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自慢の幼なじみ

僕には自分の人生に衝撃を与えてくれた自慢の幼なじみがいます。ゆうちゃんです。もし、ゆうちゃんに出会っていなかったら僕の人生は大きく変わっていたかもしれません。

ゆうちゃんと僕の父親がともに同期の警察官で、警察学校時代からの親友だったことから、僕たちは物心ついた時から一緒に遊んでいました。父親同士も同級生で、ゆうちゃんと僕も同級生なのです。僕たちは、警察アパートと呼ばれる警察官の家族だけが住める官舎にいました。同じ5階建てアパートの建物の1階の101号室が僕の家、その真上4階の401号室がゆうちゃんの家でした。僕は物心ついた頃から生き物が大好きな虫取り少年でした。ゆうちゃんはさらにそれに輪をかけて生き物好きでした。そんなふたりが幼なじみとして出会ったしまったので、虫取りをしないわけがありません。ある日は僕が4階のゆうちゃんの家へゆうちゃんを呼びに行き、ある日はゆうちゃんが僕の家のある1階まで降りてきて、いっしょに虫取り網と虫かごをもって、毎日のように近くの川の堤防の草むらまで行って虫を取ってました。

ゆうちゃんは典型的な腕白坊主。勇敢で行動力があり、一緒にいて頼もしい存在でした。僕は、泣き虫で、内弁慶で、恥ずかしがり屋の人見知りで、環境によってはいじめられっ子になってもおかしくない性格でした。ゆうちゃんと出会っていなかったら、家に引きこもってひとりだけで遊ぶ子供だったかもしれません。しかし、ゆうちゃんと出会って、毎日、元気に虫取りに行く、わんぱく少年でいられたのです。

毎日、暗くなるまで、虫取りに出かけていました。あまりに虫取りに夢中になりすぎて、夜真っ暗になっても家に帰らず、「誘拐でもされたのでは?」と心配になった親が近所を駆け回って、僕たちを探したこともありました。ゆうちゃんのお父さんが僕たちを見つけた時は、ゆうちゃんも僕も同じ自分の息子のように、頭をひっぱたかれ、叱ってくれました。

いたずらもたくさんやりました。ゆうちゃん、かっちゃん、いたずらコンビとして近所でも目をつけられるほどでした。近所の家の木になっている柿をとって、別の友だちの家へ「お土産です」と持ち込んだりしていました。柿を持っていくと、その友達のお母さんがとても喜んでくれるので調子に乗って毎日柿を届けるようになってしまいました。その友達のお母さんが、ゆうちゃんと僕の母にお礼を言いに来たことから、柿を盗んで別の家にあげていることが発覚し、おたがいの両親をびっくりさせたこともありました。虫を取りたいがために、近所の豪邸の庭や進入禁止の場所に忍び込んで、見つかって怒られることはしょっちゅうでした。

僕はすっかり忘れていたのですが、しっかり者の妹が覚えていて、ゆうちゃんと僕の父親が、日曜日なのにスーツを着て、お茶菓子を持って、いたずらをしてしまった家に謝りに行くこともあったそうです。

ゆうちゃんと僕は将来のこともたくさん語っていました。さまざまな昆虫や動物を飼って、生き物が大好きな人たちに見せたり、売ったりしよう! 獣医さんになって病気の動物を治そう! 大きな池を作って、魚やカエルや亀や水生昆虫もいっぱい飼おう! 

そんな僕たちに突然の別れがやってきました。小学5年生になった時、ゆうちゃんのお父さんが突然亡くなったのです。ゆうちゃんのお父さんは刑事さんでした。とても豪快な人で、ゆうちゃん同様、生き物が大好きでした。僕のことも自分の子供のように可愛がってくれ、ある時は厳しく叱ってくれました。ゆうちゃんのお父さんは亡くなる直前まで、ずっと元気で豪快な人でした。きっと刑事さんの激務がたたったのでしょう。本当に突然のことだったのです。

ゆうちゃんは一人っ子で、お父さん、お母さんと3人家族でした。ゆうちゃんのお母さんも僕のことをゆうちゃん同様、自分の子供のように可愛がってくれていました。ひねくれ者の子供だった僕は、ゆうちゃんのお母さんがせっかく入れてくれた紅茶を「まずい!」といって困らせたこともありました。ゆうちゃんのお母さんが寛大に笑って見過ごしてくれたのをなんとなく覚えています。なんと失礼な子供だったことか。。。

警察官だったお父さんを亡くしたゆうちゃんとお母さんは、警察官舎にいることができなくなりました。母子家庭となり、これから生活も大変になるのに、官舎からも追い出されるとは本当に残酷なことです。

そしてゆうちゃんとお母さんは遠くへ引っ越していきました。僕は、大事な幼なじみをなくしました。

幼なじみを失った小学5年生の時に、今度は、自分の母親をがんで亡くしました。それまで僕はとんでもない母親っ子でした。何もかも母に助けてもらわないと何もできない、甘えた子供でした。

泣き虫、弱虫でひとりでは何もできない僕が、小学5年生の時に母親と大切な幼なじみを失ってしまったのでした。


そしてその後、ゆうちゃんは、子供の頃語っていた夢を実現させたのです。本当に自分で動物園を作ってしまったのでした。動物を見ながら食事を楽しめる動物レストランで、飼育員として働いていたゆうちゃんは、そのレストランが経営不振で閉鎖されると、動物を引き取り、子どもたちに動物と触れ合う機会を与えるための移動動物園を作ったのです。現在、愛知県で「いちご動物園」として活躍されています。

自分の幼なじみながら、子供の頃から語っていた夢を実現させて、すごい人だなと思いました。

僕もゆうちゃんと語った夢をずっと思い続け、生き物が大好きであり続け、獣医の学校に入ることができました。その後、生き物の神秘さに魅了され、これまで研究者の道を続けることができました。獣医学校に入ってからも、ゆうちゃんの活躍に刺激され、それが自分のワクワクする道に導いてくれました。

ゆうちゃんと僕がいっしょに遊んだのは、物心ついた頃から小学5年生まで5~6年間のことですが、ゆうちゃんは僕の人生に衝撃を与えてくれた自慢の幼なじみになりました。もし、ゆうちゃんと出会えていなかったら、自分は獣医の大学に進学することも、研究者の道に進むこともなかったかもしれません。そんなすごい幼なじみに出会えたことに感謝です。

そして小学校5年の時に突然、頼り切っていた母親と幼なじみを失ったことは、全く自立できていなかった僕に神様が与えてくれた試練だったのかな、と思えるようになりました。


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