【書き起こし】『嵐電』鈴木卓爾監督×月永理絵
活弁シネマ倶楽部です。
不定期になりますが…本編の書き起こしをnoteに掲載します。
通信制限などで映像が再生できない方は、こちらの書き起こしでお楽しみください。
ただし、一点注意があります。
テキストはニュアンスが含まれにくい表現媒体です。
しかも、書き起こしは通常のテキストのように発表前に何度も推敲し、論理を確認し、細かいニュアンスを調整することができません。
だからこそ、書き起こしのテキストは誤解を招いたり、恣意的な切り取られ方をする可能性があります。(それによって炎上するニュースは日常的に起こっています。)
もし書き起こし内で引っ掛かる点があれば、映像をご覧になっていただきたいです。
映像はテキストでは表現しきれない被写体のゆらぎを写します。
そのゆらぎに含まれる情報があってはじめて、語り手の言葉は生きた言葉になります。
この書き起こしだけ(それも断片だけ)で判断するのではなく、語り手が語る言葉に耳を傾け、じっくりと楽しんでいただければと思います。
映画を見るという行為と同じような、能動的な体験をしていただけたら何より嬉しいです。最後になりますが、YouTubeチャンネルのご登録もお願いします。
それでは、『嵐電』の書き起こしです。是非お楽しみください。
映画撮影所のある街・京都を走る嵐電を描いた『嵐電』を鈴木卓爾監督が語る!!活弁シネマ倶楽部#34
(月永理絵)始まりました。「活弁シネマ倶楽部」。MCを務めさせていただきます、月永理絵と申します。どうぞよろしくお願いいたします。「活弁」というのは聞き慣れない言葉かと思いますが、「活動弁士」の略称です。活動弁士とは、サイレント映画の上映中に語りを加えて、映画を楽しむ豊かさを提示してきた方々です。この番組では、動画配信を通して、映画を楽しむ豊かさを、視聴者の皆様に届けていきたいと思います。今回のゲストは、『嵐電』の鈴木卓爾監督です。今日はよろしくお願いいたします。
(鈴木卓爾)よろしくお願いします。
(月永理絵)最初に、鈴木監督のご紹介をさせていただきます。鈴木卓爾監督は、1967年、静岡県生まれで、現在は京都造型芸術大学の映画学科の准教授です。これまで監督された長編映画には、『私は猫ストーカー』(2009)、『ゲゲゲの女房』(2010)、『ジョギング渡り鳥』(2015)、『ゾンからのメッセージ』(2018)などがあります。また、俳優としても活躍していらっしゃいます。多数の作品に出演されています。それでは今日は、新作の『嵐電』についてお話をお聴きしたいと思います。よろしくお願いいたします。
(鈴木卓爾)よろしくお願いします。
(月永理絵)ちなみに、『嵐電』の発音に悩んでしまうんですけど……。
(鈴木卓爾)その地域によってなんですよね……。「嵐電」が走っている街の人たちは、「ランデン」と真っ直ぐ発音します。ただその中でも、100人に1人くらいの割合で、「ラン↗デン↘」と言う人がいますね。東京に来ると、みんな「ラン↗デン↘」と言ってますけど、京都では「ランデン」と真っ直ぐですね。映画の中でも、その違いが少し、地元の不動産屋との会話の中で出てくるので、お客さんが「あれ?」ってなると思います。
(月永理絵)なるほど。たぶんそれは、井浦新さん演じる衛星さんと、不動産屋さんとのやり取りでですよね?
(鈴木卓爾)そうですね。そこで、「嵐電の不思議な話を聞いたことはありますか?」と問いかけるんですが、なんとも他所に来た感じがするんです。だから、「クラブ行った~」みたいな感じで発音してもらえると。「ラン↗デン↘」って発音すると、「ラーメン」みたいな感じになるので。
(月永理絵)分かりました(笑)。
(鈴木卓爾)フラットに。
(月永理絵)はい。
(鈴木卓爾)言葉は面白くて。「ありがとう」の言葉一つをとっても、まったく違いますね。
(月永理絵)この映画は京都の言葉と、東京の標準語と、それから修学旅行でやってきている彼女たちの東北弁……。
(鈴木卓爾)青森県の方言ですね。
(月永理絵)色んな言葉が入り乱れていて、それがすごく面白いですよね。まずこの作品の製作の経緯をお聞きしたいのですが、もともとこれは嵐電をテーマにした映画を作りたいということで、プロデューサーの西田宣善さんからお話があったと?
(鈴木卓爾)京福電鉄さんに映画を撮りたいんですと企画を持ち込んでいて、最初は何か事件モノみたいなものを持ってったらしいんですけど、「事件モノはちょっと……」となって、それからラブ・ストーリーにしようということになったみたいで、その段階で、僕のところに連絡がきました。
(月永理絵)その時はいわゆる「嵐電」の京福電鉄さんが製作というか、協力みたいなかたちですか?
(鈴木卓爾)協力ですね。勝手に撮らせて下さいと言いに行ったんです。「おたくの電車の映画を撮りたいので、撮っていいですか?」という感じですね。だからタイアップでもないし、出資の申し出というわけでもなく、ただ嵐電が撮りたいという。
(月永理絵)じゃあプロデューサーの方の、嵐電で撮りたいという想いが一番だったんですね?
(鈴木卓爾)それが一番大きな理由で、発端になってますね。西田さんのお父さんが嵐電に乗っている時に、溝口健二監督から声をかけられて、「あなたいい顔をしているから、役者になりませんか?」と言われ、付き人兼俳優さんみたいなかたちで俳優人生をスタートされたみたいで。溝口監督の後期のいくつかの作品に出ているみたいなんです。
(月永理絵)そういった個人的な思い入れもあってなんですね。
(鈴木卓爾)みたいです。ご自身も御室仁和寺駅からすぐの所にお家があって、8ミリカメラを手に入れたときは、一番はじめに嵐電を映しに行ったらしいです。それが大きいみたいです。もともと西田さんが溝口監督の集成を出していらっしゃったりとか、映画の本の編集を手がけられているプロデューサーなので、わりと京都の映画の撮影所の歴史というか、そこまでやろうと思ってたわけでは決してないんでしょうけど、「嵐電の中に様々な映画人たちが乗ってたよね」みたいなことを言っていて。そういうことも含めて、今やれることは、「嵐電」をめぐるラブ・ストーリーができたらいいなということで、僕のところに電話がきたんです。
(月永理絵)やっぱり、いま京都造形芸術大学で鈴木監督が教えてらっしゃるということでお声がかかったのでしょうか?
(鈴木卓爾)僕が京都にいるという噂を聞きつけて、みたいな感じでした。ただその時は、専任じゃなくて、非常勤講師だったんです。だから、住んでいたわけではなくて、通っていたんです。それでちょうどうちの卒業生の卒業制作に「俳優で出てくれ」と言われて出ている時で、学生たちはお金がないもんだから、学生たちの部屋を僕に提供してくれて、本人たちは別の所に暮らす、みたいなことをやっていて。その中のある時に電話がきました。
(月永理絵)そこから脚本を書かれていって、制作にはどれくらいかかりましたか?
