり好きじゃなくて。

(折田侑駿)はい。

(石井達也)なんか...「あんとき楽しかったな」みたいなのって、ほとんどないんですよ。まあ一時期だけ...中学校2年生っていう限定的なものはありますけど。学校に行かなかった自分の...それはなんか...なんだろう、楽しかったというか、記憶に残ってるということであって。だから過去を凄い忘れちゃうんですけど。でもなんかこの映画は、俺たちの過去にあったこと、2年間にあったことを、ほじくり返してほじくり返してっていう映画ではなくて僕と彼女が...2年間分の記憶を無くした彼女と、その恋人の僕が...これからどういうふうに生きていくのかというか。こう...あまり後ろ向きな映画ではないと思っています。これから、どう生きていくのか。物語が、時間が進んでいくっていうことは...あの...物語というか...感覚も、ちゃんと進んでいかないといけないと思うんで。あんまりぐるぐる過去のことを考えている映画ではないので、そこはちょっと...2年間の記憶を...紐解いていく映画と思って観られる方もいて。それはまあ、その観方は正しいんですけど。

(折田侑駿)はい。

(石井達也)またそれとは違う...いや、それは絶対的にあると思うんですけど。2年間の記憶ってのは大事なんで。でも、これからの彼女を撮りたかったってのがありますね。これから生きていく、僕の目の前にいる彼女を撮りたかったという思いがあったので、映画も、なんとなくそういうふうに進んでいきました。

(福田芽衣)...あれだよ。...なんか、私を撮っていくっていう動機からこの映画は始まっていくし、あの...彼が私にカメラを向けることから始まるんだけど...私...やっぱりこの映画ってどんどん展開も変わっていって、まあ、色んなことが起こる映画ですけど。その中の、“あるシーン”をやろうと思っている彼を見た時に...彼を知った時に、「あ、これは彼の映画だ」と思って。なんだろう...“私を映すことによって映る彼”、だったり...その、なんだろうな...うん。あるシーン、なんだろう...終わりに向っていく...映画の終わりに向っていくモチベーションが彼に向いていく感じが...あるシーンで私は感じたので、これは、私を救うためでもあるし、そんな動機で彼は作り始めたんだけど、けっきょくはこの映画は、石井達也を救う映画だと思っているんですよ。私は、今。なんか、彼が撮らなきゃいけなかったもの...っていうのは、確実にこれで。そこに、彼の願望も希望もすべて詰まっていて。過去にできなかったこと...いなくなった私に(対して)できなかったこととか、これからの私に(対して)できること...「俺が…」っていうことがすべて、ここに詰まってるんじゃないかと...。

(石井達也)救われないけどね、別に撮っても。その、僕が救われるためだったらもっと...。

(福田芽衣)それはね、いつかの話。あの、これを撮らなきゃ、次に進めないって意味での“救われる”ってこと...だと、思ってる。どうしても撮んなきゃいけなかったもの...。

(折田侑駿)うん。

(福田芽衣)...に、よって、映画は...私はそういう感覚で映画を撮ることが多いんですけど...。うーん...希望を...ね、描くってことは...こうなりたかったっていうものの現れなんじゃないかっていう。

(石井達也)それは絶対そうですね。

(福田芽衣)そこに、いつかの彼の救いがあるんじゃないかと、私は思う。

(石井達也)お互いだけ...それは彼女からしたらそういう思いはありますし、僕からしたら、自分が救われるためって感覚はないので、「彼女に対して」っていう思いであるので、そこはなんか...。

(福田芽衣)結果です、結果。あの、私を救うために作った映画が、けっきょく石井達也っていう人間? そこでカメラを回す人間? 映す人間が救われるっていうことがあるんじゃないかっていう希望。それが、あるんじゃないかなって思って。

(折田侑駿)僕も...いち観客として...それは感じましたね。あの、二人がおっしゃっているように...福田さんのための映画でもあるし、石井さんのための映画であるとも感じて...。っていうのもまあ、ご自身にカメラを向けてたりしてますけど、そこに感じたのがやっぱりこう...ちょっと言い方が...上手く言葉が出てこないんですけど...ある種、自己愛というか。

(石井達也)ええ。

(折田侑駿)それとは逆に、反対に、凄く内省的な態度...凄く反省しているというか。

(石井達也)ええ。

(折田侑駿)追い詰めていくというか...ただ、その二つが、どちらかというと自分自身だけじゃなくて、凄く福田さんにベクトルが向かっている...っていうふうに感じて...。そういうところは、意識はされてない?

