日本人研究者、アメリカ最後の挑戦
2021年8月の時点で55歳の日本人研究者、アメリカでの最後の挑戦をこれから書いていきます。
若い頃から、アメリカに移住し、アメリカで働くことをずっと夢見ていました。2003年にようやくその夢が実現しました。その時すでに37歳になっていました。それ以降ずっとアメリカに住み、早いもので2021年の時点で18年が経ち、55歳となりました。少し前でしたら、もうリタイアしてもおかしくない年齢かもしれません。でも、リタイアして日本へ帰る前に、アメリカで、もうひと仕事したいと思いました。10年間、働いてきた会社を思い切って辞め、まったく新たな環境に飛び込むことにしました。新たな環境で何に挑戦したいか? 何を実現したいか? どのように生き残っていくか? を記録するために、このnoteを始めます。
アメリカに渡った2003年以来、さまざまな出来事を経験しました。
最初は、2年間の任期で、日本の製薬会社から派遣されてアメリカ、ニュージャージー州に移りました。たった2年間赴任したらその後すぐに日本へ帰る予定でした。
2005年、赴任期間が終わりに近づくと、日本に帰って働くことが自分の中にイメージできず、別の日本の製薬会社のアメリカ現地採用の職に転職しました。アメリカで可能な限り生きていこうと決意した第一歩でした。
2008年、その転職先でプロジェクトの終焉とともにレイオフされてしまいました。しかし、運よく、ボストン郊外にあるアメリカの製薬会社に転職することができました。日本の会社から純アメリカの会社への最初の転職でした。
2010年、そのアメリカの製薬会社で、自分のパフォーマンスが発揮できず、半分クビのような状態で、次の転職先が決まっていないまま会社を逃げるように去ることになってしまいました。半年の失業期間を経て、2010年末にカリフォルニア州ロスアンゼルス郊外にあるアメリカ王手の製薬会社に何とか職を見つけました。
それから10年、今度は何とかクビにもならず、徐々に自分らしいパフォーマンスも発揮できるようになり、実績を積めるようになりました。2021年、ひとつの大きなプロジェクトをやり終えたので、全く別の環境に身を置くことを決意しました。全体で2万人以上の従業員のいる大きな会社から、140名程度の社員しかいない小さなバイオテックへの転職です。
次の10年をイメージしたとき、このまま同じ会社で気の知れ合った仲間と楽しく過ごし、さらに実績を積んでいくことより、安全領域を飛び出して、全く異なる環境に身を置いて新たな挑戦に挑んだ方が、より成長できると、自分の直感を信じました。
2021年8月23日からいよいよ新たな仕事を始めます。これがアメリカ最後の大きな挑戦のつもりで頑張りまーす! 想像もしてなかったような困難・問題が起こるかもしれないけど、すべてが自分の人生の糧となる貴重な経験と思って楽しんでいきたいです。さて、どうなるやら。