(鈴木卓爾)最初に連絡がきたのが2015年の9月だったので、もう4年になろうとしていますよね。
(月永理絵)そうなんですね。本作は、ストーリーの中に何個もストーリーがあるようなお話だなと思ったのですが、最初の頃からこの全体的なストーリーというのは決まっていたんですか?
(鈴木卓爾)いや、まったく決まっていませんでした。最初のペラ一枚の段階では、主人公の男が嵐電の中で謎の美女に出会うと。で、その謎の美女を探しているうちに、謎の事件に巻き込まれていく……となっていました。
(月永理絵)だいぶ違う……。
(鈴木卓爾)違いますね。ミステリー仕立ての感じでした。なんだろう……『めまい』(1958)とか。ただ僕が最初にそれを読んで思ったのが、『シルビアのいる街で』(2007)っていうホセ・ルイス・ゲリン監督の、「会ったよね? 君に」みたいな、シルビアという女性を探すだけの映画があるじゃないですか。あれを思い出しましたね。ストラスブールを走るドラムが印象的で。ドラムはそんなに主張してこなかったと思うし、ドラムが人を狂わせているわけではないんですけど、それぐらい電車の映画になっているなと。それを考えてみると、小津安二郎監督の『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』(1932)って、むちゃくちゃしつこく「わーい、電車だー」みたいに撮っているじゃないですか。あれは本当に電車が珍しかったのか、あるいは普通に日常にあるものだけど、毎カットあれを入れることで、“喜劇”にしたかったのか、どっちなんだろうなと思いながら。
(月永理絵)はい。
(鈴木卓爾)あともう一個。大林宣彦監督の『日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群』(1988)。これもカットが変わる度に、近鉄だったか、後ろに赤い電車が……尾道だったかな。赤い電車がピューピューピューピュー通るんです。
(月永理絵)たぶん尾道だと思います。
(鈴木卓爾)ですよね。なので、この映画『嵐電』を撮るにあたっては、とにかくたくさん電車が通らなければいけないと。これは、なんかそんな気がしていたんですよね。
(月永理絵)観ていてびっくりしたのが、観ている時は自然だったんですけど、嵐電と協力体制がないと撮れなかったんじゃないかなと思ったんです。
(鈴木卓爾)おっしゃる通りです。なので、最初の頃に企画を持ち込んでも、あちら側も半信半疑だったみたいです。それで、初稿が出来上がるまでに2年かかってるんですけど、2017年の夏に初稿が上がって、学校に通いながら、直したりしていて。秋ぐらいになってようやく、それまでにうちの大学の「北白川派第6弾」を一度中断させていたけど復活させるよ、となって、そこに『嵐電』をくっつけて。そうすると僕もプロデューサーをやらないといけない立場になるんですが、そういうふうに繋げて現実味を持ち込んで、それで京福さんの方に行っているうちに本気度が伝わったみたいです。それでスタッフを東京から、監督補佐とライン・プロデューサーを呼んで「打ち合わせをしましょう」となっていた時に、いよいよ本気度が伝わりました。最終的にはうちの学生の、この映画の車両番長を務めた子が京福電鉄のミーティングに参加して、彼女が、「この場面は、“つけものもり号”が走っていて欲しい」だとか、そういったことをスケジュールに合わせてリクエストする日があって。「どこまでリクエストに応えられるか分かりませんが、頑張ります」と言っていただいて。そして車両担当の方が、そのリクエスト通りに走らせてくださって。
(月永理絵)はい。
(鈴木卓爾)それでこちらは、嵐電は10分おきに走ってくるので、四条大宮駅から嵐山駅まで行ったら、嵐山駅から四条大宮駅まで帰って、また戻ってくるんです。だから50分かかるんですよ、これに合わせて撮影すると。だから「夕子さん電車」の前の車両でテストを重ねて、「夕子さん電車」が来るタイミングで「よーいスタート!」と。それでNGだと、また50分待たなくちゃいけないんです。
(月永理絵)(笑)
(鈴木卓爾)なので僕らは、電車と一緒に芝居しているように、振る舞っているという。電車は電車でお仕事されているだけなんですよ。
(月永理絵)だから自然に、ストーリーというか、会話の中で、次に来る電車の色を当てたりだとか、これは「江ノ電だ」みたいな。すうっと観ているけれど、「これってどうやって撮ったんだろう?」と思ってました。
(鈴木卓爾)でも、当たり前なんですよ。ホームの定位置に電車が停まるのって当然じゃないですか。で、多少はズレてしまうけど、画面の真ん中に、「四条大宮行き」がピタッと来たり、「江ノ電号のマスコット」が来たり。実は、その前に来る電車で一度確かめているんです。なので当然と言えば当然なんですけど。映画で観ると皆さん「スゴイ」と思われるみたいで。
(月永理絵)そうですね。
(鈴木卓爾)ただやっぱり、ここまである電車の会社さんが、全面協力してくださって、本当にその運行中の電車で乗り降りされる方も映画の中に映り込んでいますし、そういうふうに、言わばドキュメンタリーみたいなかたちの製作形態だけども劇映画だという。そんな態勢を取って撮影できている劇映画って、あんまり日本にはないのではないのだろうかと。
(月永理絵)そうなんですね。
(鈴木卓爾)はい。
(月永理絵)あの、夜のシーンに出てくる狐と狸の……
(鈴木卓爾)あ、はい、妖怪電車。
(月永理絵)はい、その妖怪電車なんですけど、あそこはもう終電が終わった後に撮っているんですか?