(石井達也)まあでも、意識はしてましたね...。今までずっと「救う」とか、なんかちょっとしゃらくさいことばっか言ってましたけど...まあそれは動機としてはあるので、絶対に言わなきゃいけないことなんですけど。

(折田侑駿)うん。

(石井達也)でも...あの...映画はやっぱり面白くなければ、救いもクソもないんで。全然面白くない映画じゃ別に、「面白くなかった」で終わるんで、それは僕としても嫌なので。面白い映画にしたいと思ってて。自分を、全部こう、さらけ出してやろうと思いました。そのたぶん、自己愛の部分とか...今言っても...言っていただいた部分っていうのは、たぶん自分を、僕を形成する部分で。たぶんこう、二個あって。正当化しながら、自分では「ダメだダメだ」って思ったりとか。

(折田侑駿)うん。

(石井達也)それがたぶん、一人だったら思わないですけど、彼女っていう存在がいるから、その...自分の揺れ動きがあったり...。たぶんこう、彼女を撮り始めたところから...やっぱり自分自身にカメラを向けることは絶対的になかったですね。彼女の存在がなければ...今の僕は、映ってない。僕を...凄く形成してるんで。凄く18歳から...一緒にいて。親か、家族みたいな感じなんで、僕からすると。

(福田芽衣)んふふ(笑)。

(石井達也)恋人っていうと、なんかちょっと気持ち悪い...普通に人として...ま、恋人ではないんですけど、実際は。でもまあ、凄く大事な人っていうので、それは自分の人格にとってもたぶんそうで...あの、だから、彼女が映ってるから...彼女も自分をさらけ出している。自分の醜いところもさらけ出していると思いますし、僕も、たぶん...自分を出していると思います。それは、そういう映画を作ってきたからなのかなっていうのがありました。これまでのお互いの映画の作り方...っていう感じですかね。

(折田侑駿)うんうん。

(石井達也)んー...途中で質問忘れちゃうんですよね、いつも(笑)

(福田芽衣)そういうクセがある...。

(折田侑駿)いや、でも今ので...。

(石井達也)あ、大丈夫ですか? 話してると、こう話したいことばっかりが、「うわーっ」ってなって...。いっつもこう、「ん?」ってなって。

(福田芽衣・折田侑駿)(笑)

(福田芽衣)それを見てるのがちょっと、めちゃめちゃ面白いんだよね(笑)。

(石井達也)うーん...。

(福田芽衣)(笑)

映画内での“事実”に関して。

(石井達也)観ていただいて...映画を観て判断していただくことが...していただけたら良いなと思います。まあでも、たまに彼女が記憶を無くしたっていうこととかも、「どっちなんですか、あれ」みたいなことを言われたりするんですけど。

(折田侑駿)うん。

(福田芽衣)言われますね。

(石井達也)けっこうその...“どっち”って観方ではなくて、なんかこう事実が映っていて、そこに...色んなことが入ってくるというか...。だから彼女の記憶が無いっていうのは事実で、彼女と生活をしてたっていうのも事実で。たぶんそれがないと、映画にしようと思えなかったというか。「◯◯年越しに、こういう映画の形になった」っていうのは、けっこう、こう...燃費は良くないよね?

(福田芽衣)映画として?

(石井達也)映画ができるまで。僕の思いとしてもそうですし、状況としても...。

(折田侑駿)そうですね。

(石井達也)そういう思いがあって、こういう形になりましたね。

(折田侑駿)(劇中で福田さん)が倒れてて、その直前かな? 「帰って」って言われて、(石井さんが)帰ろうとする...カメラが反転してて...でもその時もきちんと狙っているし...で、倒れて、福田さんのもとに石井さんが走っていく時もきちんと狙ってて。もちろん凄く心配しているのは画面からも伝わってくるんですけど、でもカメラは横に置きながらも、きちんと狙っているところが気になって...。それは普段から、カメラというものに対する意識というか...「絶対に逃しちゃならない」みたいな思いがあるんですかね?

(石井達也)まあ、彼女をずっと撮ってたってのはありますね。

(折田侑駿)どんな時でも?

