ふるさとに帰ろう
ピンサロで働くあたし。新しく入店してきたマリカの面倒を見てあげる。マリカは何かに怯えているようだ。あたしは、なんとかマリカの力になりたいと思い、話を聞く。そしてある日、とうとうマリカは——。
「小説家になろう」サイト夏のホラー2023応募作品です。
ズンズンと大音量の音楽が鳴りひびく中、
「今日も、レナちゃんの田舎の話を聞かせてほしいな」
と、タカハシさんが、あたしの耳元に顔を近づけて言う。
「いいよ」
と、あたしもタカハシさんの耳に顔を近づけて答える。
「中学校のときにね、校庭に鹿が出たのよ」
「ほう」
「学校は山の麓にあったから、迷いこんじゃったのかな」
「へええ」
タカハシさんは嬉しそうだ。
でも、あたしの言うことはみんな嘘。
いつもあたしを指名してくれるタカハシさんには、あたしはA県の山奥出身てことになっている。タカハシさんは、どうしてかあたしの出身地の話をききたがるから、あたしは、前のお店でわりと仲が良かった、リンコから聞いたことを、まるで自分のことのように話してあげる。ちなみに、リンコは、正真正銘、A県の生まれ育ちだったから、おしゃべりしてると、あの地方独特の方言がときどき出てきて、あたしたちは「なにそれ」大笑いしてたんだ。
ダンサーになりたくて、都会にでてきた、A県の田舎の女の子。それがあたしの、タカハシさん用の設定。
嘘は嘘なんだけど、こうやって話をしてあげると、タカハシさんはすごく喜んで、「ああ、癒やされるなあ」なんて言う。「ぼくの家は、曾祖父の代からこの街にすんでるから、田舎がないんだよ」タカハシさんは、小太りの、さえないおじさんだけど、たぶんいい人なんだろう。
「みなさまお待ちかねのサービスタイムがやってまいりました! さあ、ハッスル、ハッスル!」
マイクががなり立てて、灯りが暗くなり、赤のサーチライトがぐるぐる回る。
ハッスルって……。
あたしはいつも思う。
そんなのとっくに死語だって。
でもタカハシさんくらいの歳のひとには、そうでもないのかな。
このタイミングで、ここぞとばかりに、手を伸ばしてくるお客さんもいるけれど、タカハシさんはそうでもない。
「校庭に鹿かあ……」
薄いハイボールを飲みながらつぶやいている。
あたしも、自分の前にあったグラスを飲み干して、手を挙げ、お代わりをもらう。
「はい、カシスオレンジ!」
ボーイの史郎くんがそういって運んできたけど、これも嘘。ただのオレンジジュース。
でも代金はカクテルとして請求。
ここは、そんな仕事。
あたしは自分でもお節介だと思う。
新しく入ってきた子が、バックヤードで勝手がわからずオロオロしていたから、マウスウオッシュや、ウエットティッシュをどこから出せばいいのかを教えてあげたんだ。
それから、その子とときどき話すようになった。
その子は、マリカと名乗った。もちろん本名ではないよね。
目が大きくて、美人と言えないでもなかったけど、なんとなく幸薄い感じがした。
あたしがそんなこというと笑われるかも知れないけど。
気になって、マリカの様子をみていると、どうもなにかに怯えているみたいだった。
こういう仕事だから、なにされるかわからなくて怖がっているのかとも思ったけど、よくみてるとそうじゃなさそうだった。
接客も落ち着いているし、気配りのできるいい子だったんだ。
あたしはマリカが好きになった。
それで、いったいマリカはなにを怖れてるんだろうと、あれこれ考えてしまった。
やっぱり、お節介だよね、あたし。
でも気になっちゃって。
ストーカーがいるのかも。あるあるだよね、こういう仕事してると、どうしてもおかしな客は出てくる。
あとは、借金取りに追いかけられてる、とか。
まあ、あんまり人のプライバシーを詮索するのは良くないとおもうけど。
ある時、マリカが聞いてきた。
「レナさん、A県の出身?」
「ん……違うけど」
あたしは、自分は別にA県の出ではないけど、指名のお客さんが喜ぶから、そういうことにしてる、と正直にいった。
「そうなんだ……やっぱりね」
マリカは納得したようにうなずいた。
「なんで」
「アクセント? ちょっとちがうもん」
あたしは驚いて、聞いた。
「マリカ、あんたA県なの?」
「ん……」
少しいいよどんでから、
「隣のへんかな……」
と、答えた。
「よかったら」
と、あたしは頼んだ。
「あの辺の小ネタ、教えてくれないかな。だんだんネタ切れしてきたんだ」
マリカの顔が曇った。
わたしは慌てて付け加えた。
「あ、嫌だったら、いいけど」
「たいして、知らないよ」
「いいの、ふつうーのことでいいの、例えば、お雑煮に何を入れるか、とかさあ」
「ふうん? そんなんでいいの。まあ、レナさんにはお世話になってるし」
そして、マリカは、思いつくと、いろいろなことをあたしに教えてくれたんだ。
そんな話の中に、A県の奥、隣の県との県境にある大きなダムの話があった。ダムを作るために、村が一つ沈んじゃったんだって。村にあった小学校も、水の底になって、もう行くことができない。昔住んでいた家に帰る道ももう歩けない。