(鈴木卓爾)はい。おっしゃる通りです。実はあそこは、本当に電車が停まってドアが開いて、対面するっていうのが必要だったので、最初は嵐電では撮れないんじゃないかと思ってまして。それで、京都の市内の、かつて市電として走っていた車両がいくつか、色んな箇所に置かれているという情報を聞いて。例えば、伏見の方の幼稚園の庭にある市電を見せてもらいに行ったりとか。そこで、なんとかその電車が動いて見えるようにレールを使ったり、後ろを、こう暗幕で暗くしてみたりすることで、夜に撮れないだろうかと試行錯誤してロケハンしてたんですけど、まあちょっとなんか、突然夜になって“嵐電ではない電車”が入ってくるみたいなことを、実際に動かさないでできるかと。「停め撮り」ですよね。黒沢清監督は、車とかバスの停め撮りをしょっちゅうしてますけど。あんな勢いでできないかと。それで、ホームというのは嵐電の、つまり、二人の男女が立っているのはホームなので、そっちは御室仁和寺駅とか、太秦広隆寺駅とかで撮影して、切り返しは、どこかの市電で、あるいは鉄道博物館などで。でもいずれにしても、「ちょっとお金がかかるよね」ということだったり、「京都市内だけど遠いよね」みたいな。
(月永理絵)はい。
(鈴木卓爾)けっこう僕ら、東映撮影所にスタッフルームをお借りして、あそこから、ほとんど徒歩や電車で移動できる距離で撮影してるんです。なので台本もそういうふうに書いていますので、ちょっと京都市内でも遠いところというのは、みんな「えー、遠いじゃーん」みたいな。
(月永理絵)ああー。
(鈴木卓爾)東京で映画撮ってたら当たり前なんですけどね。そういうところで経費を浮かしたりだとかして、本当に半径数百メートルの中で“世界”や“宇宙”を作るっていう。でも結局それも京福電鉄さんが、実は8時を過ぎたら帷子ノ辻駅で、一昼夜停め置きになる電車があって、「そこから2時間くらいだったらいいですよ」と言ってくださって。その停め置きしているホームの電車を、APSをまたぐと……APSっていうのがあって。鉄道の、白いコンタクトレンズのケースみたいな平たいやつが置いてあるんですけど、大きいんですけどね。それをまたぐと……要は、運行通りにまたがないと、それが全路線に伝わってストップしてしまうと。それをまたがない範囲であれば、動かしていいと言ってくださって。
(月永理絵)ちょっと短い距離なら。
(鈴木卓爾)車両一両分くらいなら動かせるんです。「映画のためについに電車を動かすことになっちゃったー。まるでジョン・フォードみたいじゃーん」っていうタイミングが訪れて。京福さんがご協力してくれるし、この映画、本当になんとしてでも頑張らないといけないなと。京都の東映撮影所、それから京福電鉄さんという二つの方々に全面協力をいただくようになって。そうこうしてようやく本当に撮れた映画だったなと思います。
(月永理絵)もちろん脚本もあって、構想も色々とあったかと思うんですけど、本当に色んなところの協力あってこそ、こういう映画になったと。
(鈴木卓爾)はい。それがなければ、ここまで電車そのものが、人間に対して生き物みたいに絡んでいるみたいなことはなかったですね。普通の電車映画と違うのは、電車自体のボディが、役者と一緒に芝居しているような感覚ですよね。本当は上に乗ったりしたいんですけど。電車の上に乗って、「目覚めよ、パリ!」とかってやりたかったんですけど……。
(月永理絵)(笑)。でも今おっしゃっていたように妖怪電車が停まっている電車で、暗幕とかを用いて撮っていたら、全然違う場面になっていそうですね。
(鈴木卓爾)もっとデッドなものになったと思いますね。
(月永理絵)あそこの夜の中で、すっと動いていくところまで撮ってあるから余計に自然に「妖怪電車ってあるんじゃないか?」というリアルさがありますね。
(鈴木卓爾)こっち側は太秦広隆寺駅だけど、電車の方に向けると帷子ノ辻駅っていうふうになっていて。僕は普段あんまりしないんですけど、背景を合成しています。
(月永理絵)なるほど。
(鈴木卓爾)つまり、太秦広隆寺駅の背景と御室仁和寺駅の背景を一瞬だけなんですけど。あんまり分かんないですよね。
(月永理絵)そうですね。言われないと。
(鈴木卓爾)はい。
(月永理絵)先程のお話の中で出てきましたけど、この映画は、東映撮影所から近所というか、歩ける範囲で撮られているということで。
(鈴木卓爾)はい。
(月永理絵)じゃあ映画の中で出てくる舞台というのは、わりと徒歩圏内というか、歩こうと思えば歩ける……。
(鈴木卓爾)全部歩けますね。北野白梅町駅から帷子ノ辻駅まで歩いても、たぶん1時間半かかるかかからないかくらいかと。まあ散策しながら歩くと、2時間くらいかかりますけど。よくチラシ配りなんかで映画の宣伝を学生とやったときも、北野白梅町駅から歩いて行って、けっきょく電車乗らないで帷子ノ辻駅に着いちゃうということがありまして。「あれ、また歩いちゃったね」みたいな。
(月永理絵)いま学生さんのお話が出ましたけれども、京都造形芸術大学の生徒さんたちがたくさん出演されたり、スタッフでも関わっているかと思うのですが。とはいえ、監督の『ゾンからのメッセージ』や『ジョギング渡り鳥』では映画美学校の方たちと撮ってらっしゃいますよね。今回の京都造形芸術大学の生徒さんたちと撮るっていうのは、どういった経緯でそうなったのでしょう?
(鈴木卓爾)「北白川派」という映画運動を京都造形芸術大学の映画学科では、最初は木村威夫監督の『黄金花』が第一弾として始まって、やはり商業映画のフィールドとは違うところから劇場公開映画を、全員がプロで大人が作っているというものではなくて、映画と出会ったばかりの学生たちがそこに加わることによって、手練だけではできない初々しさというか。真っ白な状態の人たちが、映画に触れることで起きる化学反応みたいなものが、京都の大学から、新しいムーブメントとして提案できるんじゃないかみたいなことで、第一弾から第五弾の福岡芳穂監督の『正しく生きる』までを2012年までやってきたんです。でも学科の中で、その「北白川派」を続けるのはかなり難しいこともあったりして。しばらくリセットするために中断期間とかもあったんですけど、やっぱりその、春休みとか授業ではない時間に、いつもは先生をやっている人が、本当に劇場公開映画を作ろうと本気を出す時に、みんなが街に繰り出して街を巻き込むということを、制作部をやっている子たちや演出部をやっている子たちが、「本当にここで撮影をさせて欲しい」と交渉したりだとか。あるいは撮影当日に交通整理をしたりだとか。そのロケ地に本隊が来る前に、色々と準備して、迎え入れて撮影をさせて、撮影を終えた後に元通りに戻して、そのオーナーの方に確認してもらうということなど。そういう一つひとつのことを、もちろん学生の授業やゼミや、彼らがやっている自主制作映画でもうちの学科では同じで、すべて何かの場面を撮る時は周りの住民の方に一通りご挨拶に行くし、「ポスティングをしなさい」ってことはやっていることなんですけど、さらにそこに、本当に劇場公開できるクオリティのものを立ち上げていくし、「俳優もプロの方に来てもらって撮るよ」っていう。そんなところは通常の授業では、そこまで分からない。でもこれが、映画のマテリアルなんですよ。頭を下げて、こんなものなくっても何にも困りもしない人たちを巻き込んで、迷惑をかけて、でもできれば、またここに映画の撮影が来た時に「いいよ」って言ってくれる。そして出来上がった映画を観て、「ああ、手伝って良かったな」と思ってもらえるかもしれないという地盤ができて、ようやく映画を撮らせてもらえていると。それがなければ映画なんて撮れないし、映画をやりたいとか、そういう人たちって、僕もそうですけど、現実が嫌で逃げ場として映画をやるじゃないですか。
(月永理絵)(笑)
(鈴木卓爾)だけど、逆ですよね。そこなしでは、社会なしでは映画は成り立ち得ないので。それが結果としては「北白川派」をやる本当の強さだったりはすると思うんですよね。それに参加した学生の子たちは極端に成長するので、それを経た後の自分たちの活動にフィードバックしていくというか。その勢いが「北白川派」って大きい栄養に満ちた土壌を残していく感じは、今回『嵐電』をやってみて感じましたね。
(月永理絵)今おっしゃったように、映画ってけっきょくは社会の繋がりの中でできてくるという。本当に最初の「嵐電」の話じゃないですけど、京都の人々や生活に密着して作られている感じがそのまま映っていますよね。
(鈴木卓爾)そうですね。
(月永理絵)今回、学生さんたちと作ったのは、授業の一環というのとはまた違うんですよね?