(石井達也)そうですね...まあ、カメラを向けていたってことと、それをこう、了承してくれている...たぶん彼女がOLの人だったら、了承してはくれないと思うんですけど。

(折田侑駿)うーん。

(石井達也)彼女も自分で映画を撮っていて、自分がこう、映像に映るっていうことに対して...なんだろう...「いいよ」っていう、ちょっとそんなスタンスでいてくれて。で...それを映画を撮り...ずっと彼女を逃さないようにって撮ってましたね。だから彼女を...まあしかもハンディカムなんで。その、フォーカスもいらないというか、自然と合うんで。

(折田侑駿)そうですよね。

(石井達也)はい。それでずっと彼女を、まあ撮り続けているって感じですね。

(折田侑駿)それはやっぱり、お二人だからこその、外の人からはちょっと分からない関係性というものが、ある種出ていると思ったというか。

(石井達也)はい。

(折田侑駿)きちんとカメラが狙ってるから、そこが...作為性を感じてしまう理由というか。

(石井達也)はい。

(折田侑駿)「あれ、これ本当はどっちなんだ?」っていうのを感じてしまう。

(石井達也)はい。

(折田侑駿)でも、どういう状態であれカメラを向けるという意志っていうのは、僕らには分からないから...それはやっぱり、さっきもおっしゃったように、観た人が判断したら良いところなのかなというふうに感じました。

(石井達也)「どっちが本当なんだ」「何が本当なんだ」っていうのが、分かんなくなってきて欲しいって思ってますね。映画が進むにつれて、「これはフェイクなのか」とか思いながら、ずっと観ていると、ここに映っている福田芽衣は絶対的な真実で、これだけは...これだけには嘘がないんだと思ってもらえるように、考えていますね。だから、そういうふうに観てもらいたいって思います。僕が...操作するわけじゃないですけど。思ったように、この映画を観て欲しいっていう。そんな思いがありますね。

(福田芽衣)今の話を聞いてて思ったんですけど、なんか...やっぱり「観てる人もそういう感覚になるんだ」っていう。私は記憶を無くしている側だから何も分からない側なので、こう...(折田)侑駿さんが話していることとか、石井君が話している言葉とか...。「ああ、過去に金貸してたんだよ」って言われたら、本当だと思えば本当だし。

(折田侑駿)うんうん。

(福田芽衣)「本当かよ!」って思ったら、“嘘かもしれない”...みたいな状態で。それがずっとあったんですよ。その、記憶がない状態で...今でも、「本当かよ!」って思うこともやっぱりあるし、「覚えてる?」って言われた時に、「?」ってなる自分...「本当にこの人は、私の知っている人?」みたいな感覚だとかがいっぱい...嘘か本当か分かんない状況ってのがあって。

(折田侑駿)はい。

(福田芽衣)まあ、この映画で、またお客さんは別の角度かもしれないけど...なるんだとしたら、凄い面白いなって思いました。今。

(折田侑駿)ましてやこの2年間...無くしてしまった2年間っていうのは、特に『チョンティチャ』を撮られた“後”ですもんね。

(福田芽衣)はい。

(折田侑駿)映画祭に呼ばれたりだとか、観てくれる人が多かったりして、人生の中でもけっこう大きかった時期ですよね...?

(福田芽衣)そうですね。

(折田侑駿)いろんな人と出会ったりとかして、いろいろ感じたり、見たり...。

(福田芽衣)うんうん。

(折田侑駿)っていう時期ですもんね。

(福田芽衣)そうですね。なんか...なんでしょうね。こう...なんか今となったら、私がなぜ記憶を無くしたのかって、凄くよく分かるんです。...うん、よく分かる。やっぱり楽しかった記憶っていうのも、絶対にあって、それを思うと、私は絶対に無くしたくなかったって思うんだけど...。

(折田侑駿)はい。

(福田芽衣)でもやっぱり、今生きられてる。今私がここに生きられてるのは、記憶を無くしたからであって。なんだろな...無くさせてまでも、生きさせたかった自分というのが、今生きている自分なんだろうなって思う。だから、映画祭で賞をとったことよりも...大きなこと...が、私がそれを消してでも、なんだろう...忘れたほうが...忘れなきゃ生きられない理由があったんだなあって思いますね。今では。

