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【読書録】ぼくたちには「体育」がこう見える 為末大

印象に残った言葉


大人は体の扱いに悩んでいる。
学校の授業では、体の使い方を学ぶものは体育しかない。私がみんなにアドバイスする内容も、そのベースは体育にある。体育で学べるはずのもので、大人がみんな悩んでいる。体育にはもっと可能性があり、社会に求められているはずなのに、なぜかうまくいっていない。では、どうすればいいのか。素朴な疑問がこの本が誕生するきっかけだった。

勝つことや記録を出すことに本気で、中には人生をかけてやっている人もいる。一方で、「スポーツなんてどうでも良いことじゃないか」といった思いも、どこかで抱えているんじゃないか。その表と裏がいつでもひっくり返せる軽やから状態であるときは、すごく夢中になれる。 一方「ないといけない」や、逆に「どうでもいい」だけだと、スポーツの面白さってなくなっちゃう気がするんです。

体育や理科などと分けず、体を動かす経験とその内省を探求活動に活かしていけばいいと思います。例えば、ウェアラブル端末をつけて走ってみると、心拍数が上がることに気づく。そして、心拍数が上がると汗が出る、気持ちが高揚することにも気づく。こうした体による 直接体験をもとに、どうしてこんな仕組みになっているのかと関心を深めていくことができる。まさにサイエンスへの道筋です。

体育の授業の目的を、例えば逆上がりが「できる」ことにするのか、それとも「できるようになることを通して自信を得る」ことにするのかといったように、どの視座で見るかによっても受け止め方が変わりそうですね。

感想など


為末さんの「〇〇とはどういうことか」系のお話は読んでいてとても面白い。

今の職業に就くに至ったきっかけは色々あるが、平たく言葉にしてみると

・生きていく上で重要なことを好きなだけ探究できる
・学んだことをこれからの人たちに役立てられる
・ダイレクトに反応が得られる

などである。

だから「体育をもっと面白くしたい」という思いがあるが、どうしても"いちばん好まれる授業"というのは「仲良しグループで行う球技のゲーム」であり「自由という名の実質放任の授業」だ。笑

自分が生徒でもそう考えると思う。

加えて、コミュニケーションが苦手な生徒や我が強い生徒もいるので一筋縄では行かず、結果的に セイレツ!イチ・二・サン・シッ!!と準備運動を始める「管理型」の体育になってしまう。
集団行動を学ぶという意味ではそれも良いとは思うけれど。

ただこの本を読んで改めて目指すべきは

・身体の動かし方、知識など卒業後に活きる体育
・協調性や合意形成などのソーシャルスキルが身につく体育

だと感じる。

具体的な活動内容の前にある「やっている目的」を学習指導要領を参考にしながらも、自分の言葉で組み立てていきたい。

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