(鈴木卓爾)(「北白川派」の)第5弾までは、実は1年間をかけた授業カリキュラムの中に全てを沿わせてやっていたみたいなんです。撮影後も、宣伝・配給の授業を次の年度の子たちが担って。それこそ、今あそこにいる有吉さん(『嵐電』の配給・宣伝を手掛ける株式会社マジックアワーの有吉司さん)が先生で来て、実地で「どうやったら面白い映画の売り出し方ができるか考えなさい」という。かなり大変な思いをしてやってきているそうです(笑)。ただ『嵐電』は、ちょっとそこのスパンを短くしたりだとか、あとはもう脚本に関しては徳川さん、相当こだわったので、誰かに渡してってことはできなかったので、本当に撮影前の秋から説明会を開いて、みんなに集合をかけて、ロケが終わるまで短距離で。短距離で、どっちかというとこれまでの「北白川派」の授業カリキュラムに沿ったやり方ではなくて、むしろ短距離で、あっという間に撮るということと、それから仕上げ、ポスプロと宣伝活動に関しても、本当にごく一部のやりたい子に手伝ってもらって、これもどちらかというと今回は全部私が中心になって旗を振るみたいな感じで。“どこにでもこの顔がいる”みたいな感じでやらせてもらいました。
(月永理絵)ある意味、俳優さんたちもプロの方たちがメインでいらっしゃるっていうのもありますけれども。何ていうんでしょう……この前の『ゾンからのメッセージ』や『ジョギング渡り鳥』とは少しまた違うというか。どこか商業映画という色合いが……。
(鈴木卓爾)そうですね。スタッフが商業映画のカメラマンとか、録音部とか、たぶん居方で、俳優の芝居が変わりますね。まったく違うものになります。スタッフがどういうふうに控えているかで、ステージというのは意識してしまうので。『ジョギング渡り鳥』と『ゾンからのメッセージ』はそれがまあ無かったに等しいというか。スタッフはいるんですけど、360度がどっちを向いても現場であるという風に撮っていたし、あとはその……特にですけど、『ジョギング渡り鳥』は効率の悪いことをわざとやりたいという宣言をして、みんなで撮影に行って、みんなで撮影を終えて、みんなで帰って、みんなでご飯を作り始めようと。
(月永理絵)なかなか凄い……。
(鈴木卓爾)先回りしての効率の良いスピード感を、『嵐電』では元に戻してやっているんですね。商業映画的に。だけど『ジョギング渡り鳥』や『ゾンからのメッセージ』は普通の映画の撮り方はしないし、したくないし、「もう嫌だ」って言って。なんかそこで生まれてくる“コントロールされて映画が作られていく状況”とかをもう見てられないし、やりたくもないってことを、映画美学校のアクターズ・コースの子たちが「合宿して映画を作りたい」って言い出したから、「シメシメ」と思って、巻き込んだと。それで、3年とか4年とか引っ張って、公開宣伝までやってしまったんです。罪は重いと思ってますけど、ただどこかで、「本番いきます。よーい、スタート」みたいなことを一回拒否してみたいという。でもじゃあそれが映画じゃなくなるのか、映画とは一体何をもってして映画と呼ぶのかっていうことを一回本当に問い直したかったので、それを強く思っていたから、そういう作り方をしました。『嵐電』は、もう一度プロの俳優に来てもらって、「よーい、スタート」と段取りを踏んで、監督補として、チーフ助監督として、本当にベテランの青森県出身(浅利宏さん)なんですけど、その方に来てもらって。もう一度日本映画の撮り方の中で、自分自身も再生させようという気持ちが強くあったので。それも、まったく縁のない、自分にとっては縁のなかった京都という街で、メンタリティも近くはないであろう京都の人たちにお願いをして。でもそれはけっきょく、日本どこでも変わらない。何かお世話になったりだとか、お気遣いをさせてしまったりだとか、そういうことでしかないんですけど。もう一度再生させる意味で、プロの俳優の井浦新さんとか、卒業生の大西礼芳さんや、僕が『きらきら眼鏡』って現場で見つけた金井浩人くんに来てもらって、そこで素人というか、うちの学生の俳優とプロが、今度はお互いが持っているもの、持っていないものを持ち寄って、そこで何が生まれるんだろうっていうのをやってみたいという意味が凄くありますね。
(月永理絵)やっぱりその前2作と言いますか、『ジョギング渡り鳥』と『ゾンからのメッセージ』での体験というか、そこを通しての『嵐電』は何かまた新しい映画の作り方に……。
(鈴木卓爾)『ジョギング渡り鳥』だとか『ゾンからのメッセージ』でやったことを、もう一度、ちょっと商業映画でもやらせてくれっていうはやってますね。“人止め”しないとか。「駅の出入りする人たちをどうするのか?」って普通はなるし、ミーティングでも問題になるんですけど、なり(成り行き?)で撮りませんか?っていう。それで一つ、ガーンと緊張感がなくなるので。緊張感というか、プレッシャーから開放されるので、きっとそれは芝居にとっていいだろうし、またその人止めをしないということは、街の呼吸を止めずに撮影ができる可能性なので、それは凄く大きくて。僕が映画を撮る時は、必ず街の映画になるんですね。なぜかそうなってて(笑)。
(月永理絵)それこそ『私は猫ストーカー』がそうですよね。
(鈴木卓爾)はじめ、『私は猫ストーカー』がそうだったっていうのもとても大きいですよね。というのは、たむらまさきさんがキャメラをやって、菊池信之さんが音をやってっていう、やはりその何かからスタートしたということじゃないかと思うんです。だから僕は今も、たむらさんと喧嘩しているような気がしているので、緊張状態にあるというか(笑)。
(月永理絵)(笑)
(鈴木卓爾)やっぱりその街の映画を撮ることになったのも、たむらさんだけじゃなしに、そこに、東京の下町である谷根千に……そこだけ猫がたくさん泳いでいる水溜りがあって。その水の周りには、日に日にこう干上がって、やがてなくなってしまうのかもしれないんですけど、そんなイメージが『私は猫ストーカー』という映画には……まあふわふわした可愛い猫の映画ですけど、こっち側には、そういう失われつつある寂しい気持ちというか。街っていつまでも街ではないかもしれない。でも路地に行けばいつまでも昔の街があるのではないかってこととか。プロデューサーの越川道夫さんと「街外れというものが昔はありましたよね」って話をしたり、みんなでその、この映画を撮るにあたっての提案というものをすごくできたんですよね。それは本当に、みんなが公平に言葉を投げあって、しかも非常に穏やかに映画を撮ることができたということが凄く僕にとっては大きかったので。どこかで、“みんなで一緒に考える”というゲームのルールが映画を作るときには必要だなと思っているんです。それがきっと今はどの映画にも、僕は街の映画と言いましたけど、たぶん「この街はどんな街ですか?」っていうことをキャメラマンや、演出部、制作部、ロケハンをしてくる制作部、俳優部、みんなに投げかける……脚本を投げかけると、みんな脚本だけが……。
