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【冤罪?】袴田巌の何が問題であるのか?【無罪確定】

57年前の1966年に静岡県のみそ製造会社の専務一家4人が殺害された事件で、東京高検は20日、強盗殺人罪などで死刑が確定した袴田巌さん(87)=釈放=の再審開始を認めた13日の東京高裁決定を受け入れ、最高裁への特別抗告を断念する方針を固めた。特別抗告の期限の20日に発表する。関係者への取材で分かった。

袴田さん再審、検察が特別抗告断念へ 再審開始確定、無罪の公算大:朝日新聞デジタル (asahi.com)

以下では、俺は袴田巌事件の何が問題であるのかを提示する。一般的には、袴田巌の問題は冤罪である。しかし、ここでは、宗教的な問題を提示する。

袴田巌は収容中にキリスト教徒になったらしいが、ここでは、その事実を考慮しない。個人的には、俺は彼はキリスト教徒になるべきでなかったと考える。

袴田さんは収容中に洗礼を受けてキリスト教徒になり、令和元年11月にはローマ教皇フランシスコが東京ドームで執り行ったミサにも招待された。一方で長期の収容中に拘禁症状が出て、釈放後も治っていない。

袴田事件「再審認めず」取り消し 最高裁決定、高裁に審理差し戻し - 産経ニュース (sankei.com)

#袴田巌

宗教的な問題

儒教系統の認識
(1)非キリスト教徒の民がキリスト教の法体系の下で冤罪で死刑になる可能性がある。

これが袴田巌事件の核心である。日本国憲法はキリスト教系統の法体系である。その法体系の下で、非キリスト教徒のモンゴロイド人種を冤罪で死刑することはアメリカ自然民を冤罪で死刑にする程度には問題である。

結局、袴田巌はキリスト教徒に改宗したが、もし彼が改宗せず、かつ冤罪で死刑になった場合、それはアメリカ自然民を白人によるキリスト教の法体系の下で冤罪で死刑にするようなものである。

問題の核心は次である。
非キリスト教徒のモンゴロイド人種がキリスト教の法体系で死刑(=殺害)にされる可能性がある。
非キリスト教徒のモンゴロイド人種がキリスト教の法体系で冤罪で死刑(=殺害)にされる可能性がある。

①の場合、その死刑は処刑や刑罰でなく、単なる殺害行為になる。なぜなら、その行為はユダヤ教徒のイスラエル国民を仏教系統の法体系で死刑にするような行為である。当然、そのとき、そのユダヤ教徒はその死刑を死刑でなく、ユダヤ教徒に対する殺害行為と認識するだろう。

②の場合は言いがかりによる完全な殺害行為である。ある非キリスト教徒のモンゴロイド人種が殺人を犯していないのに、殺人犯として、殺害される。これは白人が仏教徒の黒人を殺人犯に仕立て上げて、奇妙な果実として、仏教徒のその黒人を殺す程度には狂っている。

袴田巌はキリスト教徒になるべきであったか?

儒教系統の認識
(1)袴田巌はキリスト教徒に改宗すべきでなかった。

なぜなら、袴田巌がキリスト教徒に改宗した場合、日本国憲法における袴田巌に対する死刑は宗教的に正当になる。そのとき、たとえ袴田巌が死刑にされるとしても、その死刑は殺害行為にならない。

また、袴田巌がキリスト教徒に改宗した場合、袴田巌事件の問題点は冤罪の一点のみになる。もし袴田巌がキリスト教徒に改宗していなかったならば、「非キリスト教徒のモンゴロイド人種がキリスト教の法体系で冤罪で死刑(=殺害)にされる可能性がある」という問題が生じた。

言い換えると、もし袴田巌がキリスト教徒に改宗していなかったならば、アメリカ自然民が冤罪で殺される(=殺害)ところであった。これは奇妙な果実よりも酷く、その場合、人類史に永続的に記録されるべき行為になるところであった。

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