(折田侑駿)今となっては。

(福田芽衣)今となっては。でも、映画を撮ったっていうのも、大きなことですね。それは。

(石井達也)うん。

(福田芽衣)この映画を撮ることになって...撮って...今上映されるところで...で、やっと今の私があるというか。記憶を無くして、誰も信じられなくて引きこもった時期もあったし...うん、でまあ、彼が私にカメラを向けて一緒に過ごした時間もあって...で、完成して。それが、今の私。で、次は映画を撮ろうとしてる私がいて...それはやっぱり、絶対あって良かったこと...の全てなのかなと思ってますね。

(折田侑駿)そういう思いもあって...今回はプロデュースっていう形でも関わられてますけど。

(福田芽衣)はい。

(折田侑駿)具体的にはどういう感じなんですか? プロデュースって。

(福田芽衣)これがまた難しいですよね...。私は、こうプロデュースとして名前を載せてしまって良いものなのかっていうところも、実際はありますよね。お客様に、対外的に観せるってなってしまった分、こう...私が出てる、しかも私にまつわる物語なので...私がプロデューサーとしてあっていいのかっていうのがあるので、まだ今は何も言えないですけど...。

(石井達也)「田辺・弁慶セレクション」側として、二人で共同監督なのかみたいに言われて。

(折田侑駿)はいはい。

(石井達也)それは...「そうはしません」と。「僕が監督として、彼女を撮る」と。そう言ったんですけど、映る部分...彼女も、その絶対的に作品に入っているので...お互いが。映画祭側としては、「福田芽衣がプロデュース」みたいなことでいいのか、みたいな感じで。ちょっとそう...“プロデュース”って言い方はなんかね...?

(福田芽衣)もう、なんだろう...二人で作った映画なので、全てに関わっているというか。

(折田侑駿)ああ。なるほど。

(福田芽衣)だからね、彼は監督ですけど、私はなんなんだって言われると、自分でもよく分かんないですね...もう、全てをしている...。

(石井達也)まあ、こういう話をすると「全て作為的なんだね」っていう印象を受けられるかもしれないんですけど、そうではないですね。事実が映っている。その...んー、なんか強引な客観視というか、映画を撮ると。完成したものというか、カメラに映った...素材として、自分たちの“いま”が残ったりすると、やっぱりこう、周りが見えず真っ直ぐ進んでいる時とはまた違う感覚になって。それがたぶん今の彼女の...「今の私を形成している」とさっき言ってくれていたけど、それはやっぱり映画を撮ったっていうのが凄く大きくて。それがこう...これからの...今...今から生きていく彼女を撮ったっていうのが、良かったなと。そういうふうに選択をして、良かったなと思いますね。彼女はこれから次の映画を撮る、とか、なにか生きる目的が少しでもあるっていうのは、良かったなと思いますね。

(折田侑駿)うん。

(折田侑駿)二人のその、映画にまつわる関係性という話でいうと、石井さんの前作『すばらしき世界』では、脚本協力を福田さんがされているということですけれども、これは全体的に参加したんですか? どういうかたちだったんですか?

(福田芽衣)どうだったんですかね...。

(石井達也)覚えてないからね...。

(折田侑駿)ああ...そうかそうかそうか...すみません。

(福田芽衣)ハッキリとは覚えてないですけど...。

(石井達也)そうですね、ずっと僕の家で一緒に暮らしていたので...で、脚本を書いて、読んでもらったりとか、箱書きを手伝ってもらったりとか。...学校の卒業制作っていうのが本当に、“競う”っていうやりかたをするので、やっぱりあんまり良いシステムじゃないなと思うんですけど。

(折田侑駿)うんうん。

(石井達也)プロットで競って...じゃないと撮れない。全員が全員撮れるわけじゃなかったんで、必死で映画を撮りたくて...必死で...それに彼女も、あの...自分のためでもあるというか...。僕のために、脚本を一緒に考えてくれたりとか、箱書き書いてくれたりとか、まあ話を聞いてくれたんですね。それって凄く大きいことで、僕が「うわー」って話す5、6時間を聞いてくれていて、あとあと、ちょっと言ってくれるというか。それって、誰にでもできることではないので。それで、脚本協力っていうかたちで。

(折田侑駿)はい。

(石井達也)で、福田さんの『チョンティチャ』にも僕の名前が載ってるんですけどね。

(福田芽衣)エキストラで。

(折田侑駿)そうだったんだ...(気がつかず)ごめんなさい。

(石井達也)いえ、違うんですよ。出てもなくて。僕、福田さんを知らない時に、1年生の時に言われて。「先輩の卒業制作にエキストラとして来て欲しい」っていう感じで言われて行きましたね。

(折田侑駿)卒業制作っていうのは、年に2本しか撮れないんですよね?