(月永理絵)絶対的なものになると。
(鈴木卓爾)はい。でも、そうじゃないんですよ。脚本っていうのは何も書いてないんですよ。
(月永理絵)(笑)
(鈴木卓爾)その書いてない部分を、じゃあどうやって捉えていくのか。みたいなことの捉え方というのは、実は脚本には書いてなくて。脚本と同じくらい重要な作業が、現場にやってきたスタッフたちによって、まったく透明な脚本がもう一冊渡されているようなものなんですよね。映画って。それが、授業ではよく言ってるのは世界観。脚本の企画の段階から、その世界観は用意しておくようにと。つまり、“どこにカメラを置くのか?”、“どういうふうにこの映画を観るのか?”みたいなことがなければ、これは「ストーリーと登場人物だけで映画を撮れると思っているってことですよね」っていう。でも「それは違いますよね」っていう。
(月永理絵)はい。
(鈴木卓爾)誰が撮っても同じ映画になるわけではないわけで。
(月永理絵)それは撮る監督だけに限らず、そこに関わる全ての人が作っているということですよね。
(鈴木卓爾)監督のタッチが、それを変えていくってみんな思っているのかもしれないけど、そんな生易しいものじゃないと僕は思っているんですよ。小説家のタッチのようにできるのではないんじゃないかと思っていて。少なくとも僕はそう思いたくて、わりとみんなを巻き込むつもりでやっているんですけど……巻き込めているのかは分かりません。
(月永理絵)(笑)
(鈴木卓爾)実はそうやって、自分の好きなタッチで好きなように映画を作っているだけなのかもしれないなとはちょっと思ってます。
(月永理絵)凄く面白いです。でも聞いていると、だからこそたしかにこう、群像劇とはまた違うと思うんですけど。
(鈴木卓爾)はい。
(月永理絵)何かやっぱり色んな人が出てくる、それが本当に平等に描かれているような印象を受けるのって、そういう作り方にもあるのかなと思いました。この映画って、井浦新さんや大西礼芳さんが主演のようにも思えますけど、でも嵐電自体が主役のようでもあるし、主人公って誰なんだろうって。
(鈴木卓爾)真ん中がぽっかりない感じはあるのかなと。
(月永理絵)そうですね。
(鈴木卓爾)だから、三組の恋愛カップルっていうのをつくると、それぞれのカップルの、また関連の人たちもいっぱいいるわけで、こう……群像劇化した何かになっていくと思うんですよね。だから本当に、どんな人でも活き活きと撮りたいんですけどね。僕はそんなふうになってきちゃったんで。
(月永理絵)もう一つお伺いしたいのが、さっきちらっと出てきた『私は猫ストーカー』の話で、表面的には猫の可愛らしい映画に見えるけれども、その裏には、路地裏の寂しい感じもある、ということで。私は『嵐電』を観ていて一番思ったのが、楽しくなるような側面もありつつ、なんだか凄く怖い映画だなと思ったんですね。それでこれって物凄く恐ろしいことを描いているんじゃないかなと思ってしまったのが、例えば井浦新さんと安部聡子さんの夫婦のあり方なんかも、何か最後二人が再会して、こうハッピーエンドというか幸福な感じがありますけど、なんでしょう……あの妖怪電車に乗ってしまうところなんかも、もしかして、これはどちらかが亡くなっているというか、もういなくなっちゃってるんじゃないかというような。何かそういう正体は掴めないんですけど、ゾッとするものをところどころに感じたんですよね。監督はそういう意図はあったんでしょうか? 何かいいお話でありつつ、裏にある怖さってなんだろうというのが、未だにちょっと分からないんですけど。
(鈴木卓爾)あの、男と女が相手を愛しているとして、それは愛しているということの……それは本当に変わらず愛し続けられるんだろうかっていうことを、もう一人誰か、浮気相手みたいな人が来てトライアングルになれば、「“出来事化”するよね」とは思うけど、それをしないということはできないのかと思ってまして。で、愛が欠けてしまっているというふうに思っている人がいるとしますよね。そのことを、日常的に事件がなくて、きっかけもなくって、因果でもなくて、ただ朽ちていくというか。そういうものってなんだろうなって思ってました。それで、きっと人はそういうものを運命という言葉に、運命のせいにするでしょう。ベートーベンとか。
(月永理絵)そうですね(笑)
(鈴木卓爾)だからそれが、今回は妖怪電車なのかなと思ってて。昔『ワンピース』っていう矢口史靖監督とやっているオムニバス連作集があって、その中に『泥棒』っていう11分のワンシーンワンカットの固定画面の作品を撮ったことがあるんですけど。それがきっかけというか、雛形みたいなところがあって。
(月永理絵)はい。
(鈴木卓爾)もし良かったらポニーキャニオンからDVDボックスが出ているので買って下さい。
(月永理絵)はい。『ワンピース』という……
(鈴木卓爾)ワンシーンワンカット、固定画面、アフレコなし、編集なし、カメラを押したら完成という。そういうルールでずっとやっている短編集です。それともう一つは、大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』という映画で、自分の祖国でしてきたことを忘れるために戦争に来たっていう、デヴィッド・ボウイ演じるジャック・セリアズという……実は戦場では物凄い英雄で、何人もの兵士の命を救ったり、一人で敵陣に乗り込んで行ったりしてた人が捕虜になって、日本軍の捕虜になって、その捕虜収容所で日本の、坂本龍一さん演じるキャリアのある兵士とか、ビートたけしさんが演じている軍曹さんみたいな人とかとの交感が描かれている映画なわけですけど。あの中で一番ゾッとしたのは、デヴィッド・ボウイなんですよね。デヴィッド・ボウイが、要は非常に後悔というか、起こしてしまった出来事を忘れるために戦争に来たということを告白する場面があって。それがやっぱり、『戦場のメリークリスマス』は高校時代から何回も観てますけど、一番重たいところなんだよなと……って思いません?(笑)
(月永理絵)そうですね。私は正直『戦場のメリークリスマス』のそこのセリフはそんなに印象に残っていなかったので、今言われて「ああ」と。
(鈴木卓爾)あの、月永さんから言われた「可愛いようで、実はズシンと重たくて暗くって怖い」っていうのは、なんか僕は『戦場のメリークリスマス』を10代の時に観て、映画の感覚としてそれがちょっともう腰に据わっているのかもしれないなと思いますね。
(月永理絵)ああ~。
(鈴木卓爾)『私は猫ストーカー』の時も、ハルちゃんという主人公を星野真里さんが演じているんですけど、物凄く孤独に描いているんですよ。可愛い感じの蓮実重臣さんのスコアが素晴らしいのですけど。でも僕はやっぱり、どうしてもそうとしか思えなくて。それが出てきちゃったかなと。それはその……あんまりこんな話したくないんですけどね。誤魔化しておいた方が良かったかなとも思います(笑)。
