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【Stranger試写会レポ:工藤梨穂監督「August My Heaven」】分からない「わたし」と、ケアする演技

わかりようのない「自分らしさ」

 僕には、自分が誰かわからないときがある。清々しい朝にご近所さんと挨拶を交わすとき、仕事の打ち合わせのあとに「どうせなら」と取引先の夕食にご一緒するとき、親しい友達と昔話に花を咲かせるとき。親と話しているときですら、自分が誰かわからない。

 この「誰かわからない」という感覚は、どうしたって尽きることがなかった。高校生のころに「ノリ」やら「キャラ」やらの定着に悩まされ、大学では、ままならない自分の「将来」について考えさせられ、歳を重ねるたびに、たった今を生きること、自分を固めていくことの困難さを実感していく。幼いころに手元にあったあやふやな「自分らしさ」がいつの間にかこぼれ落ち、まるで自分ではないものたちが定めた言葉たちに「自分らしさ」を近似され続けている気がしてくる。「自分とは何か」という問いに対して明瞭に答えようとすればするほど、「〇〇に住んでいて、仕事は△△をしていて、◇◇が好き/嫌いで〜、、、」というような説明をしなければならない。「わたし」については何もわかっていないのに、「わたし」の周辺ばかりが事細かに記述されていく。


演じることのケア

 最近懇意にしていただいている映画館Stranger(HP, Twitter, Instagram)にて行われた、工藤梨穂監督(Twitter, Instagram)の最新作「August My Heaven」の試写会にお招きいただいた。どうやら、「目の前の誰か」のために「見知らぬ誰か」を演じる映画のようで、この「わかりようもない自分」について悩んでいた折、二つ返事で参加させていただくことになった。

旧友になりすました女と親友の二人の青年。
奇妙で刹那的な旅の先にあるものとは

とある街で代理出席屋をしながら暮らしを営む女・城野譲(じょうのじょう)。代理出席屋とは、依頼人の親族や恋人、友人などを演じて冠婚葬祭や人が集まる場所に赴く代行業のことである。譲の行きつけの中華料理屋の店員・三枝南平(さえぐさなんぺい)は、そんな彼女に思いを寄せていた。
8月のある日のこと。代行の仕事で葬儀場に訪れた譲は、いつか夢で見た見知らぬ男・長谷薫(はせかおる)にそこで出会ってしまう。日を同じくして、中華料理屋で抱き合う南平と薫。薫は5年もの間失踪していた南平の親友だったのだ。
彼の無事を喜ぶ南平に「恩師の葬儀で“いづみ”に再会できた」と言う薫。しかし、そこに現れた女は彼らの旧友・いづみになりすました譲だった—。

引用元:Stranger「August My Heaven」特集・作品紹介, https://stranger.jp/movie/5558/

 代理出席屋の譲が、葬儀の斜め後ろに座っていた南平に「いづみ?」と勘違いされることから始まる刹那的で擬似的な再会劇。思い出の地を訪ねる道中、ほのぼのとした雰囲気とは裏腹に、会話には常に緊張感が混ざっている。薫のことなど何も知らない譲と、譲を“いづみ”だと信じる薫、その二人を見守る南平。会話の中で生じる少しのズレと薄く引き延ばされた駆け引き、言葉と言葉のあいだの気がつかないほどの間。私の信じる「あなた」は、果たして本当に私が信じる「あなた」なのか。目の前のあなたのための日常を演じる所作が、優しい虚構となる。


生きる練習

 誰だって「生きる練習」を繰り返しているんだろう、と思う時がある。実際のところ、見知らぬ誰かと生きることに本番なんてない。誰もが、目の前にいる「あなた」に合わせて演技を繰り返し、瞳の奥ではその「あなた」の一挙手一投足を怯えた様子で観察している。友人と遊んだ帰り道に、「あの言葉への返答はあれで正解だったのか」と気を揉んだことは数知れない。まちなかでのご近所付き合い、知らない誰かと会話する時の和やかな緊張感、意見が対立する時の気遣いと衝突。我々の生活には、演技せざるを得ない瞬間が多く存在する。

 劇中の3人は、目の前の見知らぬ誰かをケアするかのように、そして毎日僕たちがそうしているように、健気にも最善の返答を霧の中からたぐり寄せていた。僕たちの日常と同じように、劇中でのあらゆる行為は演技的で、作為的である。

 演技と自己について徹底的に考え抜いた哲学者サルトルは、以下のような言葉を残している。

“Acting is a question of absorbing other people’s personalities and adding some of your own experience.”
演技とは、他者の人格を吸収し、そこに少しの自身の経験を加えることである。

 この映画には、見知らぬ誰かと生きていくための作法へのヒントが詰まっている気がした。目の前にいる誰かの人生の複雑さに想いをはせること、その人がこの場所に、他でもないこの私といること。そうしたやりとりを通じて、自分というものの境界線が曖昧になり、誰かの人生への果てしない想像力を養うことができる。「他者への想像力を」と訴えるだけでは叶わない、対話≒演技の練習を積み重ねた先にある光景の断片を、この映画は示してくれている。


引用元:Stranger「August My Heaven」特集・作品紹介, https://stranger.jp/movie/5558/ (ヘッダー画像も同様)

【作品情報】
オーガスト・マイ・ヘヴン
2024年/日本/40分

監督・脚本:工藤梨穂
出演:村上由規乃、諏訪珠理、藤江琢磨、長谷川七虹、山﨑龍吾、西出明、鈴木卓爾

エグセクティブプロデューサー:川村 岬、山本正典/プロデューサー:岡本英之、山口 永、工藤梨穂/アソシエイトプロデューサー:小林一尚、笹木喜絵、小池由香里、小島秀樹/ラインプロデューサー:村田 潤
音楽:soma/撮影:谷村咲貴/照明:大﨑 和/音響:岩﨑敢志/美術:柳 芽似/スタイリスト:松井弥樹/編集:佐古瑞季/助監督:栗原 翔/撮影助手:山岸俊哉/照明助手:飯島逹都/演出応援:小森ちひろ/制作応援:内田 新/ビジュアルデザイン:山根佐保/ビジュアルスチール:熊谷直子

製作:Roadstead、グランマーブル
企画:Sunborn
制作プロダクション:ねこじゃらし
配給:Stranger

(2025年1月31日)

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