この話をタカハシさんにしたら、「ああ、切ないね」そう言ってタカハシさんは涙ぐんでいた。やっぱりいい人だ。
マリカはがんばって働いていた。
でも、だんだん元気がなくなってきたのに、あたしは気づいていた。
お店にお客さんが入って来るたびに、怯えたように視線を走らせて、そしてほっとした顔をする。
間違いない、マリカは、誰かを恐れているんだ。
あたしには分かった。
それで、ある日、思い切って、バックヤードでマリカに声をかけた。
「マリカ、あんたを怖がらせているのは、どんなヤツなの?」
マリカは、びっくりした顔であたしをみて、それから、諦めたような表情をした。
「……わかる?」
「わかるよ! どんなヤツなの? ねえ、店長に頼んで、なんとかしてもらおうよ」
マリカは悲しげな顔で言った。
「ダメなの」
「なんで」
前にもそんなことがあったけど、その時は、店長がいろいろ手を回して、それで店の子を困らせていたストーカー男は、ぴたりと姿を見せなくなったんだ。
「店が守ってくれるよ」
あたしは説明したけど、マリカはうなずかなかった。
「だめなの……そういうので、なんとかなる相手じゃないの」
「え?」
まさか、危ない職業の人とトラブルになっているのだろうか。
あたしが、恐る恐る聞くと、マリカは首を横に振る。
「そうじゃないけど……でも、どうにもならないから」
「じゃあ、どうするつもりなの、マリカ」
マリカは少し黙って、それからつぶやくように言った。
「……逃げるしかないのよ、どこまでも」
マリカの事情はわからない。
お節介なあたしだけど、これ以上突っ込むこともできない。
あたしも、マリカも、日々のお仕事を続けた。
そして、とうとう、その日が来てしまった。
その日、店に入ってきたお客さんを一目見て、マリカは立ち尽くした。
ガタガタと震え、くるりと踵を返し、店の奥に駆け込んだ。
マリカの異常に気がついて、その視線を追った時、あたしも一瞬だけその客を目にしたけれど、どこといって特徴のない、スーツを着た若い男だった。そこには暴力的な雰囲気はかけらもなく、空気のように立っていたその姿に、マリカがあれほど恐れるほどの何があるのかわからない。
「マリカ!」
あたしも立ち上がって、マリカの後を追う。
バックヤードに逃げ込んでいくマリカを追いながら、振り返ってみると、男の姿はもうなかった。
「マリカ!」
マリカを探した。
ロッカールームでようやくマリカを見つけた。
マリカはもう服を着替えてしまい、バッグを手に店を逃げ出そうとしているところだった。身だしなみは乱れていて、それがマリカの動揺ぶりを示していた。
「マリカ!」
あたしが声をかけると、マリカは振り返り、青い顔のまま、なんとか口に出した。
「レナさん、わたしはもうここに居られないから」
「マリカ、ねえ、あんなやつ、なんとかなるよ、マリカ」
マリカは、ひどく暗い目をして、うなだれ、そして小さな声で言った。
「ちゃんと、殺したのに。殺してやったのに……どこまでわたしを……」
あたしが言葉を失っていると、マリカは言った。
「レナさん、ありがとう、さよなら」
そしてマリカは出て行った。
マリカはそれきり店には来なかった。
この業界ではよくあることだ。
よくあることではあるけれど、誰もマリカの失踪に触れないのは、少し変だ。いつもなら「またかよ」みたいに、店長がひとしきりぼやくのだが。
あたしは、休憩のおりに、店長に聞いた。
「あの……」
「なんだ、レナ? 休み取るのか?」
「いえ、あの…マリカのことなんですが」
店長は訝しげな顔をした。
「マリカ? ……誰だそれ」
そう、店長はマリカのことを何も覚えていなかった。
店長だけでなく、店の誰も、マリカのことを知らないという。
マリカは消えた。
まるで最初からいなかったかのように。
あたしには訳がわからなかった。
それでも、お仕事は続けた。
あたしは、マリカから聞いた小ネタで、それからもタカハシさんを喜ばせた。
それから何年か経った。
あたしは、いい人を見つけ(タカハシさんではない、念のため)仕事を辞めた。
その人は、なんの偶然か、A県出身の人で、あたしを自分の故郷に連れて行ってくれた。道中、彼の運転する車は、大きなダム湖の岸を走った。
蒼い湖水に、風が波を作った。
(これが、マリカの言っていたダム湖なんだね)
あたしは、マリカを懐かしく思う。
その時だ。
「ああっ!」
あたしは思わず声を上げてしまった。
「どうした? 何かあったのかい?」
彼が優しく聞く。
「ん……なんでもない」
言えない。
ダム湖の岸辺の、草むらに、佇む黒い影。
あの時お店で、一瞬だけ目にした、マリカを怖がらせたあの男としか思えなかった。あの時と同じように、静かに佇んでいた。
男は、ダム湖の水底を見ているようだった。
そして、その男の傍らに、あたしはもう一つの影を見たような気がしてならない。同じように、水底を見つめる、女性のシルエットを。
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