(月永理絵)でも、じゃあ必ずしもこのお話としてというか、三組のカップルの中で、こう意図的に何か暗いものを入れたというわけではいけれど……
(鈴木卓爾)出てきちゃったね。例えば、大西礼芳さんが演じている嘉子という女性は、夜の喫茶店でマスターから8ミリを見せてもらって。「それはお父ちゃんが撮った、昔の嘉子ちゃんやで。あきよちゃんどうしてるんや」って言って、あの「へっ?」っていう大西さんの芝居も凄く素敵なんだけど。
(月永理絵)あそこのあの声いいですよね(笑)。
(鈴木卓爾)本当に忘れるって、こういうことなんだなって(笑)。その直後に再会するんですよね。だからどこかで妖怪電車というのは、一つが埋まると一つが解除されるのかなっていう。そういう、「狭い店なのに、なかなか会わへんな」と言って、「嘉子がいつもホームの端に引っかかっている子やな」とか、線路の下に行って、凄い怖いセリフ書いちゃったんですよ。
(月永理絵)そうですよね。
(鈴木卓爾)「あれ? 俺何書いてるんだろう?」と思いながら、でもそのまま、提出したりしてて。で、やっぱり演出部の人達も「ザワザワするんですけど」みたいな話になったりして、まあそういうのもあって、井浦新さんなんかも「卓爾さんの遺書なんじゃないですか? 今回の映画は」とかって言ってたりして。いや、って言うより、なんかそういう……脚本に名前を載っけるのって、『ゲゲゲの女房』以来なんですよ。
(月永理絵)そうなんですね。
(鈴木卓爾)『ゲゲゲの女房』以来、二回目なんですよ。『私は猫ストーカー』は黒沢久子さんが一人で書いているし、『ゲゲゲの女房』は原作が、エッセイがあって。それから、一緒に脚本を書いている……あれ? 名前が出てこない……。
(月永理絵)ごめんなさい。私もちょっと今出てこないです。
(鈴木卓爾)『楽隊のうさぎ』の脚本を書いた……大石三知子さんですね。『ゲゲゲの女房』は大石三知子さんと連名で書いているんですけど、僕が脚本に名前載っけるのって、『ゲゲゲの女房』以来なんですよ。
(月永理絵)ああ、そうなんですね。
(鈴木卓爾)だから、『ゲゲゲの女房』と『嵐電』を観てくれたら、まあその……だいたい似てるんですよ。
(月永理絵)なるほど。え、でもあの、(鈴木卓爾)監督の映画って、こう……何ていうんでしょう。同じテーマではないですけど、一つの出てくるものとして、今回の妖怪電車がそうですけど、『ゲゲゲの女房』にも妖怪が出てきます。『楽隊のうさぎ』でうさぎが出てきたりとか。『ジョギング渡り鳥』ではモフモフ……。
(鈴木卓爾)あ、「モコモコ星人」ですね。
(月永理絵)モコモコ星人!
(鈴木卓爾)どっちでもいいですよ(笑)。
(月永理絵)が、出てきたり、何かこう……
(鈴木卓爾)ええ。
(月永理絵)不思議な存在が、こう出てきますよね。
(鈴木卓爾)出てきますね。
(月永理絵)っていうのは……。
(鈴木卓爾)『ゾンからのメッセージ』は……。
(月永理絵)もうゾンそのものが……。
(鈴木卓爾)抽象的な、空だったんで。
(月永理絵)(笑)
(鈴木卓爾)もうちょっと、まともに成長したのかなと思ったんですけど、そうでもなかったですね。
(月永理絵)でも、ああいった、何かファンタジック……と言ってしまっていいのか分からないんですけど。ああいうちょっと人間ではない、不思議な存在を出してくるっていうのは鈴木監督の……発案というか……ですか?
(鈴木卓爾)そこに、要は非常にメタファーというか。メタファーにも何にでもなって、「ありのまま」というか。「ありのまま喩」。「比喩」の「喩」で(笑)。「でもそれは、比喩とは言わんよね」っていう。そこがなんかね、最近まあ僕は本当に足りてないんだなって分かったんですけど、そういうことって、普通は「暗喩」にしたりする。でもプロセスが、もともと良く分かってないんですよ。それが明らかになってきてて。えーと、だから比喩にならないようなものを、比喩みたいに出してるんですよね。きっとどっかで。
(月永理絵)うーん……まずじゃあそれをこう……。
(鈴木卓爾)検証したりとか、始まるんですよ。大体現場が始まると。「この狐と狸ってのはなんなんですか?」っていう。いや、狐と狸ですよ。
(月永理絵)(笑)。
(鈴木卓爾)「いや、そうじゃなくて……」みたいな話になると、「あれ? 何だっけ?」みたいな。
(月永理絵)まずその存在を出すっていう……そこが存在することから、それが象徴してるものが何かよりも、先にモノとして出すっていうことが大事というか。
(鈴木卓爾)まずそれは役者が演じますからね。
(月永理絵)ああ……はい。
(鈴木卓爾)それはCGではないだろうと。まあ『ゾンからのメッセージ』は様相が全然違う映画ですけど。あの、私一人でやっていると、そうなっちゃうっていうのがありますね。だから、狐と狸はもともと違ってて、別の何かが電車に乗ってやってくるっていう予定だったんですけど。それをちょっとやめて、えー、もうちょっとこう、やっぱりこう逆に今回は意図的に、可愛らしい妖怪を出そうと。意図的にしました。日本どこでも通じるような、「狐と狸」って感じで。そうすることによって、青森から来る修学旅行生とか、京都っていうものが日本全体の中での位置みたいな感じに、想像できるかもしれないなと思って。それが良くて、楽になりました。京都の中の何かを出そうとしててあんまりいいことなかったんで、やめました。
(月永理絵)いわゆる、京都ゆかりの何かではなくて。
(鈴木卓爾)それは、もっとこっち寄りのオリジナルファンタジーにしてしまうというか。もうちょっとこう、日本全体にある民話みたいな感じの、「電車版だよー」みたいな感じに思って下さいみたいな念を、もっとガンガンガンガン送った方が撮影もスムーズにいくなと思ったりして(笑)。
(月永理絵)(笑)。でもさっきの、他の方々からの「狐と狸って何なんですか?」っていうのが……。
(鈴木卓爾)「狐と狸」は、『遠野物語』の柳田國男さんの話を読んでいると、だいたいみんな狐か狸のせいにするじゃないですか。「気づいたら、魚を買いに街に行って帰ってきたら、魚はどっか行っちまって、一人でこうグルグル回ってたんだー」みたいなね。「狸だなあ、あれは」とか。でも本当に狐と狸が可哀想ですよね。全部そのせいにされてるんだもん。
(月永理絵)そうですね。
(鈴木卓爾)あるいは、そういう言葉にしているわけですよね。人って何かを。
(月永理絵)何か分からないものを、こういう「狐と狸」って言うことで自分を納得させるという。
