【真理】アイデンティティ(自己認識)は人それぞれであるか?
人々は自己の善悪を好き勝手に持つとき、どの善悪が正しいのかと言う問題が生じる。同様に、人々が自己を好き勝手に認識するとき、どの自己認識が正しいのかという問題が存在する。
一般的には、キリスト教徒の西欧白人は「この世界には、正しい善悪が存在する。」と信仰しているように見える。だからこそ、彼らはその善悪を世界へと強制してきた。
上記をアイデンティティ(自己認識)に拡張するとき、ある種の人々は「この世界には、正しい自己認識が存在する。」と信仰する。
背景
儒教系統の認識 大和民族は”日本人”という単語を好き勝手に使用する。
そして、大和民族は日本人の定義は人それぞれと主張する。彼らは「何が日本人であるのかは人によって異なる」と主張する。その後、彼らは日本人と言う単語を自分が思うように自分勝手に使用する。
上記を採用すると、ある主体は「もしアン・クレシーニが演歌を歌うならば、アン・クレシーニは日本人である。」と主張する。別の主体は「もしアン・クレシーニが日本を愛するならば、アン・クレシーニは日本人である。」と主張する。
また、大和民族はひとそれぞれと言って、自己認識に関する他者との真剣な対峙を回避しようとする。彼らはどの自己認識が正しいのかをちゃんと決めない。なぜなら、彼らは自己不安や対峙不安を持っている。
真理とアイデンティティ(自己認識)
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