通夜のあと
永く会うことのなかった、高校時代からの友人。彼の葬儀が、友人が暮らした山奥の村で営まれる。私は一人、通夜の斎場を訪れる——。
斎場の灯りだけが、暗闇の中に浮かんでいた。
その背後には大きな山の影がくろぐろと迫っている。
曲がりくねった山道をぬけたその先に、その斎場はあった。
ここまで車を走らせても、対向車は一台もなかった。
私は駐車場に車を乗り入れて、停めた。
車を降りると、たくさんの蛙の鳴き声が私を包んだ。
斎場の灯りが、田圃の水面に反射して揺れている。
斎場の入り口の札に、黒々と書かれているのは、友人の名だった。
私が彼と会うことがなくなって、もう何年経ったのだろうか。
あまりに永い。
永くて、もはや、正確にはわからなくなっていた。
それでも彼は私の友人であり、だから私はここに来た。
彼と初めて会ったのは、高校生になった時だった。同じクラスになったのだ。
知らない顔ばかりのあの教室で、どちらから話しかけたのか、それももう思い出せない。
ただ、私と彼は不思議と気があって、それからずっと仲の良い友達だった。
高校を出て、二人は別々の大学に進学したのだが、それでも疎遠になることはなかった。
休みになると、私たちは会っていろいろなことを語りあった(なにしろ、メールもスマホも存在しない時代だから、物理的に顔を合わせるしか、語りあうなどということはできないのだ)映画のこと、音楽のこと、社会のこと、政治のこと……。
そんな中で、私が古本屋で買ってきた、ある小説が、私たちの心を深く揺さぶった。
私たちのような若者二人が主人公だった。二人の夢は、いつかアフリカに行くことだった。アフリカに行ってどうするという目的があるわけではなく、彼らが今いるその場所から脱出する、その象徴がおそらくアフリカなのだ。しかし、小説の中では、港町で暮らす二人の夢は切ない結末を迎える。
若かった私と彼は、おかしな話だが、アフリカに行けなかった二人の代わりを自分たちが果たさなければと思った。
俺たちは、ぜったいに行ってやろうぜ。
私と彼は、そう誓い、計画を練りはじめた。
どちらかと言えば世間知らずな私とちがい、彼は高校生の頃から物事を計画し、現実的な手立てを組み立てて実行することに、不思議なくらい長けていた。彼が高校の生徒会長になったのも当然のことだった。
そんな彼の働きで、私たちの計画は実現に向かって、ゆっくりではあるが着実に進んでいたのだ。
だが、けっきょく、彼はアフリカに行くことはなかった。
この山奥の村で暮らす彼の父親に不幸があり、彼は急遽家を継がなければならなくなったのだ。
一人息子である彼は、いつかはそうしなければならないと、自分でも考えていた。しかし、それはまだ、ずっと先のはずだった。父親が老いて思うにまかせなくなる、そんな未来の話なのだから。まだまだ時間はある。そう思っていた。
それが予定外の事態となり、彼は家に帰ることになった。
すまない、と彼は、つらそうな顔で私に言った。
おれは、行けなくなってしまったよ。
私は、ただうなずいた。
そのあと、二人の計画より数年おそくなってしまったが、私は一人でアフリカに渡った。
一方彼は、持ち前の能力で生まれた土地での生活を確立し、その村での中心人物となった。晩年には、たぶん行こうと思えば、ちょっとした旅行ぐらいならできたと思うのだが、それでも彼がアフリカの地を踏むことはなかった。
斎場では通夜が営まれている。
夜はもう更けており、受付にはだれもいない。
私は黙って受付を通過する。
そのすぐ左手に灯りを落としたホールがあり、明日の準備に椅子が六十ばかり並べられ、さらに奥に祭壇があった。
花輪や籠盛りが並べらている。
榊の枝が用意されており、葬儀は神式で行われるようだ。
祭壇の正面には、大きく引き延ばされた友人の遺影が飾られている。
静かに笑うその顔は、しわの深い老人の顔だった。
お前、ずいぶん歳を取ったものだな。
私の記憶にある友人は最後にあったときのまま若い。
しかしその歳を取った男の顔には、たしかにあの友人の面影がある。
ホールの横、奥手の方からは灯りがもれて、人の話し声がぼそぼそと聞こえた。ときおり、笑い声ももれた。
身内の者たちがあそこで一晩を過ごしているのだろう。
私は、祭壇に向かって歩く。
祭壇の前には、白い棺が安置されている。
私は、棺に近づき、棺の小窓を開けると、友人の顔をのぞきこんだ。
白装束の年老いた友人は、黄色い顔で、目を閉じ、かすかに口を開けて横たわっていた。
さて。
私は、顔と顔が触れるくらいに深くかがみこみ、そして低い声で呼ばわった。
……おおおぉおおおぉおお
おおおぉおおおぉおお
おおおぉおおおぉおお……
※
……ぉおおおおおおぉお……
わたしを呼ぶ声がした。
その声が、横たわるわたしに染み透る。
わたしは、水の底から浮かび上がるように、深いところから目を覚ました。
ゆっくり目を開けた。
そこには、わたしを覗きこむ懐かしい顔があった。
昔アフリカに渡った、友人。
彼は、アフリカの地で事故に遭い命を落としたその時の、若い姿のまま、そこにいた。
「よお」
わたしに笑いかけた。
「起きろよ」
わたしは、生命活動を終えた肉体を脱ぎ捨てて、体を起こした。
※
「じゃ、行くか」
と、私が言うと
「ああ、そうだな」
昔のように彼が答えた。
「俺が死んだ場所に連れて行ってやるよ」
「うん、見せてくれ」
私と友人は、滑るようにホールを抜けて、外に出る。
車に乗り込んだ。
ライトが深い闇を照らす。
私たちの車は音も立てずに、斎場の駐車場を出て行く。
気づく者はだれもいない。
(了)
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