(石井達也)そうですね。

(折田侑駿)みんなの中で、二人しか選ばれないと。...っていうのは、お二人は学年は違うけど、それぞれの年に選ばれたってことですよね。

(福田芽衣)私は選ばれなかったんですよ。『チョンティチャ』。

(折田侑駿)あれ?...卒業制作じゃないんですっけ?

(福田芽衣)卒業制作なんですけど...ま、一応ね、監督としては選ばれたんですけど。プロットは選ばれなくて。あの企画は、私のものではないんですよね。で、別の作品を...あ、別の企画を私が監督する。脚本から何から何まで、それを補完して、映画にするっていう役割だったので、それがめちゃめちゃ悔しくて。あの...『チョンティチャ』自体は私が撮りたいものにけっきょくなったんであろうし、存在していい映画だと思うんですけど、やっぱりその、自分の企画が通らないだとか、自分の思ったものが撮れない...しかもそれが面白い企画だと思っているものなのに撮れないというのが凄く悔しくて。だから彼には、「絶対に自分の作品を撮るべきだ」と思っていたから、たぶん手伝ったんだと思う。

(折田侑駿)それはこの『万歳!ここは愛の道』の中でも、福田さんが『チョンティチャ』を観て感想を述べるところで、「良くできた映画だけど、面白くはない」って言ってるところとかが、潜在的に出てきたりしてるんですかね。

(福田芽衣)うーん。

(石井達也)そうですね。自分の撮った映画を、客観的に観るっていうのは、やっぱり凄い体験だなと...思いましたね。客観的に観れないというか...自分で書いているんで。

(折田侑駿)そうですね。

(石井達也)「ああ、次この展開だなあ」って絶対に分かっちゃうので、丸っきり...自分が撮った映画を、他人が撮った映画のように観て、で、「ああ」って客観的な意見を言うっていうのが、凄い体験だなと思いましたね。

(折田侑駿)「出来はいいけど...」っていう。

(福田芽衣)(笑)

(折田侑駿)そこが今聞いてて、面白いなと思いましたね。だから内容的にはね、やっぱり自分の意思だったら全く違うものを撮られるんだろうなと。次が凄く楽しみです。

(福田芽衣)ありがとうございます。

(折田侑駿)石井さんは『チョンティチャ』に対してどういった...。

(石井達也)ああ、『チョンティチャ』...そうですね。僕は凄く面白いと思いましたね。なんか彼女を知っているから、「チョンティチャ」は彼女に似てますね、やっぱり。その、気が強くて...見栄っ張りというか...でも本当は弱いところってのがあって、凄く人間くさくて、もう言動一つひとつに彼女の魅力が入っているし、脚本の構成としてもやっぱり、彼女の才能が入っているなと、福田さんの才能が...しっかり組み込まれているなと。これからまた、新しく...新しくというか、次の映画を撮っていくっていうのが良いなと思いますね。僕は、凄く純粋に、彼女の映画が観たいです。福田さんの撮る映画を、やっぱりみたいなという、そういう思いがありますね。

(折田侑駿)福田さんは、石井さんの『すばらしき世界』をどういうふうに観られていますか?

(福田芽衣)『すばらしき世界』...凄い、なんだろうな...めちゃめちゃ好きなんですよ。めちゃめちゃ好きで、「なんでなんだ」って思ったら...まあ客観的に観ても、感情移入して観ても、面白いなと思えたんですよね。「なんでなんだろうな」ってずっと考えてたんですけど、なんか、私が脚本協力で一緒に作っていた時期がある...っていうのを聞いて...「あ、なるほどな」と思った部分があって。あと、絶対...そこに、石井達也と私の関係が映っている...。

(折田侑駿)うんうん。

(福田芽衣)...ような、気がしたんですよね。だからこそ、なんか、「これを撮ったんだ」っていう。母子の関係を描いている中に、今の私と石井達也の関係が映っていて、あ、今私は母のような、彼にとって母のような...存在。ね、冒頭からずっと「母みたい」って言ってましたけど。そういうのがあるんだなって、初めて観た時に思ったのはありますね。あと、画が強いですね。