(鈴木卓爾)それが一つで、もう一つは、本当にそうなのかもしれない。本当に何かアヤカシがいて、本当に人のスキを突いて、運命を変えてくというか、人生を変えてくというか。そういうこともあるのかもしれないですよね。それは分からないですけど、そうやっていつも、「良いよ、俺名前貸してあげるよ」っていうおおらかな、寛容な精神が、人間界の外を囲っているのは事実で、想像すると面白いじゃないですか。
(月永理絵)そうですね。だからあの「妖怪電車」って凄く、不思議なテーマではもちろんあるんですけど。
(鈴木卓爾)ええ。
(月永理絵)何かこう、さっき言ったように暗い部分もありつつ、でも、あの二人と言っていいのか……狐と狸が出てくる場面って、むしろ凄く楽しい、明るさもあるし、彼らが悪者かっていうと、もちろんそうではない。
(鈴木卓爾)彼らも彼らで、作業しているだけだと思います。それで、どうも長い年月生きているらしいんですけど(笑)。決して悪意はないんじゃないかと思ってますけど。なんかそこに悪意が生じていたりするのって、やっぱりちょっと違う気がしていて。「それは違うなあ」と思うんですよね。
(月永理絵)はい。
(鈴木卓爾)悪意ってあんまり見たことがなくて、人はだいたい、悪意なく悪意を施しているような気がするので。悪意っいうものを現象化してしまうと、それは物語としては全然弱いものになっちゃうなあというふうには感じていますね。
(月永理絵)なるほど、ありがとうございます。あと、最後にと言いますか、もう一つお聞きしたいのが、今回は京都造形芸術大学の学生さんたちも関わって撮ってますけれども、監督にとって最近というか、こう映画を実際に教えてらっしゃって。それで、学生さんたちと一緒に映画を撮ることって、自分の映画作りにも影響があったと思うんですけど。そもそも、映画を教えるっていうことってどういうことなんだろうなと。私は映画を教わったこともないので分からないんですけど。監督にとってそういう映画美学校であったり、京都造形芸術大学で教えるようになって、監督としても変わった部分は大きいですか?
(鈴木卓爾)二つあって……。一つ目にまず、その質問の答えですけど。
(月永理絵)はい。
(鈴木卓爾)えーと。おっしゃる通り、映画は教えられるものだろうかって、やっぱり疑念があって。それこそ先生みたいなことを始めたのって、2010年とか……。やっぱり長編映画を公開して、それであの先生やりませんかって話が増えましたね。
(月永理絵)はい。
(鈴木卓爾)で、やっぱりこう、「映画って教えられないんじゃないか」っていうことを凄く思ってて。ただ、「カメラのボタンはここにあるよ」とか、道で撮影する時の道路撮影許可の取り方とか、「差し入れを貰った時はね……」とか、そういうのは教えられますよね。
(月永理絵)はい(笑)。
(鈴木卓爾)なんですけど、本当にその「映画って何なんだ!」みたいなことは、授業をやってますけど、教えられないような気がしてます。30年くらいかかって分かったこととかを、学生に話してみるんですけど、伝わらないんですよ。実感がないから。「それしょうがないよね」って思ってます。だから映画を観るしかないですよね。で、そんななりで、学校に来て先生やっていいのかという悩みがあって。まあ学校の先生に相談したんですけど……「うちの学校は“teach”ではなく“coach”である」と。
(月永理絵)はい。
(鈴木卓爾)で、実習が多くて、実践的な授業を映画学科の中で多くやることで、経験的にもってくことをつくることができるし。きっと俳優コースの授業も、そうであると。ただ一方で、映画美学校の俳優……アクターズ・コースですね。映画美学校のアクターズ・コースの講師で来てた、劇団「青年団」の俳優講師の方たち。山内健二さん、兵藤公美さん、古舘寛治さん……たちは、芝居はテクニカルな問題なので、「教えられます」とおっしゃってて。
(月永理絵)はい。
(鈴木卓爾)非常に心強かったりして。要は自分自身がやってきた体系ができてなかったり、あるいは理論化できてなかったりすると、なかなか授業にするのは難しいけども、経験を教える伝えるっていうことをするっていうのと……まあそれが、試行錯誤しつつ……で、俳優の授業をやりながらも、やっぱりそのどっかで経験値を積むってことが俳優にとっては一番大きなことだったりとかするのだなと。あと俳優コースで、水上竜士さんってこの映画にも出ている方ですけど、水上さんは理論化して教えようとしてますよね。「スタニスラフスキー・システム」から。それで、うちの大学は、この間まで三浦基先生がいらっしゃったんですけど。三浦先生は「地点」という劇団をやりながら、この「スタニスラフスキー・システム」を、真っ向から否定する授業をやっていて(笑)。同じ学科の中で、その全然違う価値観が共存していると、俳優はそこから何を読み取るのか……学生は。それは凄く豊かなことかもしれないなあと、思っています。これが一つ目の回答で。もう一個は……逆にですね、私が学校の先生をやるようになって、特に俳優コースとかアクターズ・コースの、俳優のことを勉強したいって子たちが、えー……日常的に演劇に非常に近いフィールドにいて、演劇を観に行ったりだとか、「今こんな劇団が面白いんですよ」みたいなことを教えてくれたりするんですよ。
(月永理絵)はい。
(鈴木卓爾)それで僕って映画だけしか興味なかったじゃないですか。俳優もやってきましたけど。舞台なんてのは、ほぼ一回くらいしか経験がなくて。2000年に斎藤久志監督が演出をして、僕と、唯野未歩子さんと、井口昇さんと、田中要次さんと、長宗我部陽子さんが出た舞台があるんですよ。
(月永理絵)はい。
(鈴木卓爾)塚本晋也さんは映像上だけ登場して、美術は種田陽平さんっていう……。
(月永理絵)はあ……凄い豪華な……。
(鈴木卓爾)っていう伝説の舞台があるんですけど。
(月永理絵)(笑)。
(鈴木卓爾)それやって、「ダメだわ、俺は舞台は無理」って思って。耐えられない、何度もステージをやるのが無理、と。で、遠ざかってたんですけど。今、改めて21世紀に入って……そうですね。2009年というか、2010年代以降は、学校の先生になっちゃって、学生たちが演劇に対して僕の興味を向けさせてくれたんですよ。それで、演技そのものがなんなのかってことを凄く、思うきっかけになったんですよね。それが、日常的にうちの京都の大学の映画学科でも、学生たちが自主公演を打つんですよね。スタジオに自分たちでセットを立てるんですよ。カンパ制で、お客さんにも外から来てもらって、自分たちがセレクトした戯曲を演るんですけど。というのを見ていると、自分も凄く演りたくなるという体験をそばに置いてもらっているような気がして。これって、逆に自分が教えてもらっているなという感覚が凄くあって。やっぱり大学生の方が新しいものを知っていますよね。っていう感覚もあるし、自分がまったく知らなかったことを、自分が演じるということを授業で伝えなければならないという時に、「演じるってなんだろう?」というのを逆に、学生たちが演劇とかを学んでいるのを観に行っている時に……あるいはその、青年団の人達の、俳優講師の方たちがやっているワークショップみたいなものが凄く面白くて。それを観ていると、まったくこう、ライブの演劇と、こういうワークショップの違いはどこなのかなというのが分からなくなったりだとかしていて、それが学校というところに来てみてある、一番の刺激ですね。