(折田侑駿)うん、力強いですね。僕も今、福田さんがおっしゃったように...短期間でこの三本(『チョンティチャ』『すばらしき世界』『万歳!ここは愛の道』)を観たんですよ。で、『すばらしき世界』にある、親子関係が逆転してしまう瞬間...たぶん自分たちにも、親との関係で絶対そういうのってあると思うし、人の子の親になってからかもしれないですけど。それが『チョンティチャ』にもあったと思ったし、『万歳!ここは愛の道』の関係にも凄く現れているなと思って。だから...ここは上手く言語化できてないんで...ちょっとこれから、考えて...この作品の余韻に浸りながら考えていきたいなと思ってます。

(石井達也)面白かったですか?映画。

(折田侑駿)おもし...面白い...です...あの...。

(福田芽衣)(笑)

(折田侑駿)複雑なので...その...面白いと言っちゃっていいのか分かんないですけど、凄い映画であることは間違いないと思ってますし、本当にたくさんの人に観て欲しいですね。いや...でも...楽しいとはもちろん違いますけど、面白い、面白い...です。

(石井達也)良かった...。

(福田芽衣)良かった(笑)。

(折田侑駿)みなさんにね、早くこの強烈な体験をしていただきたいなと思いますけど。

(福田芽衣)そうですね。強烈...ですよね。なるべく多くの人に、今観てもらって、その後...例えばこの作品を撮った彼が、次に自分自身、何を撮るのかっていうのが、私は凄い気になっていて。客観的に観た時に。“これを撮ってしまった”と。

(石井達也)いや、全然...あの、そこはもう...強引にでも撮る。

(福田芽衣)心配しているわけではなく、普通に客として...。

(石井達也)興味ってことか。

(福田芽衣)めちゃくちゃ興味がある。楽しみで、で...なんていうんだろうな。『すばらしき世界』にもきっと私がいたし、母子の関係に。で、ここにも私がいて。じゃあ私が、ね、私と石井くんが離れて...こうお互いが別々の道を歩んで...これから何を撮るんだろうって。凄く観たい。彼自身が、一人で撮り上げる作品、作り上げる作品を観たい。

(石井達也)2作、観てもらえるんで。15日と16日は。福田さんが今言ったこと...「石井監督は何を撮るのか」っていう...また違う映画を撮っているので。でも共通している部分は絶対あるんですけど。僕の映画なんで。でもなんか、彼女も言ってましたけど、その...ちょっと前に、「本当のことが分からない」みたいな。たぶん、誰も分かんないですよね、本当のことは。全能の人じゃないと。その人それぞれの、個人としての、“本当”というか、“正義”ってあると思うんで。だから本当は、僕にとっての...僕と福田さんにとっての“本当”は映っていると思うんですけど、どういうふうに受け取るかは、観るみなさんの自由で、その...“真実”とか“正義”、“正しさ”とか、そういうのは観た人に感じて欲しいなと思いますね。

(折田侑駿)はい。

(石井達也)正しくないと、怒られたりすることが生きてて多いですけど。何か間違ったり...「間違ったらダメ」っていうか。その“間違っている”っていうのを、“正しい”って言いたいと思ってきましたけどね。若い時は。人が良いって言ったものは良いと言いたくないし、自分だけが良いと思うものを見つけたいという思いは絶対あるので。この映画を観てもらっても、自分で、自分の感覚を見つけて欲しいというか。物差しを...見つけて欲しい。今ここで喋ったことが、あの...先入観と捉えて欲しくないという思いがあります。興味として、「あ、この映画、どういう映画なんだろう」と思って欲しいし、僕たちのことを知って欲しいというのはありますけど。この映画が、「新しいものだ」って思って欲しくないというか。その...間違いすら「愛してるぜ」って言ってくれたら、こんなに嬉しいことはないですね。そこはフェアに、いきたいなと思いますね。ね?

(福田芽衣)はい? ...うん。いやね...。

(石井達也)...正しいわけないんですよ。若造が撮った、2作が...。でも、僕にとっての正しさは、入っているんで。世間じゃなく、人それぞれの“正しさ”と擦り合わせていきたいというか。でもやっぱり、「面白い」って言って欲しいですね。映画なんで。

終了

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