(月永理絵)なるほど……。
(鈴木卓爾)で、自分の俳優の仕事というのは、どんどん無くなるんですよ。京都行っちゃってるから、東京まで呼ぶお金が映画にはないんですよ。だから、京都で撮影する時代劇には呼ばれることがありながら……って感じですね。
(月永理絵)でも今、俳優としての活動というのと別ではないですけど、お話を伺っていると、鈴木監督の中で演技に対する……。
(鈴木卓爾)むちゃくちゃ変わってきてますね。だから次の映画はどうなるか分からないですね。どんな芝居の映画になるか分からなくて。
(月永理絵)はい。
(鈴木卓爾)で、舞台って、演出家さんのメソッドが全俳優に行き渡るんですよね。これが発見でした。
(月永理絵)ええ。
(鈴木卓爾)それで、映画ってそんなことしてないじゃないですか。素人のおっちゃんも、役所広司さんも出ているのが映画でしょ。メソッドなんてのはないですよ。それぞれの俳優さんが持っているもので来てもらって、「はい、じゃあやってみようか。よーい、スタート」みたいな乱暴なものですよ映画って。だから、映画ってのはメソッドではなくタッチだったり、監督さんの「何か」で、その人の映画になっちゃうっていうことですよね。面白いなと思ってて。
(月永理絵)そうですね……。
(鈴木卓爾)だって極度にある演劇の方法論を、映画の撮影に持ち込むと、それは演劇の実況中継的な映画になるんですよ。
(月永理絵)はい……。
(鈴木卓爾)で、もう、ちょっとなり始めているんですよ……分かんないけど。
(月永理絵)はい。
(鈴木卓爾)だから、お客さんが『嵐電』を観に来てくださって、「なんか街で演劇をやっているみたいだ」っていうんですよ。
(月永理絵)はあー。
(鈴木卓爾)それって、半分よく分かるんだけど、半分よく分からないわけ。俺は普通の映画を撮っているつもりなのに、「あ、分かっちゃった?」みたいな。なんでそんなことを言っているのかは分からないですよ。単純に引き画が多いから、それに対して言っているのであれば、それはどうだっていいんです。
(月永理絵)はい(笑)。
(鈴木卓爾)ごめんない……っていう感じなんですけど。もっと深層に、演劇的な何かを……僕がやろうとしていることに、「お気づきになってらっしゃるのでしょうか?」みたいなことだったら、「ちょっとお話しませんか?」という感じのことは凄く思ってて。それがちょっと影響が大きくて。そう言えばたしかに映画監督って誰しもが、舞台ってものにハマるよねっていう。
(月永理絵)それこそ、青山真治さんなんかも……。
(鈴木卓爾)やってらっしゃるでしょ。行定勲さんもやっているし。えーと、非常になんというか、引力というか、引きつける力がありますよね。
(月永理絵)そうですね。そこでこう、俳優さんの映画の中での演技って考えていった時に、もしかすると演劇を、自分が扱うか、観るか、ということが監督それぞれによって出てくるのかなと。
(鈴木卓爾)はい。
(月永理絵)なるほど……『嵐電』って凄くドキュメンタリーチックな側面もありつつ、何かそこで演劇をやっているようでもあるというのが、今聞いて少し納得できました。
(鈴木卓爾)嬉しいですね。そういう意味では、日々自分が影響を受けて……映画になっていく……という気がするんですよね。でも僕は舞台演出はしないと思います。映画にしたいので。
(月永理絵)ええ。
(鈴木卓爾)それと、舞台演出というのは、始めてから終わるまで、舞台の小屋を押さえてしまうし、稽古期間というものがあるので、泣いても笑ってもこの期間で……もう、終わるじゃないですか。ここが大きいんだと思う。映画ってやっぱり長いもん。「いったい何年やってんだ!」ってものとか。
(月永理絵)(笑)。
(鈴木卓爾)なんにも形にならないからこんなポスターを作ってますけど……だって映画って今やデータで、どこにも存在しない、手に取れないものになってますよね。だけど、こんなにたくさんの人を巻き込んで、何千人という人がこの映画に関わっているのかと思うと、なんか一個作るぐらいのことやっているんじゃないかって思うわけですよ。
(月永理絵)はい。
(鈴木卓爾)建造ですよ。映画作るって……だから「建造」って言った方がいいなという(笑)。
(月永理絵)なるほど(笑)。
(鈴木卓爾)だから、もうちょっとどうにかならないかなと、いつもみんな思っていることですよ。
(月永理絵)じゃあちょっと演劇の方に次回からいくっていうよりかは、それが次の映画に……。
(鈴木卓爾)そうですね。そういうふうな映画になっていくのはご容赦下さいっていう感じなんでしょうね。一方でもう「僕の映画には妖怪は出ませんよ。“不思議”はないですよ」っていうのもやってみたいし。
(月永理絵)はい。
(鈴木卓爾)あと、舞台に関しては役者をやりたいです、私。舞台俳優になりたいです。
(月永理絵)なるほど。
(鈴木卓爾)舞台俳優として余生を過ごしたいなあ。
(月永理絵)余生(笑)。
(鈴木卓爾)すいません……勝手なこと言ってますけど。
(月永理絵)ちなみに、次回作のご予定とかは?
(鈴木卓爾)あ、ドキュメンタリーを撮る予定があります。
(月永理絵)それはもう対象は決まっているんですか?
(鈴木卓爾)はい、決まっています。早くやりたいんですけど、なかなかこれ(『嵐電』)が一段落しないとできないので。
(月永理絵)じゃあ、これがもう一段落したら。
(鈴木卓爾)もうすぐにでも、取りかかりたい。
(月永理絵)楽しみです、そちらも。
(鈴木卓爾)ありがとうございます。
(月永理絵)今日はたっぷりと撮影のお話から、監督のお考えも色々とお伺いできて、楽しかったです。
(鈴木卓爾)言い残すことないくらいです。
(月永理絵)ありがとうございます(笑)。はい、では今日は、『嵐電』の(鈴木卓爾)監督にお越しいただき、トークをしていただきました。ありがとうございました。
(鈴木卓爾)ありがとうございました。
(月永理絵)番組を楽しんでいただけた方は、「#活弁シネマ倶楽部」「#活弁」でぜひご投稿をよろしくお願いいたします。「活弁シネマ倶楽部」のツイッターアカウントもありますので、ぜひフォローして下さい。それでは今回はここまでとなります。これからも「活弁シネマ倶楽部」をよろしくお願いいたします。鈴木監督、今日は本当にありがとうございました。
(鈴木卓爾)お呼びいただき、ありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?